『世界』を読む会

寅さんの博も読んでいる『世界』を読んで、話し合おう。

zoomの『世界』を読む会・1月例会は7名で。

2022-01-31 19:44:44 | 日記
zoom『世界』を読む会・1月例会の報告
 
 1月28日(金)、zoomの『世界』を読む会、1月例会を行いました。新しい方がお2人加わって、7名の会でした。
 
■ 第一テーマ・飯田哲也「複合危機とエネルギーの未来」
・飯田哲也の斎藤幸平批判に惹かれて読んだり考えたりしたが、そうすると、飯田哲也には資本主義に対する批判的見方が欠けていて資本主義に包摂されてしまっていると思うようになった。
・資本主義への批判がないことから、モビリティへの批判的な視点もない。
・自分は、「グリーン成長と脱成長との間のギャップを埋める」と言っているようだが、そうなっていない。〔p.201〕
・このお陰で『「人新世」の資本論」』を読み返すことになったのだが、読みが深まる程にその内容に納得している。
・COP26で確認された、二〇五〇年に温室効果ガスをゼロにする目標の実現のためには、エコモダニズムには出来ない技術を持ち出していて現実性がない。一方「脱成長」も飯田氏の言うように政治的・経済的な現実性はない。飯田氏は、GN(グリーンニューディール)が解だという主張ではないか。すでにある技術で解決できるということで賛成だ。
・日本政府は原発も進めたいし、エコモダニズムの立場を言っているようだ。
・太陽光エネルギー礼拝のようになっているが、再生エネルギーは太陽光だけではない。再生エネルギーという大きな括りで考えるべき事だ。
・電気自動車と言っているが、電気製品であって、日本の自動車が全部電気になったら、原発10基分くらい必要ということだと電力政策はどうなるのか。
・経済成長の中に科学技術の発展が含まれているとすると、人類史を見ても経済成長を否定するのは無理ではないか。科学技術とその思想の発展は止められない。生活の質(quality of life)を下げるということは難しい。野放図な経済成長は良くないが、脱成長は、いい悪いでなく、無理だろうと思う。
・飯田氏が言っている「太陽エネルギー文明」というのは、地球に照射する太陽エネルギーの総量は相当なもので、それを何%か使えれば人類が使う位は簡単だという論文がいつかあったが、そのことだと思う。
小野塚知二 「人類は原料革命から卒業できるのか?」2020年7月号 「現在、人類が一年間に消費しているエネルギー総量は約一三一PWh(一三・一京Wh)である。
 地球が太陽から一年間に照射されているエネルギーの総量は一五二万PWh(一五二〇〇〇京Wh)である。
 地球に吸収される太陽のエネルギーのわずか〇・〇一二パーセント(八二〇〇分の一)を人類のさまざまな活動に必要な仕方に変換できるなら、現在消費している一三一PWhをまかなうことは可能なのである。」〔p.111~112〕)これかな?
 
