《 9月号 私の注目した三点 》
● 巻和泉 ・「変革の時代に生きる」 内山節小森陽一×西谷修
・「社会規範が液状化するスパイラル」 小森陽一×西谷修
・「立ち往生する台湾第四原発」 鈴木真奈美
● 須山敦行 ・「民主主義の咲き誇る都市へ」 朴元淳
・「『本土の沖縄』化という言葉」 親川志奈子
・「『農村たたみ』に抗する田園回帰」 小田切徳美
《 9月号 私の注目した三点 》
● 巻和泉 ・「変革の時代に生きる」 内山節小森陽一×西谷修
・「社会規範が液状化するスパイラル」 小森陽一×西谷修
・「立ち往生する台湾第四原発」 鈴木真奈美
● 須山敦行 ・「民主主義の咲き誇る都市へ」 朴元淳
・「『本土の沖縄』化という言葉」 親川志奈子
・「『農村たたみ』に抗する田園回帰」 小田切徳美
巻君からの投稿です。
『世界』九月号の内山論文を読んで
巻 和泉
『世界』九月号でもっとも興味深く読んだ論文は、内山節の「変革の時代に生きる」だった。彼ははじめにジョン・リードの名作「世界を震撼させた十日間」を取りあげている。「革命など存在しないかのように以前と変わらない価値観を守りつづける人々も、日々の暮らしのことだけを考えている人たちもいた」という。しかしこうしたロシア社会の分解と分裂が革命の序曲を確かなものにしたとして、これとの関係で現在の日本社会を見ようとしている。その問題意識にまず共感した。
安倍政権が「国民主権」と真っ向から敵対しているのは、秘密保護法の強行や集団的自衛権の閣議決定、あからさまな原発再稼働路線に限らない。生活保護基準の引き下げにはじまる社会保障の削減と消費税増税、さらに労働環境の悪化は目を覆うばかりに進んで、国民生活は破壊される一方である。国民の教育権も風前の灯である。国家による統制が行き渡って、教師と子どもたちの自由で清新な交流は夢の世界になりつつある。しかしこうしただれの目にも反国民的な極右独裁政権である安部内閣に対する支持率が、いまなお五割前後を維持しつづけていることは、僕にとってはどうしても理解できない大きな謎だった。
内山論文は、ヘイトスピーチに狂奔するような極右勢力とは異なる立場から安部内閣を支持している、「無気味な」人たちの正体に光を当ててくれた。安部内閣を支持する人たちの僕のイメージは、右翼以外にはアベノミクスで株が上がると当て込んで小金を投資した小市民といった程度のものだった。僕の想像はそんな程度で止まっていたので、それだけに安部内閣の支持率の高さには、得体の知れない「無気味な」ものを感じていたのである。
内山は「今日の日本社会には、大きく三種類の人々が存在している」という。それは、①「高度成長とともに成立した戦後の価値観を守り抜きたい人々」、②「強い国家を目指して戦後を見直そうとしている人々」、③「新しい社会づくりを志してその視点から戦後を見直そうとそうとしている人々」である。②に属する人々は、安倍内閣が進めようとしている極右と新自由主義が結びついた超国家主義的な政策を積極的に支持しているのだろう。そういう一群の人たちが今勢いづいていることは、僕にもわかっていた。それから③に属する人たちとその考え方も、内山がいうほどに大きな勢力かどうかは別として、その存在は僕にもかすかではあるが感じられる。新鮮でなにより興味深く感じられたのは、①の「高度成長とともに成立した戦後の価値観を守り抜きたい人々」についてである。はじめは「戦後の価値観」が何を意味しているのかがわからず、読み飛ばしていた。しかし何度か読み返すうちに、以前僕が抱いていた疑問にも結びついてきて、この種の人々の存在が具体的なイメージを伴って浮き彫りになってきた。
