『世界』を読む会

寅さんの博も読んでいる『世界』を読んで、話し合おう。

未来を切り開く思想は?

2015-04-30 19:29:30 | 日記

● 内山 節 「現代日本の閉塞をつきくずす『地方』の価値と力」
は面白い の 二              須山敦行

◎ 《 未来を切り開く思想は? 》

 結論から言うと、未来を切り拓く思想は、マルクス主義、社会主義思想ではない、と言っているのだ。

 筆者は言う。
 「思想」とは、実践から生まれ、またその「思想」によって高められるという関係が大切だ、と。

 社会主義思想の中心のマルクス主義が「批判思想」にとどまらず、「体系思想」であったために、もたらしてしまった「幻影」の作用について述べている。
 マルクス主義が、思想体系に基づいて実践が成立するかのごとき幻影を、人間に植えつけてしまった。(ある思想に従って、)理念的な社会の構築が出来るという幻影を。
 それゆえに、現代のような、未来を指し示す思想がみつからない時代に、かえって絶望感をもたらしてしまうことになるのだと。
 一度社会主義思想を手にしたことによって、未来もまたひとつの思想体系によって提示できるという幻想が残った。(そこで、挫折した「社会主義者」は絶望し、多くの人も絶望感の虜になる。)
 しかし、それは、それによる絶望感は、社会主義思想がつくりだした幻影である。
 よく考えてみれば、
 ひとつの思想体系が未来をつくりだした歴史など存在しないのである

 筆者は続ける。
 しかし、
 今日、新しい社会のあり方を模索し、実践している人たちの思想はそのようなものではない。と。
 その人々は、
 戦後的惰性に従わない生き方を確立しようとして行動し、
 その行動を支える思想を実践をとおしてつくりだしているのである。と。
(筆者がいう、この人たちとは、
 「戦後の超克を内包するローカリズム」と呼ぶことのできる新しい人々で、彼らは
  ・自然と交流しながら生きることができること 
  ・農民にならなくても農的部分を取り込んだ暮らしが可能なこと
  ・手作りの生活が拡大できること
  ・暮らしと地域文化が一体になっていること
  ・他者を支え、他者に支えられる暮らし
  ・市場経済に完全には支配されないことが生み出す余裕
  ・時間に管理されない生き方 などを、示している。)

 筆者が言う、「戦後的惰性」というのは、「経済成長」を価値とする「資本主義」の中で、個人の利益を確保しようとする、保身的な、「個人主義」のことである。
 戦前も戦後も、その保身的な「個人主義」についての、「反省」がなされていない、という問題が根本的な問題だと言っている。
 それに対置しているのが、自然や住民やその他、他者の存在との主体的な関わりを構築しようとする人間のことで、「公」との関係を正面から捉えられる人間のことである。
 「利潤」のために、「人間」を破壊する、「自然」「地球」を破壊する、資本主義との対決をする人間でもある。

 「社会主義」という「理念」から出発するのでなく、目の前の「他」との関係から、実践的に関わる中から、それに対抗する、新しいものを作って行こうとし、それは、「思想」を育むことになる。
 ある意味、それは、「思想」(もしかしたら「社会主義」)への入り口である。

 しかし、
 思想体系たる「マルクス主義」を信奉する者も、その他の「社会主義者」も、何らかの実践的な課題を入り口として、やがてそこへ辿りついたというものであろう。実際、彼らは「無党派」、「市民派」に決して劣ることのない、実践的な目前の課題への鋭い挑戦者たちである。

