zoom『世界』を読む会・12月例会の報告
今年最後の『世界』を読む会、zoomの『世界』を読む会・12月例会は、12月23日(木)の午後7時から、6名の参加でした。
● 第一テーマ・藤田孝典ほか「生存のための社会変革を!」
は、二〇年六月号で提案された「三一の緊急提言」のその後の中間総括的な内容で、総論と分野別の各論によって構成されているものでした。報告を受けて、次のような意見が交わされました。
・様々な職種で起きた「シフト減」は、減収しても休業扱いにならない層を沢山生み出したように、非正規労働者に最も深刻な影響を与えた。
・生活保護の扶養照会を巡って一部改善はあったが、現場の福祉事務所に行き渡らない現実が多く見られた。
・休業要請の手続が難しくて申請しないケースが多く出た。
・大勢いるはずの非正規労働者やシングルマザーの不満が選挙結果に出ないのはどうしてだろう。
・維新が不満の受け皿になったのでは。
・シフト制が多く取り入れられているのは、雇用保険などをつけないくてよい雇い方だからだ。
・雇用調整助成金はややこしい手続のため、申請しない人が多い実態があった。
・不満が、「自民党バカヤロウ」じゃなく、「店長バカヤロウ」になってしまう。働く人が組織化されていないことが一番の問題だろう。
・痛手を受けた人のことは、当事者以外は分かっていないで、(看護師などが)差別を受けたりすることが生じたり、不均等な状態がある。一方で法人税収入は過去最大だったりしている。
・精度があっても活かされない、人権教育の問題、公務員が憲法をきちんと学んでいないという問題がある。
・労働組合の組織率の低さも、権利を主張する側の人権教育の不足、不在による。生活保護受給者が権利と思っていないのも同様の問題だ。
・外国人労働者の転職の自由とワクチン接種を前進面として書いているが、それは技能実習生側の希望というよりも、日本社会の都合で行なったもので、外国人の生存保障の意識はお寒いものである。
・長い間加えられた意図的な労組潰しの結果の労働組合の弱体化は、現状を変える力の不足に大きな影響を与えている。
・日本人は、困れば困るほど、沈みこんでいくように感じる。それほどに徹底的にバラバラにされている中では、パート労働者の労組組織率8.7%〔p.195〕は、かなり健闘していると思える。
・パート労組組織率8.7%の中には、皆を勇気づけ、方向を示すような、新しいドラマ・ストーリーがあってもいいのではないか。
・今、職場で困ったことがある時、労働組合のない職場で、どこへ相談に行くのだろうか。
・心療内科だろう。心療内科で、新しい職場案内のセミナーをやったりしている。
・パワハラなどの問題は、組合ではなく、コンプライアンスオフィサーの立場の人のところへ行くとか、内部通報制度などで対処するようになっている。
・非正規労働者の組織化こそ、日本に本来の労働組合を作っていく重要な動きだなと感じる。
・日本の福祉政策は会社主義(正規職員だけが対象)で、それに慣れてしまっているが、全員が正社員ではなくなっている現代では、国民を困難に直面させることになっている。
国が本来行なうべき福祉政策を実行させるというのが、根本問題だろう。そのためには、企業が福祉を担うのは止めさせるべきだ。企業は労働の対価を払うのみだというのが本来の姿だろう。
・会社のESGの取り組みという方向も一つの対応としてある。政府、大企業、そしてその正社員としては、既得権を譲りたくないという抵抗感もあるだろう。
※ 話題は、コロナ禍への対応というより、日本社会のあり方全体への意見の交流へと進んでいました。
第二テーマ・阿久澤麻理子「ジェンダー平等へ教育に何ができるか」
・人権教育なくして、民主主義社会はない。人権とは、それを知ることによって初めて人権が人々の中にあるようになるものである。
・「福島原発事故と人権」という言葉で検索すると、①法務省人権擁護局の出した文書と、②日弁連の出したものにぶつかるが、それが対称的で面白い。
①は日本独特の人権観に貫かれていて、②は世界共通の人権観のものとなっている。
①では、「いわれのない偏見や差別の解消のために」ということで、被災者への風評差別を問題にして、相手の立場に立ち、思いやりの心で対応すべきこと、正しい知識(放射能は怖くない)で対応すべきと説いている。
