● 室謙二 「『参加する心』が不安と否認を開く」
で、意見交流をしました。
《 タモリの言葉 》=〈 内輪話の言葉 〉 p140
タモリとゲストは早口で、笑いながらテレビタレントと仲間の内輪話をしていて、それを見ている観客も笑う
日本のメディアはいよいよドメスティックになっていくように見える
《 安倍首相の言葉 》=〈 操作的な道具 〉
「状況はコントロールされています。これは私が保証します。」
それは事実を指し示す言葉ではなく、言葉と使われ方がどのような効果を持つかということが重視されている言葉である。
アベノミクスに関して多くの人は、その恩恵にあずかっているとは思っていないにもかかわらず、その経済政策を支持する。これがアベノミクスという言葉の効果である。
安倍首相にとって言葉(たとえば改憲)は、日本を変えていく操作的な道具なのである。
《 天皇皇后の言葉 》=〈 人間としての言葉 〉
人間として福島の問題に率直にふれている。
そこから、最近の天皇、皇后の発言のことに話題は行った。
◎ 池澤夏樹「終わりと始まり」の「弱者に寄りそう」(朝日新聞) でも、天皇皇后がとりあげられていた。
◎ 高橋源一郎の「論壇時評」で「皇后陛下のことば 自分と向き合って伝える」(朝日新聞13/10/31)は、さらに刺激的である。
以下は、紹介されている皇后の言葉である。
「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」(国際児童図書評議会ニューデリー大会基調講演)
「今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」
『五日市憲法草案』についての思いを吐露されて
「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えた」
と書かれた後
「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識」
と続く
皇后は、「暮しの手帖」の共同創刊者・大橋鎮子、現憲法制定に深く関わったベアテ・ゴードン、岩波ホールの高野悦子といった人々の名をあげ、
「私の少し前を歩いておられた方々を失い、改めてその御生涯と、生き抜かれた時代を思っています」(宮内記者会の質問に対する文書ご回答)
「わたしは、皇后のことばを読み、それから、そこで取り上げられた人たちのことばを、懐かしく振り返り、彼らのことばには一つの大きな特徴があるように思った。彼らは、「社会の問題」を「自分の問題」として考え、そして、それを「自分のことば」で伝えることができる人たちだった。そして、そのようなことばだけが、遠くまで届くのである。(高橋源一郎)
◎憲法の平和主義、主権在民の民主主義を大切にする天皇皇后。
そして、『正論』では、八木秀次(麗澤大学教授)なる人物が、「天皇皇后の現在の憲法の評価の言葉は、安倍内閣がすすめようとしている憲法改正への懸念へのように国民にはうけとられかねない。こういうことは、現憲法では許されない天皇の政治的な行いではないか。」と天皇といえども、憲法を守る発言をすると批判されるような状況が現出している。
私たちは、天皇皇后とも同じ側にいて、統一戦線が組める、ということが、言えるかも。
《不安と否認》
不安が存在する。それへの対応が否認である。
それは防衛本能で、受け入れがたい事実に直面した場合に否認する(ごまかす)ことで自分を守る。
経済政策の恩恵を得ていないと感じるのだが同時にその経済政策を支持する、と世論調査の数字にはある。
安倍首相の「安心しなさい、私が保証します」という言葉に頼っているのである。
《それ、三界は、ただ、心一つなり》
だまされないための「心の持ち方」
現実にどのような心で対応するかが重要である
すすんで心をひらき現実を受け取る。負けない楽しい心が重要なのである。
こちらから進んで、不安を受け取らない。
安倍首相はひとびとの不安を利用する。
私たちは、コンパッション(compassion=共感)を必要としている。
コンパッションがあって知的な理解が、批判が本当のものになっていく。
参加する心の持ち方である。
事実と不安を受け入れる以外に方法はない。それが安倍が意味するのとは別の「安心」と、「批判」にむかう道である。
安倍首相の言葉に対する批判精神を鋭くしていくこと
◎ この章の表現は、『世界』らしくなく、わかりにくい。もっとやさしく私を分からせて。
などという、話し合いもしました。 (つづく)