六〇年代後半か七十年頃のことで、たぶんベトナム戦争に反対する集会でのことだったろう。ある同世代の青年が自分の悩みを打ち明けた場面が忘れられない。彼は三菱重工に就職が内定していた。しかしその三菱重工が兵器を作っていることが、彼の悩みだった。どういう経過でそんな悩みが語られることになったのか、それに対して自分を含めてみんながどういう風に応えたかも覚えていない。おそらく当時僕が所属していたサークルの周辺に三菱重工の重役の娘がいたこともあったのだろうが、彼の悩ましげな様子が妙に生々しく記憶に残っている。当時の青年は自分の人生の実現と企業への就職は一応別のことと考えていて、どちらかというと前者の方に重きを置いていた。どのように自分の人生を生きるかという発想の中で、企業への就職を選択していたのではなかったか。
しかしその後急速に日本社会は変質していく。全共闘運動などで一世を風靡した若者たちは、その後一転して企業戦士として身を粉にして働くようになったかに見える。家族を顧みないで仕事に邁進することを美徳とし、生き甲斐とする男たちが出現した。そういえば当時「マイホーム主義」という言葉が横行して、家族のうちに留まろうとする男たちを揶揄したものだった。もちろん僕は自ら「マイホーム主義者」を標榜し、子どもが生まれればさっそく写真をだれかれとなく見せて回るような男だった。論文で内山がいうように、僕自身も田舎のしがらみを嫌って東京に出てきた一人である。上意下達や強制や規則などという縛りには、なかなかなじめないものがあった。だからついに「就職」というイベントは僕の人生には訪れなかった。自分はいったい何をやりたいのか、いつまで経っても掴むことはできなかった。考えてみればそうやって長いモラトリアムの時代を生きているうちに、いつのまにか予備校業界に入りこんでいたのだった。
当時居酒屋で飲んでいると、隣のテーブルに座ったサラリーマンの話題がよく耳に入った。彼らの話が同僚や後輩の評価に及ぶとき、「Aはダメだよ、あいつは仕事ができん」という言葉を聞くことが多かった。Aという人の人生は、仕事ができるかどうかだけで判断されていた。傍で聞いているかぎりで仕事の中身はわからない。しかしそれがどういう仕事であれ、その仕事の中身が彼の人生にとってどういう意味を持つのかはまったく問題にされない。それがどういう仕事であれ、その遂行に有能であるかどうかが、人間的な評価の中心軸に座っているのだった。独自の人生観や世界観、モラルや正義、思いやりややさしさ等は、会社の仕事の遂行にあたっては邪魔なものであり、同僚や後輩を人間的に評価する際のマイナス要因にしかならない。自分の人生を丸ごと会社に預けてしまって、どんな無理難題や過酷な残業にも果敢に挑む人たちが大量に出現していた。会社に隷属している現実に目をつぶり、みずからを「企業戦士」として鼓舞する人たちである。戦後の高度成長期に、僕もその一人だったが、多くの若者が田舎の封建的なしがらみを嫌って「自由な都会」にあこがれて出てきたのだった。田舎は封建的で、都会は自由にあふれているという偏見を、たしかに当時の僕たちは普遍的に身につけていたように思う。内山は、これこそが「戦後イデオロギー」だったのだという。そして今かつてのこうした企業戦士たちが、かつての強い企業と経済を求めて安倍政権との奇妙なタッグを組んでいるのだという。安倍政権の正体が極右と新自由主義の合体であることはいうまでもないが、これを支える「無気味」な人たちが「高度成長とともに成立した戦後の価値観を守り抜きたい人々」であるという内山の指摘で、その正体がすこし見えてきたような気がする。
吉田君から、ブログ宛てに投稿があったので、掲載します。
吉田君、ありがとう。
「『平和の党』はなぜ集団的自衛権の行使を認めたのか」を読んで
吉田等
中野潤という人を知らなかったので、ネットでちらっと見てみたら、09年の都議選後にも世界9月号に学会・公明党に関しての文章を書いていた。学会・公明党ウォッチャーのようだ。
