『世界』を読む会

寅さんの博も読んでいる『世界』を読んで、話し合おう。

『この道しかない』はずはない!

2015-03-29 14:52:56 | 日記

● 西谷修×中野晃一 「『この道しかない』はずはない!」を読んで
     『世界』3月号
                                須山敦行

◎ 対談している二人は、リベラルと左派の連合によって、これからの日本をより良い社会へと変革する道を探ろうという視点に立っている。まさに、雑誌『世界』に私が期待する立場である。

◎ 《政治の新自由主義化》

  現状の政治状況を、政治の新自由主義化」と捉えている。
  国民が主権者ではなく、公共サービスを享受するお客様消費者)になってしまっている。

 《社会の新自由主義化》

  企業、あるいは経済をモデルとした論理や組織のあり方が各分野に持ち込まれてきた
  サービスを供給する企業 と それを享受する消費者 という構図 が
   教育、医療、政治の場に

  企業の最高経営責任者(CEO)になぞらえる総理大臣への権限の集中
  によって 異論の封殺がなされ
  民主主義の ボトムアップのプロセルとは真逆の組織論理が 浸透

※ 公立学校に押し付けられた一連の「改革」に、ピッタリ当てはまる

◎ 《民主党内の「松下政経塾」批判》

  松下政経塾の発想は「ポリティクス・アズ・マネージメント」
  つまり企業経営と国家運営を同一視する政治イデオロギー

◎ 《情念や欲望を煽る政治マーケティング》

  PR会社 が 仕切る 政治
  政治家は人々の欲望や情念をマーケティングのノウハウを駆使して煽ることで権力を占めようとする

◎ 《新自由主義を覆い隠す国家保守主義の幻影》

  草の根保守とは違う、国家の規範や権力に主軸を置いた保守

  その中で、進む「階層化」
  「階層化」は、長い時間をかけて周到に準備されたもの

  教育の差別政策 と 雇用政策=階層的雇用システム
  「グローバル人材」と「使い捨て労働力」
  みなが同じ教育を受ける必要はない

◎ 《新自由主義は自由主義ではない》

  「企業主義」と表現すればよい
  企業の自由の最大化を掲げる
 
  個人がなく 個人も労働力を売る法人だとみなす

  「革命が足りないから革命がうまくいっていない」
  「改革が足りないから改革がうまくいっていない」
      ↓
  法人の支配を貫徹させ、法人以外のアクターを排除し従属させていく

  合理的選択論
   自己利益を追求する有権者と政党が構成するマーケットによって政治が決められるべきだ                                                                            

◎ 《展望を開くために
                                  
  左翼は、個人を重んじることだ
  リベラル派は、新自由主義と決別することだ

  他者性、異質性を前提にした連帯を作る。

  未来像を語ること
  「コンクリートから人へ」
  「国民の生活が第一」
  「新しい公共」
  「出番と居場所のある社会」

※  リベラルが「反共」を克服し
   左翼が、リベラルを重んじれば 連帯が出来るし、出来なければ、どうしようもないと思う。

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シャングリラ・ダイアローグでの安倍演説

2015-03-27 18:44:29 | 日記

● 内田雅敏 「浅薄な歴史認識は何をもたらすか」を読んで
      『世界』3月号   
                                須山敦行

◎ 安倍首相に対して、また安倍の代理人として、知恵袋として、チラチラとその顔を、時々マスコミに出す萩生田氏に対して、実に鋭く本質的な批判を突き付けた、切れ味鋭い論考である。

◎ この浅薄な歴史認識の問題は、安倍寄りの人以外にも、多くの日本人の中にある重大な問題でもある。
  だからこそ、安倍が首相なのだ。

◎ 大切な既定の事実として、筆者は、まず
  歴代日本政府の戦争に対する公式見解を並べる。
  「軍国主義の反省」
  「植民地支配」「侵略」への痛切な反省
  が、そこにははっきりと提示されている。

  習近平に「歴代内閣の歴史認識を引き継いでいる」と述べた安倍首相は、本当に歴史問題に関する歴代日本政府の公式見解を知っているのだろうか

  安倍政権は、歴代の政権とは全く違った歴史認識を持つ、異形の政権だ

◎《 シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)での安倍演説 14.5.30》
  この演説には驚かされる。この演説から、安倍という存在を考えなくてはならない。