 とすれば、(筆者があえて分けようとしている)両者は、そんなに違わない存在だとも言える。
 とても近い、あるいは、或る者にとっては、一人の中に両者がいるようなものでもあるだろう。
 それは、ことさらに、違いを強調するべきではないとも言える。
 より根本的に対立しているのは、本質的には、「御身大切(自分さえ)」と「みんなのために(他者を認める)」みたいなことである。
 だから、「社会主義者という理念的な存在」と「実践から出発する主体的な存在」という二種類の人間がいるのではなく、「理念的なアプローチ(観念的なアプローチ)」と「実践的なアプローチ(現実的なアプローチ)」があるということなのかもしれない。
 そのように、二種類の人間を、同一性を持った者として見る方が、将来への展望を拓きやすいという気もする。
 大まかに言い換えると、「共産党」と「市民運動」みたいなことである。
 共産党は最近とみに、労働運動に限らず、住民運動、市民運動に熱心であり、市民運動との共同を深めている。
 確かに、時に、市民運動を「敵視」することがある。理由は、市民運動の反共攻撃への対抗であったり、自らの優位性を言いたいような対抗意識だったりする(ずっと迫害に耐えて頑張って来たからな。それでも褒められずに)。
 市民運動も、反共を乗り越える傾向にある。反共を抜け出せないこともある。理由は、共産党の自己絶対化や独善性への嫌悪である。前衛党という指導者らしい自己認識に耐えられないということもある。宗教的で、考えないで上部に従っている主体性の無さに対する軽蔑もある。社会主義を名乗る外国の、あまりにみじめな姿への嫌悪感が、ダブルイメージになる要素もあるだろう。

 しかし、市民運動も、「資本主義の反人間的な暴圧」に対して、「保身的個人主義」を超えた人間存在の可能な社会を生み出そうとしているのだから、未来社会を描こうとする指向性を持っている。それをそのまま未来社会を描くところまで行ってしまっているのが、「社会主義者」だ。
 また、共産党員でも、日本共産党でも、マルクス主義学者でも、「未来社会」の姿をどれだけ明確に描き得ているかというと、そのイメージはあいまいではっきりしない。そこは、実際はよく読んでもいないマルクスに任せているような具合だと思う。将来の人間が決める、というようなスタンスなのではないか。
 そういう意味では、共産党も市民運動も、同じように、未来社会は、未解決の大事な課題として持っている、というところなのだ。

 私の結論は、共産党と市民運動の連帯だ。政治的には、共産党とリベラル勢力との連帯だ。そのお互いのやっていることにたいする敬意に基づいた連帯だ。それは、今のご都合主義で言うことではなく、ずっと永遠に近く、次々と現れ無限に存在する他者との接し方だろう。他者への敬意に基づく連帯は、未来社会が必ず内包する重要な要素だろう。

 そして、安倍自民党に、あれだけの票が集まるというのが、今の日本の現実だ。
 それは、内山氏が言うように、成長する資本主義の中で、保身を第一義に生きようとする、みすぼらしい「個人主義」が、人々を捉えているからで、現実の日本は、そういう人々が多数の社会なのだ。

 そして、利潤率の低下から逃れられない資本主義は行き詰まり、人々は、何やら新しい地平へこぎ出しそうな気配でもある。それは、反原発の市民運動であり、内山氏のよく見ている地域づくりの動きなどである。
 大きくは、脱成長、脱グローバリズム、そして脱資本主義である。
 その道は、はっきりしてきているような気もする。まだまだ見えない気もする。
 『世界』を読むのは、その道をもっとはっきり見たい、という思いから、人々が言っていることを知りたいのだ。
 私は、結構、そういうことに餓えている。

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戦争は終わっていたのか

2015-04-19 14:52:00 | 日記

● 内山 節 「現代日本の閉塞をつきくずす『地方』の価値と力」
は面白い の 一  『世界』5月号                  須山敦行

◎ 《 戦争は終わっていたのか 》

 筆者の戦後論は、私たちは「戦争を終わらせることができていない」という主張である。
 「敗戦国にとっては、なぜ戦争が起こったのかを検証し、戦争責任を社会として共有し、二度と戦争を起こさない社会をつくりだすことが戦後のはじまりである。」
 こういうことをやろうとしない。そのことを避けてきた。どころか、居直って、戦前体制を懐かしがるありさまだ。
 「日本として戦争の時代に決着をつけることであり、戦争の時代の延長線上に未来を描こうとする勢力とは異なる社会創造をすすめることである。」
 私たちは、「戦争の時代の延長線上に生きている」というのだ。