■・米山リサ×板垣竜太「共振する日米の歴史修正主義」
・「慰安婦有責論」「コリアン有責論」「機会主義的エリート論」「トランスナショナルな腹話術」「反アファーマティブ・アクション」「忘却の共犯関係」などの用語の解説をしながら、「日米で共振している歴史修正主義」ということを、郡山さんから解説。
・新自由主義と歴史修正主義のつながりの説明がよく分からない。どのように交差しているのか。
・朴裕河『和解のために』に感動したが、ここでの批判的な評価の内容がつかめない。従軍慰安婦問題での日本の中での運動家の中の対立があるが、この論文はそこに分断を持ち込む内容ではないか。
・ラムザイヤー論文への批判が強く、五月号でも批判していて、終わったことと思っていたが、そう簡単に片付けられない問題だったのだなと分かった。日本で百田などという者に対する読者層があることをどうしたらいいんだろう。ファクトチェックを乗り越えてしまう確信犯的な読者層の存在を。
・ゲーム理論のような自分を「客観的」だと思っている研究者は、だいたい自国のやっていることをおおむね「正しい」「穏健妥当」だとし、問題を問う人を「偏向」と考える、〔p.254〕というところから、日本国民の中に広くある認識との共通性を感じた。
26日の東京新聞の投書「成人式に党チラシ不要」と言う題で「常識をわきまえて行動して下さい」と書いている。「常識」と言う言葉の先には、「非国民」という言葉が待っている。政党のチラシを「政治的」と思っているが、式の演壇の日の丸やそれにうやうやしく礼をすることは「政治的」だと思わないで、自分は「客観的」な「常識家」だと。思っていることと同じだと感じた。
・ゲーム理論で扱う人間は、歴史性や支配関係や個性を無視した純粋に同質な者のように考えて行動を予見する。
・ラムザイヤー論文は産経新聞が大々的に取り上げて、そこから韓国で話題になった。最近の「週刊新潮」にラムザイヤーの反論が載っている。(ラムザイヤーのことは世間は知っているのか、に答えて)
・慰安婦を巡る攻防の主戦場が、アメリカを舞台にするようになっていることから、日本の歴史修正主義者がアメリカでどうにかして欲しい思うなかで、こうなった。(「第二次安倍政権期になって、いわゆる「パブリック・ディプロマシー(広報文化外交)」が強化」され、アメリカのマグロウヒル社の教科書の「慰安婦」記述に日本政府が外交ルートを通じて修正を求めた)下の〔p.221〕
・ラムザイヤー論文への批判の声は、アジアを中心に世界中の学者、学会から巻き起こった。(日本学術会議問題で、圧倒的な学術団体から声明が挙がったように。)
・米山さんが難しく言っていることを、板垣さんが分かりやすく言い直しているようなところが何度かあった。
・アジア女性基金の元慰安婦への理事長の手紙(1996年)はとても感動的な文章だ。保守中道までを含んだ広い組織だったが、その「道義的責任に基づく償い事業」と言った「道義的」がけしからん、「法的」でなければと批判する「挺対協」などの立場があったが、朴裕河はアジア女性基金を評価する立場。『帝国の慰安婦』で元慰安婦から告訴されている。どう解決へ向かうのか、この対談では分からない。
 
◎ ZOOMの『世界』を読む会、2月例会 の予定
 ●日 時 2月25日(金) 午後7時~9時半
  ※ 月末の金曜が定例です。
 ○共通テーマ
  ・「再審制度の改革はなぜ必要なのか」  鴨志田祐美
  ・「頭とこころでつまずく」        中村真人
    ・「世界最大の分散型記念碑」【1月号】
 ○参加ご希望の方は連絡下さい。案内を差し上げます。
 ● 連絡先 須山
            suyaman50@gmail.com
 
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小岩の1月例会は、zoomで、5名参加でした。

2022-01-26 13:39:17 | 日記
小岩の『世界』1月例会の報告
 
 小岩の『世界』を読む会・22年1月例会は、1月20日(木)7時より、今月もzoomで開催されました。参加は5名でした。
 
■ 第1テーマは・金平茂紀「「赤木ファイル」を読む(上)」
・政府の対応は、ここまでひどく話が通じないということに驚いてしまう。
・直接に事を担当した中心の張本人は杉田氏だが、その上が問題だが、そこはこの文章では分からない。それが裁判で明かされるのだが、その裁判がないものになってしまった。
・日曜日に本庁からメールが来て、慌てて動いた様子が描かれているが、異常な動きで驚く。そこからは確信犯を感じる。公務員の人間関係の異常さが感じられる。
・「赤木ファイルとは?」ということを、公的なもの(作らされたもの)、私的なもの(勝手に作ったもの)、本来改ざんされた後のものが文書でそれしかないはずのもの、しかし赤木さんが記録して職場に置いたもの、など意見交換して把握しようとしました。難しい。
しかし、池田さんがその存在を明かした様な具合だ。
・人事で縛るのだな、と感じる。最後に金平さんが書いているように、もみ消した人物は皆、出世している。
・交換されたメールの中身がすごい。末期的な状況だ。一般企業ではこんなことをしたら懲戒案件だ。危険なことを平気でやってしまっている。「こういう文言をメールで書いて何とも思わない国家公務員の精神の壊れ方」〔p.38〕
・この異常さが、国民的に世論的に異常だと認識されるように伝わっているか。ジャーナリズムに問題あり。
・こんなことに労力を使っている公務員は、本来の国民のための仕事ができないのではないか。
■ ここで2月号の「認諾」問題も片付けることに。
・真実を明らかにしたいことを達成するための裁判手続というものがないことが問題だ。損害賠償請求の民事裁判では、このように「認諾」で、その道をシャットダウンされてしまう。
・文書改ざんの実行をした小西眞管財部次長が大阪大学で「国有財産行政」の講義をしていたという(「頭がくらくらするほど出来の悪い冗談で拷問されているような深い絶望感に陥る」〔p.34〕)ことには、参ってしまう。
 