  「『積極的平和主義』のバナーを掲げたい……
   自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。」(安倍演説)

※ 安倍は、今国会の議論でも質問に答える中で、このような物言いを自分の言葉として繰り返している。彼の常套句になっているようだ。
※ これは、戦後の、九条の会のメンバーのことを言っているのではない。
  何世代にもというと、あの戦争の時代にも絡んでくる。
  そして、この演説の言葉の前後に、先の大戦に対する何らかの説明が無いならば、それは非常に問題である。
  そして、それは、無い。
  安倍は、彼ら自身が、「ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を」歩んできたんだと、誇らしげに語っているのだ。

  そして、安倍演説の続きである
  「新しい日本人は、どんな日本人か。昔ながらの良さを一つとして失わない日本人です。貧困を憎み、勤労の喜びに、普遍的価値があると信ずる日本人は、まだアジアが貧しさの代名詞であるかのように言われていた頃から、自分たちにできることが、アジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々として協力を続けました。新しい日本人は、こうした無私、無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点において父、祖父たちと変わりはないのです。」

  アジアが貧困なのは、日本人のように、勤勉でないからだ。
  アジアを開放してあげるのだ、 これは、先の大戦を為さしめた思想だ。
  そして、日本人の中にある俗論だ。

  そして、これは、靖国神社の 、 
  「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。」
  という 「聖戦」史観 に続いていく。

◎ 筆者は、続いて、特攻隊の始祖・大西瀧治郎像を巡って、萩生田氏の歴史認識の歪みを衝く。

◎ 安倍首相は
  過去と向き合うことが出来ない

  戦争の悲惨さに向き合わず
  自国の加害の事実に向き合わない
  
  それで、自らが破壊しようとしている戦後の平和主義を称揚してみせる

  恥ずかしい限りである。(筆者)

 
  「いとしい我が子や妻を思い、残してゆく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを片時たりとも忘れません」 (戦没者追悼式の式辞)

  彼らは、なぜ、ふるさとを遠く離れたニューギニアの地で餓死しなければならなかったのか。彼らの餓死がなければ戦後の平和はなかったのか。
  戦後の「平和と繁栄」は、若者たちの命が無駄に散らされたことを乗り越えて、なし得たものであり、彼らの死の故ではない
  安倍首相はこのような悲惨と無念の事実と向き合わず、「美しい日本の兵士」像を作り上げる。

  イスラエルを訪問した安倍首相は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を記憶するためのホロコースト記念館を訪れた。
  しかし、安倍首相は、中国を訪れても、南京はもとより、北京郊外にある盧溝橋には決して行かない。
  シンガポールに行っても、「日本占領時期死難人民記念碑」を訪れない。

  歴代日本政府の公式見解の意味を理解していれば、当然考え、言及すべきはずの、自国の過去を思い出すことが、安倍首相にはできない。

※ その安倍を首相に選んでいる日本人というものは、いかがなものか。

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恐ろしいが、知らなくては

2015-03-21 19:17:52 | 日記

● 藤岡惇 「新型核戦争システムと宇宙軍拡」を読んでのメモ
    『世界』3月号
                               須山敦行

◎ 読んで本当に驚いた。まことに驚愕するが、事実である。
  知ることは、恐ろしいことだ。とつくづく思った。
  一つは、宇宙戦争の実態。
  もう一つは、原発の持つ危険性の意味。
  まことに恐ろしいが、この「世界」の 現実である。知らなくては、なお恐ろしい。

◎ 私はうかつだったが、桜井よしこ氏は、大事な所をキチンと見ている。
 「二〇一二年九月五日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)法から『宇宙の平和目的』条項が削除され、宇宙の軍事利用を推進する主体が整えられた。JAXA法改定の方針を民主党野田政権が固めたことを、TPP参加、武器輸出三原則の緩和と並ぶ重要な決断として、ジャーナリストの桜井よしこ氏は称賛した。」
  桜井よしこ氏らしい、正確な反応だ。
  野田首相は、褒められた