 筆者は、
 戦後、日本の人々は、
 「国家」と「公」を混同して、同一視し、「国家」を否定することから、「公」を欠落させた「むき出しの個人主義」というような、「戦後の個人主義」の時代をつくりだしてきた。 と言う。

 戦争の反省の中に、戦争体制に協力してきてしまったことを、
 それが「自分を守るため」だった、「個人主義的な動機」だったことが、見つめられ反省されずに、生き残った
 それは、今度は、「企業に雇用されさえすれば、個人主義的に生きていける」とし、企業のために働くという時代精神を成立させてきた。
 日本人は集団主義的だという説は誤りだ。そうではなく、日本的な個人主義が、あたかも集団主義であるかのようにみえる状況を作り出しているのだ。

※ 私の言い方で言い換えれば、他との関係の中で自主的な主体である、民主社会の主人公としての自己を形成しえないで、私利私欲に、自己保身にとらわれた「個人主義」が、戦争や企業競争を可能にしているのだ。他との関係や、「公」との関係で、主体的な存在としての「個」の確立が出来ないでいる、ということになる。
 それは、当然、資本主義社会での、何かを失った個人である。

 そして、筆者は、「都市」ではなく、「ローカル」な地域に、戦後の超克をなしとげる動きが生じているとして、若い年代層での脱都会の動きに注目して紹介する。
 (「むしろ「創生」しなければならないのは、市場経済以外の何者も存在しないかのごとく展開している東京のような場所なのである。」)

 それは、他者への視点をもつ、動きである。
 例えば、農業は、自然という他者との共同作業であり、同時に地域社会という他者との結びつきの上に成り立っている。
 そこでは、自分をふくむ他者の存在が必要だという視点がはっきり見えている。

 そこには、
 個人主義的な自己防衛と自己実現をめざし、しかし現実には、市場経済や国家のもとに吸収されながら出口を失った戦中、戦後という連続した時代とは異なる新しい生き方の時代を切り開く可能性がある。
 それらの動きは、新しい戦後をつくりだしていくことになるだろう。
 と言う。

※ 私なりに言い換えると、
 最近の農村回帰などの若い世代の動きには、自然や人間達、他者との深い交わりの中で、民主主義社会を作る主体としての自己を実現するような可能性が見られる。戦争を可能にし、戦後の経済成長中心の資本主義がもたらした、「自己保身」のために、他人は考えない「個人主義」を克服していく、ものが芽生えているのだ。
 このように、戦争を真に終わらせていくこと、日本の社会を真に変えていくことが、私たちの課題である。
 ということになる。

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これが本当の「地方創生」だ

2015-04-17 22:35:47 | 日記

● 結城登美雄 「小さなつどいとなりわいがつなぐ復興」
   『世界』4月号               須山敦行
                                                                       

◎ 政府が偉そうに上から掛け声をかけて、急げ急げとけしかけている「地方創生」とは、真逆の、未来の世界を切り拓く、地方の再生への道を紹介している、貴重な文章だ。

◎ 感動的な文章に、何度か涙した。

◎ 取り上げている、どのエピソードも、味わい深いものだ。
  筆者は、そういう仕事(地方の住民に即した生活を作る営みを応援する仕事)をしている人なのだ。

◎ 《川内村の餅つき部隊》

  自分も少々関わっている「川内村」のことが出て来て、いっそう惹かれた。
  お宅を訪ねて、お会いしたことのある、秋元ソノ子さんのこと。(秋元美誉さんの奥さん)が、紹介されている。
  「秋元ソノ子さんは、子どもたちに継いでほしいと季節ごとに一年間の行事を書き出したノートを作っていた。そのノートから、秋元家では餅を年間になんと四〇回もついていたことがわかった。」
  秋元家が、川内村で唯一、全ての農業に関わる年中行事を行っていると、井手さん(観光協会長)から聞いていたが、そして、お宅を訪ねた時も、部屋に大きな鯉のぼりが掛けられ、大事にされているお孫さんの坊やが出て来てくれたことが思い出されるが、餅を四〇回もついていたとは。そして、ソノ子さんはそれを意識的に行っているお方なのだと、知って、尊敬の思いを新たにした。