■ 第二テーマは・内田聖子「デジタル・デモクラシー」
・デジタル空間というものが、我々の通常の感覚を乗り越えた世界のように感じて、明確に感覚的に捉えにくさを感じる。異次元な現象に直面していると感じた方がいい。
・カジノもネット空間でやられていて、日本人が世界で三番目に多く参加している現状がある。
・GPSも、違法に使われることもあるが、人を救い出すのに有効なこともあり、両刃の剣という側面があるが、あまりにも走りすぎている。規制してうまく利用していくことになるのだろうが、権力がいいように使っているケースが見られて怖い。
・アメリカのサンフランシスコ市での規制などに比べて、日本のJR東日本での出所者の顔認証問題などの遅れた実態には愕然とする。
・ショシャナ・ズボフの「監視産業は二〇〇〇年から二〇年、法や規制が追いつかない空間で自由を謳歌してきた」、まるで、植民者が先住民を無視して「ここは私たちの土地だ」と宣誓し、自らのルールを構築したようなものだ〔p.51〕という説明は、納得した。
・日本、中国では、上からの動きをそのまますんなりと受けいれて権力(森友問題であんなことをやっている)にフリーハンドを与えてしまう状態なのは、欧米との差になっている。
・人権、権利感覚が非常に弱いことが問題だ。個人が国家に同質化している。新自由主義は共同体を解体して自己責任ということで、そのバラバラの個人が国家に寄りそっていくことになりやすい。
・GAFAが超国家的に情報を持ってしまって、世界の支配者になってしまっているのが、現在の問題だ。国家に対しては立憲主義で歯止めがそれなりにあるが、GAFAのやっていることはブラックボックスで、これに対する規制がない。
・GAFAは国境を超えて自由に動いているので、それへの対応は一国ではできないのでは。
 
■ 第三テーマは・岡野八代「ケア/ジェンダー/民主主義」
・ケアの本質は、非対称な力関係だが、支配してはいけないということが民主主義に通じている一番大切なところなのに、そこにジェンダーを持ち込むと一般性がなくなるのでは。
・難しくて、五回くらい途中で寝てしまった。
・これまであまり考えなかったケアについて考えるきっかけになった。ケアがこんなに話題になることは今までなかった気がする。
・ケアに無関係の人間というものはいないのだ。人間の生存にとって基本的な条件なのに、それを担う労働がないがしろに扱うことで資本主義がなりたっている。
・ケア労働は、人間の命に近い所の労働であり、(家事労働はお金にはならないが、労働というと賃金労働だけを思い浮かべるのだが)、最も大切な労働として労働の中心にすえるべきだと思う。
・経済学で当たり前のことが、ケアに関しては成り立たない。等価交換とか、需要と供給だとか、経済の評価で測れないことである。
・交換価値で労働の価値を捉えるようになると、労働は苦役となってしまう。
・ケアは、目の前の対象に対する、応答的な、個別対応的な労働だ。〔p.98〕に列挙しているように。機械化や合理化は出来ない、極めて人間的な労働だ。
・家庭内で見えないものになっていたケア労働が社会化されて見えるものになったという進歩の表れでもある。
・ケアや福祉に行くべきお金はどこに行っているのか。『ケア宣言』では「むしろ遠くの、あるいは実際には存在していない脅威に対する大規模な軍事に膨大なお金を無駄に費やし、結果、すでに豊かな人たちにお金を流し込んだのです。」〔p.93〕という答えを、筆者は提出している。
・「冷戦イデオロギー」をここまで正面から批判する人は少ない、すごいな、と思った。脅威の存在を認める人がほとんどの中で、それを「実際には存在していない脅威」と見る見方は。
・ケアの低賃金を決めているのは政府だ。「市場で価格がつきにくい特徴を持つケアの報酬は、だからこそ、公的に(=わたしたちが)決定するしかない。これまでも、そして現在も、保育士や介護士の報酬を全職種の平均以下に抑えているのは、政府であることはいうまでもないだろう。」〔p.105〕
 