②は「被災者のいのちとくらしを守る宣言」ということで、憲法に規定する基本的人権を問題にしている。
①は私人間の、あるべき対応を説き、②は国家と個人、東電と個人との関係を論じている。
・教育委員会、学校が進めている人権教育の実態は、「村八分はダメよ」的なもの、まさに私人間の問題のことを行なっている。
・人権教育の日本の状況は「めまいがする」ほどお粗末な状況だが、八月号浅倉論文で触れられていた「個人通報制度」〔p.224〕を取り入れる「選択議定書」を批准して、国際社会からの圧力が働くようにするという道があるのではないか。人権教育よりも前に国家人権機関の確立を目標にすべきではないか。
・思いやりという見方は、弱い人間を問題にしている。国と国民の間の人権問題が消えてしまう。他人の人権ではなく、自分の人権の問題だということが決定的に抜けている。それが、労組の組織率や選挙での政権党の圧勝にもつながっていることだ。
・学校で「子どもに権利を教えると、自分勝手な主張が増え、教員の言うことを聞かなくなる」とか、「判断能力が十分ではない子どもに権利を教えるのはまだ早い」という考えが根強く、〔p.224〕とあるが、全くその通りだ。子どもに判断能力を育むためにこそ、権利を教えないといけないのに。
・人気のメルケルを受けてのドイツの選挙での10代、20代の投票先のトップは、みどりの党(三〇数%)、一方、不人気の菅内閣を受けての日本の選挙での20代、30代の自民党支持、という、際立った差は、明らかに教育の差と言わざるを得ない。
・日本では、国、自治体が人権を侵害することはない、という前提に立った人権教育が行なわれている。学校に、主権者教育というものがそもそもない。政治教育がタブーになっていて、政治・経済の学習はタテマエ論に終始している。
・「弱者男性論」は、トランプ現象やイギリスのEU離脱にも遠因している。若者は新自由主義の中で自己責任を求められ、生存権も自己責任と考えさせられ、弱者が自分たちの権利を侵すものとして捉えるようになってきている。
・アマルティア・センの「潜在能力アプローチ」をここで取り上げているのは、人権教育によって、人権を主張するという潜在能力を解放して、権利主張の主体へと変革できるよ、という意味だろう。
・「共感」は対等な感覚、「思いやり」は上下関係、と大きく異なるが、対国、対自治体という認識が欠けているとしたら、それこそが問題だ。
・筆者は、「人権が暮らしの作法」になっているか、と言うが、自分を振り返ると、「思いやり」の世界になってしまっていると感じる。
・「道徳」が教科化したりしているが、それが人権教育ならやらない方がいい。むしろ、戦後史や近現代史をきちんと教えた方が良い。
・ヘイトの人達のような敵対的性差別ではなく、慈善的性差別が問題視されるようになったという事は、最近の進歩だと思う。身の回りには、パターナリズムの人もまだいるが、時代に置いて行かれているなと感じる。
・新自由主義の下で、弱い存在の人間が、強い者(パターナリズム)に憧れる風潮が現れるのは危険なものだ。
※ などと、話し合われました。
※ 最後に、『世界』編集部への要望が語られました。
このzoomの『世界』を読む会のような、双方向で意見交換できる場の設定を促進する役割を編集部に期待するものでした。意見交換の場の存在が、やや難しい『世界』を読むことを推してくれること。そして意見交換で読み方の違いを感じる楽しさ。それを広げたいという思いが次々と語られました。
◎ ZOOMの『世界』を読む会、22年1月例会 の予定
●日 時 1月28日(金) 午後7時~9時半
※ 月末の金曜が定例です。
○共通テーマ
・「複合危機とエネルギーの未来」 飯田哲也
・「共振する日米の歴史修正主義(下)」米山リサ×板垣竜太
・「共振する日米の歴史修正主義(上)」 【2月号】
・「ラムザイヤー論文はなぜ「事件」となったのか」
茶谷さやか
・「ラムザイヤー論文の何が問題か」 吉見義明
【21年・5月号】
○参加ご希望の方は連絡下さい。案内を差し上げます。
● 連絡先 須山
suyaman50@gmail.com