ウォッチャーらしく、学会・学会婦人部・公明党などの内部事情や個々の動きについて詳しく書いている。はじめて知るような事も多い。しかし、ここから導き出されているのは、誰がああ言った、こう言ったと言うようなことではなく、「最大の問題は、協議の過程で公明党の構造的な弱点が露わになったことだろう。すなわち学会が標的にされると組織防衛のために権力に擦り寄る習性が党幹部に染み付いているいることだ。」(167頁中段)ということである。
公明党は誕生からして、学会を伸ばすため、学会を守るため、国立戒壇を建立するために作られたのであって、学会から自立して政治活動をすることはできない。(最近では学会を守ることは池田大作を守ることになっている。)だから単なる「習性」というよりは「絶対的要請」というものだろう。
「習性」といえば、小沢一郎、野中広務、亀井静香のような人たちが公明党を脅して、意のままに動かすために、政教一致、池田国会喚問などをちらつかせてきた。今回は飯島勲がその脅しをちらつかせたわけである(当然、飯島個人の発想でも行為でもないだろう)。それこそがもう「習性」となっているのである。何かうまくいかないことがあったら、その脅しをちらちらさせればいつでも公明党はおとなしくなって従ってくる。まるで魔法の杖のようなものであり、双方にとって習慣化して抜けられなくなっている「麻薬」である。
だから、結局、公明党は「政府・自民党の暴走を阻止でき」ない。「政府・自分党の暴走を阻止できる現実的な勢力は公明党しかない」(168頁中段)とは言えないだろう。また、この見方は国会の中の政党の数だけで物を見て言っているだけだ。これでは、私たちが何をしても、何を言ってもまったく無駄だと言うことになる。官邸前行動などの国民の運動の力を評価していないのだろうか。
また、今回の公明党に対する佐藤優さんのような評価(筆者の中野さんの評価も同じようかと思われる)には大いに疑問がある。結局は「大丈夫ですよ」という安倍さんの言葉を信じてしまうのと同じことになっているのではないだろうか。それは言いすぎでしょうか。
一人ぼっちだったらどうしよう。予約してあるのになあ。
何とか、一人ぼっちは避けられましたが、準一人ぼっちでした。
でも、意気盛んに実行しました。
それぞれが、気に入った三点を交流すると、意外と、自分がたまたま読んでなかったものだったりして、
それなら、そこも読んでみたい、と思うような、話し合いになりました。
また、前回参加の吉田君から、参加出来ないけれど、ということで、
感想が寄せられました。
次回のブログに掲載させていただきます。
そして、来月もやるぞ。
人を増やそう。
参加出来そうな人の予定に合わせて、水曜日に。
◎ 『世界』を読む会 10月例会 の 予定
● 日 時 10月8日(水) 午後7時
● 場 所 喫茶アンデス 練馬区豊玉北5-17-9 井上ビル 2F
電話 03-5999-8291
お店を予約しています。
練馬駅[A2]から徒歩約0分
● 持ち物 雑誌『世界』10月号
● 連絡先 須山
suyaman51@mail.goo.ne.jp
『世界』を読む会 の 9月例会が、来る18日に迫りました、が、
参加希望者からの声が届きません。
ピンチです。
練馬の喫茶店「アンデス」には、席を予約してあります。
呼び掛け人の私が一人で、ポツンと孤独な夜にならないように、
参加を募ります。
是非、是非、来て下さーい!
◎ 『世界』を読む会 9月例会 で 感想を交流しよう
● 日 時 9月18日(木) 午後7時
● 場 所 喫茶アンデス 練馬区豊玉北5-17-9 井上ビル 2F
電話 03-5999-8291
お店を予約していますので、大勢集まってほしいなあ。
練馬駅[A2]から徒歩約0分
● 持ち物 雑誌『世界』9月号
● 連絡先 須山
suyaman51@mail.goo.ne.jp