  筆者は、「これは川内の宝物だよ。」と若者たちに語り、彼らは自ら「餅つき部隊」を結成すると張り切りはじめた。
  ということだが、それは、実現したのだろうか。

◎ 《漁村のなりわいの復活とは》

  海に生きる人々は、天災、戦災に巻き込まれつつも、それに向き合って生きてきた。
  (「海難供養塔」「漁船殉職者供養塔」「海之殉難者慰霊碑」がいたるところに立つ)

  海を暮らしとなりわいの場としてきた人々は、親しい人の海での死への痛みや悲しみの記憶を抱えながら生きてきた のだ。

  「そうしたことに思いを馳せることなく、誰も反対できない『命』を盾に、海岸線に沿って巨大な防潮堤をめぐらすという案が、どのような感受性や想像力に基づいて出されているのか。私には理解しがたい。
   津波だけを絶対化するからこそ、防潮堤などというハードの整備でよしとしてしまうのではないか。」

  ※ ずるく、住民への思いやる心のない、防潮堤一途の、政府の復興策であることか。

◎ 《木の碑という提案》

  筆者の、岩手県大槌町の高校生・吉田優作君への提案は、
  「碑を石ではなく木製にしてみたらどうだ?」ということだ。
  吉田君は、それを受けて、「3・11復興木碑設置プロジェクト」立ち上げた。
   (文字が薄れ、木が朽ちるたびに、何度も何度も書き直す。記憶するために、忘れないために、後世の人に同じつらさを味わわせないために。)

 ※ 「3・11復興木碑設置プロジェクト」で検索すると、若い人たちの頼もしい取り組みが沢山見られる。
     http://www.collabo-school.net/myproject/yoshida.html
     Facebookにも「3.11復興木碑設置プロジェクト」というコミュニティがある。

◎ 《ともに食べて楽しむこと 村の自治の原点》

 「支配者への言い訳」  農民は、八百万の神仏の加護がなくては米は出来ない、と言って行事を行ってきた。
  五日に一度は餅を食べたという古老の話 もある。
  宮城県の各市町村では平均して年に三〇~四〇回も、ハレの食事である餅を食べていた ということだ。

  事あるごとに神仏を祀り、家族や仲間ともに餅を食べてきたのだ

  これが村の自治の原点 であろう。

  東北の被災地のお母ちゃんは、支援を受けてばかりで忸怩たる思いを抱いていた。

  筆者の提案で、お母ちゃんたちのごちそうをつくって、ボランティアの人たちにお返しをする場をつくろう と、取り組む。
  (※ 筆者の提案は、冴えている)
  「肩の荷がおりたような気がする」という、お母ちゃんの感想が象徴的である。

  新しいハレの日、を作ろう
  小さな集いの茶飲み話の中から、知恵を出し合おう これが、筆者の更なる提案だ。

  みんなで作り、みんなで食べ、みんなで楽しむ  これだ

◎ 《 復興 地域づくり は 日本づくり 》

 「戦後日本の教育は、企業社会に入っていくための教育ばかりだったのではないか。
  地域社会でどう生きていくか、そのやり方はまったく教えられてこなかった。」

 ※ 全くその通りだ。「地域」こそ、生徒が主人公の民主的な教育の中心課題だ。
   企業社会=資本主義社会=消費社会 を 作るための教育になっている

  「バッタリー村」 岩手県山形村木藤古集落 木藤古徳一郎さん を紹介。
   「このごろ若い人たちがここを次々に訪ねてくるが、東京や都市で何か起きているのか」

  「この村は、与えられた自然立地を生かし、
   この地に住むことに誇りを持ち、
   一人一芸何かをつくり
   都会の後を追い求めず
   独自の生活文化を伝統の中から創造し、
   集落の共同と和の精神で、
   生活を高めようとする村です。」
    (「村の目標、バッタリー宣言」)
      http://www.e-tn.jp/battari/
      http://www.e-tn.jp/battari/html/gaiyo.html
      http://www6.ocn.ne.jp/~kono/BATTARY/index.html で見られる。

