● 吉田裕 「歴史への想像力が衰弱した社会で、歴史を問いつづける意味」を読んで
『世界』1月号
須山敦行
◎ 《新自由主義が新保守主義の温床》
新自由主義と復古主義との親和性のことである。
新自由主義が席巻しているから、復古主義が出てくる、という関係にあることを指摘している。新自由主義が作り出す、格差や挫折感、閉塞感による、家庭、地域、社会の崩壊の中で、新しい社会的統合の核としての、新保守主義的歴史認識である「歴史、文化、伝統」への回帰が要求されるのだ、という。
◎ 《加害者意識がなぜ希薄化=「永続敗戦論」に通じるもの》
日本の加害者意識の希薄について、それは
第一に、日本の植民地の「脱植民地化」の過程が、独立運動との戦いの末というよりも、日本の「非軍事化」の一環としてなされた、ことにある。
第二に、「サンフランシスコ講和条約」自体の問題があり、アメリカが日本を「西側陣営」に引き入れることを重視したため、主要国に賠償請求権を放棄させたこと、がある。
今日の領土問題の遠因にも、領土の帰属を明記せず、そのことは、日本が将来、親中、親ソ路線をとらないよう、領土問題の火種を埋め込むものとなったのだ、という。
第三に、日本が問題に向き合うようになった時期(1980~90年代の問題。戦争の非当事者が戦後処理の当事者になるという問題を生じた。
第四に、日本における「戦争受忍論」の根強さの問題がある。「戦争だから犠牲や苦難を強いられるのは仕方がない」という考え方。
白井聡の『永続敗戦論』に通じる、戦後のとらえ方である。
◎ 《修正主義者の矛盾》
「東京裁判史観」の克服論は、アメリカ批判に帰結し、日米安保体制の基盤を揺るがすことになる。靖国神社問題は、保守派・右派を分裂させる契機にもなり得る。
※ 確かに、時々、この日米の摩擦感情が話題になる。
◎ 《靖国神社の混迷、後退》
歴代首相の参拝の経緯を見ると、
今後、首相による参拝は、あくまで私的参拝として位置づけ、参拝日もあえて終戦記念日をはずす、という方向に進む可能性が強い。
その他の状況の変化を見るに、
靖国神社を支持する勢力は、すでに靖国に公的な性格を付与することを事実上あきらめ、宗教的な「靖国らしさ」を守るという地点にまで後退しているのではないだろうか。
※ という、靖国神社に対する観測は、果たして、どうだろうか。
◎ 《戦後七〇年に発すべきメッセージ》
第一に、村山談話の継承。侵略戦争と植民地支配の歴史に対する反省と謝罪。
8月15日の戦没者追悼式典での首相式辞に、復活させること。
第二に、レイシズム、ヘイトスピーチに対する決然とした姿勢を国内外に示すこと。
第三に、「慰安婦問題」で、河野談話の堅持と河野談話を否定する勢力への批判を明確にすること。
第四に、中国、韓国との領土問題は棚上げにすること。
総じて、戦後七〇年を前に、日本の国際的イメージが決定的に悪化していることを、深く認識すべきであろう。
※ 今年の政治課題の重要なテーマ、安倍首相の戦後七〇年談話に、注目である。
◎ 《「死の現場」への想像力を》
戦争体験の継承がうまくいっていない現実
※ それは、そうなるようにしてきた結果であり、それに負けてはいけない、という闘いの課題である。
私たちが生きる現代のリアルな戦場とは、文字どおり血みどろの非情で残酷な戦場である。親しい人を、こうした現場に送り込むことの意味を、想像する力を持つことが重要だろう。
『永遠のゼロ』の歴史的思考能力の衰弱
戦争はあくまで所与の前提となっている
戦争の原因や性格が問われることはない
戦争責任に関わる問題は回避する傾向が強まっている
これも、新自由主義の時代にふさわしい歴史認識のあり方である
※ 戦争体験の継承の課題を、世代としての、責任の問題としてとらえている。
責任、課題が突き付けられた気がする。
「戦争体験」を録音して記録にとどめる草の根の活動のことを聞いたが、重要な仕事だと思う。