● 最上敏樹 「『醒めた規範的リアリズム』に寄せて」を読んで
『世界』12月号
須山敦行
◎ 坂本義和氏とは
私は、坂本義和氏の著書を読んだことがなく、新聞での論考に触れたことがある程度で、よく知らなかった。
◎ 国連警察軍による日本の防衛
『核時代の国際政治』の中の「中立日本の防衛構想」で、〈国連警察軍による日本の防衛〉という政策提言をしているそうだ。
私には、具体的で有効な政策であると思える。
常々、世界に許される軍事力は、一切の国際紛争を許さないという目的のみのものであり、それは「国連軍」的なものであると思っていた。自衛隊は、国連軍に編入すべきと。
それに近い論考が、こんな著名な学者にもあったと知って、嬉しく思った。
◎ 『軍縮の政治学』
『軍縮の政治学』では、論理的に、核抑止論を「奇妙な論理」と批判している、という。
抑止の関係に立っている二つの国は、それぞれ、自分は核を使わないが相手は使う可能性があると考えている。しかし、相互抑止と言うからにはそれぞれの立場が互換可能でなければならない。互換可能性を前提として核抑止の安定を考えると言うなら、それは両方とも核を使わないという意思を持っており、かつそれが相互に確証できる場合だけのはずだ、と言うのである。かくして結論はこうなる。それが確証できるのなら核兵器は不要であり、不要であるならなぜ廃棄しないのか。と。
聞く者に納得させる論理の必然性が重視されていることの例として、出された部分であるが、私の頭にはうまく理解出来ない。
『軍縮の政治学』は岩波新書なので、原文を読んでみるべきか。
◎ 厳しい「現実主義者」
いわゆる「現実主義者」から、「理想主義者」と規定されたりするが、
厳しい「現実主義者」であったと言うべきであった、と言う。
第一に、現実を見る目が精確無比で狂いがないこと、
第二に、そこから導き出す結論あるいは提言が現実から遊離していないこと。
「力」の支配を是とする「現実主義」が、本当に現実的だと言えるかどうか。
「力」とは、国際政治の現実では「暴力」と同義になる。
直積的暴力(戦争など)でも、構造的暴力(開発格差による貧困など)でも。
いずれも、どこかで、多数の犠牲者を生み出している現実。
そうした現実を、「自分には関係がない」と言って是とする自由もあるかもしれない。
そうした暴力の現実を是としない自由を誰もが持っている。
違いは、その種の犠牲者に対する共感の度合いである。
坂本義和に
論証以前の信念というものがあったとすれば、それは
このような他者への共感であっただろう。
『経済学と世界秩序-世界秩序モデルの構想』
「世界を一つのシステムとしてとらえる視座に立つというとき、
それはすべての人間の平等性という価値観を前提にしている」
「人間がある国なり社会なりに生まれ落ちたという事実は、人間としての本質的平等性を変えるものではない」。
これは理想主義かどうかではなく、社会分析に血が通っているかどうかの問題である。
人権の尊重という「理性的な観念」の基礎として「他者の尊厳に対する感性」の共有を重視すべきだ、と言明している。
脱犠牲者化などという概念も形成された。
種々の不条理な犠牲者を世界からなくしていくこと-「人間の本質的平等」という観念と、それは、全く軌を一にしている。
※ つまり、現実に目を向けて、犠牲者の存在に目をそらせず、「暴力」の現実にひれ伏して、被害者に対する共感を投げ捨てないで、他者の尊厳を踏みにじらないで、という所が、厳しい「現実主義者」の出発点であるということだ。
◎ 理想主義と現実主義
理想主義と現実主義の対立 というが、
この双方とも、世界政治の現実に根ざしているという意味では、ともに「現実的認識」であり、
その錯綜した動向のなかのある動向を伸張させることに、意識的に力を籍しているという意味では、
いずれも意欲を含んだ、価値志向的な認識なのだ。
ものごとの 両義性と錯綜性に周到に目配りし、
相反するかに見える認識が実は価値志向性において共通している
という事実を見抜く能力
「醒めた規範的リアリズム」
陶酔的ではなく醒めたリアリズム
ただの現実肯定ではない規範的なリアリズム
心は熱く、頭は冷静に のようなこと
かくありたし、
かくあるべし
と思った。