  金ではままならない自然を相手に、我々に代わって食べ物を作り育ててきてくれた人々
  それを金で買うことに慣れきった人々
   との絶望的な隔たり  という問題 に 直面している のだ

  「金で買う暮らし」  か  「自ら作る暮らし」   か

  復興とは、
  「やっぱりここはいいところ」 だから、 「もう一度ここで生きていく」 そう決意した人々によってこそ担われ、実現されるものだ。

  そして、
  被災地が抱える問題は、 全国の農山漁村が抱える問題であって、
  日本全体が抱える課題なのだ。

※ つまり、日本をどうするのか、の課題に、正対することになる。
  買う暮らし による人間をこのようにしてしまう生活から、 作る暮らしを 根付かせる方向への転換のことである。

  この大災害が、なくても 直面していた問題である。
  さらに、行き詰まった資本主義から脱出する未来への道筋でもあると思う。

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いい加減に夢から覚めるべき時だ。

2015-04-13 17:27:51 | 日記

● 小出裕章 「核廃絶への道程」
       『世界』5月号                    須山敦行
                                                         〔p49〕

◎ 反原発の言論をリードする闘士、小出さんであるが、テレビやネットで、そのお話を聞いているが、文章を読むのは初めてかも知れない。

◎ 小出さんらしい、テレビで話すのと同じような感じの書きぶりである。
  率直な言い方で、ぐいぐい自説を吐露していくが、反論を批判したり、分からないことを分かるようにしたり、というふうな書き方ではないので、一方的という印象も残る。

◎ 複雑なことは言わず、ストレートに、言うべき事を言うというスタンスなので、よく分かり、人間性も出ていて面白いと思った。

《その主張から》

● 炉心が、どこにどのような状態で存在しているのか、四年たった今も分からない。(また、分かることは困難だ)

● 水による冷却を続けることに反対である。敷地に限りがあり、いずれにしてもこのやり方は破たんする。
  スズや鉛などの低融点金属による冷却、あるいは空冷を考えるべきだ。

● 地下水の流入を阻止するために、凍土壁でなく、遮水壁を作るべきである。

● 福一は、地上と地下に石棺を作って封印するしかない。

● 事故当日に発せられた「原子力緊急事態宣言」は、事故から四年たった今も継続中である。オリンピックなどに浮かれている時ではない。もしオリンピックに反対して非国民だといわれるのであれば、私は喜んで非国民になる。
  (※ 小出さんらしい言い方)

● 国は、一般の人の被曝限度の一年間に一ミリシーベルトをいつのまにか変えて、放射線業務従事者に対して初めて許される二〇ミリシーベルトの基準にして、危険な所に帰還させようとしている。
    
    http://momsrevo.blogspot.jp/2013/11/20.html に、いい資料があります。

● 私たちは原子力にたてついた科学者は、「熊取(くまとり)六人組」と呼ばれた。

● 「原子力マフィア」は、自分たちは決して罰せられないことを、福島事故の最大の教訓として学んだ。

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辺野古から、動く、動かす力!

2015-04-11 19:55:50 | 日記

● 寺島実郎×翁長雄志 「沖縄はアジアと日本の架け橋となる」
          『世界』5月号 から                         須山敦行                      〔p37〕

◎ 今回の、辺野古問題の推移、翁長知事の当選、その後の闘いが、全体として、歴史が現実が大きく変化していく、今までにない新しい動きの、重要な一歩を踏んでいることなのだ、と、「あれが転機だったのだ」というような、重要な変化であることに、目を開かされる対談だった。

◎ 時の人、翁長知事は、何を考えているのか、マスコミの報道では分からないレベルのことが、深く突っ込んで語られていて、それを聞き出した、寺島氏にも称賛を送りたい思いだ。