◎ 米主導の現代の戦争が、「半宇宙戦争」という色彩の濃いものになってきている、という事実。
  無人機というものに、何か非常に不気味な恐ろしさを感じていたが、衛星の指示のもとに、ドローン(無人飛行体)によって宇宙から地上にしかける戦争が、リアルになっているのだ。

◎ 「第三次宇宙基本計画」は、日本が米国とともに、「宇宙でも戦争をする国」となり、米国戦略軍の指揮のもとで、日本の軍事衛星編隊が奮戦するためのものである。

◎ 二〇一五年一月九日に 宇宙開発戦略本部が開かれ、
  国会審議も公聴会も行われず、基本方針が決まってしまった。

◎ 北朝鮮や中国のミサイルが日本を狙っているではないか? と、今の報道の中で生きていて感じる。
  そして、
  ミサイル防衛(MD)の任務を、
  北朝鮮や中国その他の国が発射するミサイルから日本人の命と暮らしを防衛することだ
  と思い込んでいる人が少なくないが(私も、ぼんやりそんな風に思っていたが)
  それは幻想にすぎない。というのだ。

  MDの任務は
  ①宇宙衛星編隊という米国の基地の防衛
  ②地球上に広がる米国・同盟国軍のネットワーク型戦力の防衛
  である。

  そして、
  第二次世界大戦後、米国が開戦をした戦争の九九%は、米軍側の先制攻撃から始まった。
  さらに、
  1994年4月
  クリントン政権は、核開発とNPT脱退を宣言した北朝鮮への先制攻撃を検討し始めたが、
  「戦後(朝鮮戦争後)の国家建設が灰になる」と韓国側が抵抗し
  後方支援への要請と傷病兵受け入れに日本側が難色を示した上に
  カーター元大統領が北朝鮮訪問を敢行したお陰で、
  (かろうじて)先制攻撃は直前に中止された。

  米軍との圧倒的戦力差を考えると、
  北朝鮮や中国の核開発拠点やミサイル基地への米軍の先制攻撃から戦争が始まる可能性が強い
  その場合、北朝鮮や中国は残存ミサイルを応射して反撃するだろう.
    下に書くように、その《反撃の標的》が問題だ。

  MDとは、
  その応射ミサイルを撃墜し、
  米国の新型戦争システムを守るためのもので
  日本国民の命と暮らしを守るものではない。のだ。

◎ 《 宇宙戦争 宇宙衛星の攻撃 とは 》
 ・地上ないし航空機から 強力なレザービームを発射して衛星を故障させる
 ・認知されにくい超小型の「キラー衛星」を打ち上げる
 ・大型の衛星のなかに多数の小型キラー衛星を隠しておき、有事の際にキラー衛星を散開させ、敵の衛星に隠密裏に接近させ破壊する
 などなのだという。

◎ 《 矛は盾よりも強し
  盾を強化しようとしても矛の軍拡を誘発する結果となる

  そして
  「矛盾の商戦」で儲けるのは、死の商人たちだ

◎ 《 反撃の標的
 ① 地上施設 
   MDの前線基地でありながら、防衛体制の貧弱なXバンド京都レーダー基地のような所
 ② 宇宙衛星
   自国の衛星を撃墜する実験している
  宇宙での核爆発を起こすと、米国の衛星の電子機器は故障を起こすだろう
   宇宙での核実験を実際に行っている
 ③ 原発
   原発とは「ゆっくりと爆発する原爆」のこと
   この暴龍を飼いならし、「魔法のランプ」内に閉じ込め、電源として利用すること

   しかし、フクシマは
   ランプの簡単な壊し方があることを世界中の軍事集団に教えた
   
   どんな国、どんな軍事集団であれ、
   原発を攻撃する覚悟さえあれば、
   核爆発を生み出す能力を保有できることを示した。

   核大国が核爆発力を独占する時代は過ぎ去った
  
   というのが、フクシマの送る最大のメッセージであった


◎ 《新しいタイプの核戦争の「起こしやすさ」》

  ①宇宙での核爆発
  ②原発の爆発

  新型の核戦争は、伝統的な核戦争よりも「人道的」に見えるので、
  核戦争を始める上での抵抗感は小さくなるだろう。

  従来型の核抑止論の限界はいっそう明確となる。

◎ 《 日本の宇宙開発の進むべき平和の道 》

  ロッキード・マーティン社は 「核戦争仕様」 の 軍事通信衛星 を目指す
  軍産複合体にとって、残された数少ない「宝の山」が宇宙関連分野なのだ


◎ 《 MDをもとめる二つの力 》
 ① 米国の軍産複合体の要請に発する側面
 ② 安倍政権の独自戦略である「戦後レジューム」から「日本帝国の栄光の歴史」を取り戻したいという要請に発する側面