◎ しばらく前まで、沖縄独立論に対して、ちょっとそれは恐ろしいものと受け止めていた自分だが、この事態の中で、それを学ぶ?ことの中で、それくらいの変化も視野に入れて沖縄のことを見るような度胸が据わるような気がした。
  これを機に、いくらか沖縄理解が進んだ。日本全体で、これを機に、沖縄理解をどれだけ進められるかにも注目したい。

◎ 歴史的な、日本の沖縄に対する差別の存在。それは、朝鮮に対する差別と類似したものである。このように、沖縄と朝鮮が並列されることに、一種の違和感を持ったが、それが現実だという面がある。

◎ 日本の侵略戦争の歴史さえ、真っ直ぐにそれを見ることを拒否したい現政権であるが、沖縄の歴史を真っ直ぐに見つめることができるだろうか。
  沖縄は、目の前に基地を見ている。だから、歴史の現実を見ている。歴史を見ないようにしようとする現政権。歴史から学ぶことができない現政権。歴史から未来を見ようとする沖縄。沖縄が、私たちに、現実、歴史、未来を見る目を与えてくれる。

◎ 沖縄から基地をなくすこと。日本が本当の平和国家になること。平和国家としての日本が世界の平和のシンボルとして力を発揮すること。それこそが、本質的な意味で、軍事で世界を動かそうとする野望に勝つことであり、中国などの軍拡の脅威に勝つこと。

 

《 本文からの「抜き書き」 》


●寺島 「世の中には代替案を出せ、辺野古がだめならどこか別のところを出してみろと言う人がいます。私はその議論をやめろ、と言っているのです。それは、普天間の安全性を毀損した米国に、検証して代案を提示する責任があるのであって、日本側がどこかで引き取ってもらえないだろうかと持って回るような類いの、迷惑施設の立地問題と全然違う。」

●翁長 「私は、『振興策を利益誘導だというなら、お互い覚悟を決めましょうよ。沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくして下さい。そのかわり基地は返してください。国土の面積〇.六%の沖縄で在日米軍基地の七四%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか』と言ったのです。」

●翁長 「四七都道府県の中で、沖縄には日本国から来た在沖縄大使がいらっしゃるのです。」

 ※ それは、驚きだ!

●翁長 「外務大臣も防衛大臣も、結局何をおっしゃるかというと、『アメリカが後ろで反対するんだよ』。そうすると、もうアメリカと対話するしかないのか、ということなんですね。」
    「アメリカという国の底深いところに私たちはもっと足を踏み入れて、議論もして、事態をつき動かす可能性もあるのかなと思っています。」

●翁長 「辺野古について再考することが、日米関係、日米安保体制を問い直し、さらには米中、日中関係を、尖閣問題をどうするかという、たくさんの課題を整理し改善していくことにつながる。だから私は、まず基地問題に取り組んでいきたいのです。」

●翁長 「沖縄は、あまりにも中国に近すぎて、ミサイル数発で普天間と嘉手納が吹っ飛んでしまう。………アメリカは沖縄にいる米国人のことを心配していて、もしも中国との関係がもっとややこしくなってきたら、いつの日か突然、沖縄から出て行くのではないか、とまで私は思うのですが。」

●寺島 「変化していく事態、状況に対して、私たちは何もたじろぐことはない。」

●翁長 「安倍首相は第一次内閣で『美しい日本』と、そして今回は『日本を取り戻そう』とおっしゃっています。即座に思うのは『そこに沖縄は入っていますか』ということです。そして『戦後レジームからの脱却』ともおっしゃいますね。しかし、沖縄に関しては、『戦後レジームの死守』のような状況になってしまっています。そしてそれは、アメリカが離さないのではなくて、どうも日本がそのような状況を変えないぞと言っているように、沖縄からは見えるのです。」

●翁長 「沖縄の基地問題の解決は、日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー、世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。
 辺野古の問題で、日本と沖縄との関係は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが、そうではないのです。
 沖縄の基地問題の解決は、日本が平和を構築していくのだという意思表示となり、沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。様々な意味で沖縄はアジアと日本との架け橋になれる。」

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