◎ 宇宙の脱軍事化 と 核兵器・核発電の全廃 とを 車の両輪として 運動していこう! と、呼び掛けて文章は閉じられている。

※ 目に見えない、宇宙空間で、軍需産業が暗躍している現実を知ってしまうことは、重苦しいが、いっそう平和への意欲を固めることである。

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表現の自由を巡って、「勇気」か「差別」か?

2015-03-19 15:05:28 | 日記

● 酒井啓子 「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」を読んで
   『世界』3月号
                                            須山敦行

◎ 少々私には難しい文章であったが、本質的な思考をしようとする視点は鋭く、力があり、惹かれる。
  自分は、この事件について明確な視点を確立出来ていなかったが、参考になった。

◎ 事には、本質的な対立項と、本質を見失って新たな問題を生んでしまう対立項、がある。が、この問題の実際の進展の中で、本質的な対立項が確立される局面が、そうでない状況へ進んでしまった、と指摘している。

◎ それでは、本質的な対立項とは、何であったのか、を論じている。
  そして、本質的な対立項を対立項たらしめるために、重要なムーブメント、考え方、は何であるか。その逆は何であったか、を示している。

◎ 《本質的な対立項》
   本質的な対立項は
  「暴力を行使する側と暴力の圧力に苦しんでいる人々」という対立項である。
  標語としては『私はアフマド』(襲撃犯の凶弾に倒れたイスラーム教徒の警官の名)
  「どこから来るにせよ暴力的急進派に対する戦い」
  「暴力と暴力に反対する対立項」

◎ 《ずれてしまった対立項》
   ずれてしまった対立項は
  「イスラームと欧米」という対立項
  「イスラーム=表現の自由に反対する者 と考える側」と「欧米=イスラームを侮蔑する者 と考える側」という対立項
  標語として『私はシャルリー』
  「表現の自由は宗教に対する侮辱を認めるかどうか」
  「リベラル派とイスラーム主義」

◎ 事件直後のアメリカのツイート の 鋭い指摘
  「撃った人が黒人なら黒人という人種全体が有罪で、
   イスラーム教徒ならイスラームという宗教全体が有罪で
   犯人が白人ならメンタルにおかしい一匹狼だとされる

※ 「民族、宗教による、一括り」 の 差別 に対する、鋭い見方で、我が国のレイシストにそのまま聞かせたい。

◎ 《「私はシャルリー」批判 タブー批判とは 勇気と差別》
  「イスラームへの侮辱を止めてほしい。とのイスラーム社会からの批判を、表現の自由に対する反対と位置付ける『私はシャルリー』の感性は、イスラーム社会内部に表現の自由を求める声がある、という事実に目を瞑る。タブーは、自分たちの社会のものについて挑戦することは勇気だが、他人のそれを笑うことは差別だ。」

◎ 《結論》
  今、必要で、欠けているのは、
  イスラーム社会内部からの「表現の自由」への志向であり、
  殺人をイスラームのテロではなく「個人の犯罪」と見なす欧米の視点だ。
  というのが、筆者の結論だ。

※ 本質的な対立項を捉える必要は、
  イスラム国の後藤さん惨殺事件などについての考え方にも重要だろう。
  それは、筆者のように、鋭い反暴力思想が根本にあって成り立つものだろう。

 

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4月例会から、第2水曜日に。

2015-03-16 13:11:42 | 日記

◎ 『世界』を読む会  4月例会 の 予定

● 日 時 4月8日(水) 午後7時
       今月から、原則、第2水曜としたいと思います。
● 場 所 喫茶アンデス 練馬区豊玉北5-17-9 井上ビル 2F
      電話 03-5999-8291
      練馬駅[A2]から徒歩約0分  
● 持ち物 雑誌『世界』4月号
● 連絡先 須山
      suyaman51@mail.goo.ne.jp

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