■ 第四テーマは・村上靖彦「ケアから社会を組み立てる」
・かつてセツルメントという大学生の活動があったが、今は影も形もないように思えるが、それに似た雰囲気の活動報告だな、と思った。
・今の子どもには「遊び」(余裕、空間、ゆとり)がない。子どもらしさを出せる、許容範囲を、大人は確保しようとすべきだ。
・放課後の居場所として機能している「学童保育」が民営化したり、統合したり閉鎖されて入れなくなったり、している。
・日本社会は子どもに関して扱いがひどい。
 
◎1月号のお薦めは
■ 大塩 ・「脆くない社会へ」              藤井克徳
     ・「「オール沖縄」退潮-戦略見直しが急務に」  松元 剛
■ 片山 ・「日本外交の危機か、われわれの危機か」    和田春樹
     ・「野党共闘をアップデートせよ」        中野晃一
     ・「野党共闘は不発だったのか」         菅原 琢
■ 須山 ・「人と自然、人と人との和解へ射        村上 優
               でした。
 
◎ 小岩の『世界』を読む会、2月例会 の予定
 ●日 時 2月17日(木) 午後7時
 ●zoomによるオンライン開催
※ 参加希望者は連絡下さい。
 ●持ち物 雑誌『世界』2月号
 ○共通テーマ
  ・「野党第一党に何が問われているのか」       南 彰
  ・「Fun to Drive?」            ダニエル・リード
  ・「路上を子どもたちに返す」           今井博之
  ・「最高裁判所を「憲法の番人」として機能させるために」
                            渋谷秀樹
 ● 連絡先 須山
                suyaman50@gmail.com
 
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練馬の『世界』を読む会・1月例会は新しい方が参加して、7名で。

2022-01-22 19:33:24 | 日記
練馬の『世界』を読む会・22年1月例会の報告
 
  練馬の『世界』を読む会・22年1月例会は、20日(木)、午後1時から、光が丘図書館で行なわれました。今月も新しい方が加わり、7名の会でした。
 例によって、美味しく楽しい会でした。
■今月のテーマは
 ・「デジタル・デモクラシー」        内田聖子
 ・「ケア/ジェンダー/民主主義」      岡野八代
 ・「気候民主主義」             三上直之
 でした。
 話し合いの内容を整理することは力不足で出来ませんので、印象に残ったことをメモします。(と言っても、忘れてしまうのです。)
・デジタル技術など新しい技術の発展に伴って、それをコントロールする法規制などが追い付いていかないと、民主主義は危ないことになってしまう。民主主義は、常に新しい課題に向き合っていくのだな。
・「防犯カメラ」と呼ぶのと、「監視カメラ」と読むのでは、まるで意味が違ってくる。権力側の、ものの呼び方、市民の側の呼び方、そこを見ると本質が見える。
・昨今の政治状況への嘆きが交わされました。日本は、自民党が半永久政権を維持しつづける国になってしまっている。
「私の経験でいえば、こういう「客観性」の自己神話にひたっている研究者は、だいたい自国のやっていることをおおむね「正しい」もの、「穏当妥当」なものとし、南北朝鮮や在日コリアンや「左翼」とラベリングされた人々からの問題提起を「偏向」と考える人が多いのです。」〔p.254〕という、『共振する日米の歴史修正主義』での板垣竜太氏の発言を思い浮かべました。
 自分は穏当な大人だと自己認識している人に、現状批判を「偏向」だと見ている見方を感じます。
・どういう文脈での討論だったか忘れましたが、「異質なものがぶつかり合う空間、場が大切だ」ということが語られました。
・岡野八代さんの文章について、「難しい」、「分かりやすく書いて」、という強い声。読もうとして何度も挫折したという苦しみの声がありました。『世界』の文章を、読者を頭に浮かべて書いて下さい。
・なお、内田聖子さんについて、79歳だという驚きの発言がありましたが、内田聖子(せいこ)さんが、その方で、今月号の内田聖子(しょうこ)さんは、1970年生まれです。
 
■1月号のお薦めは
・巻  「脆くない社会」            藤井克徳
・実川 「人と自然、人と人との和解へ」     村上 優
・宮崎 「メディア批評」             神保太郎
    「野党共闘をアップデートせよ」     中野晃一
    「野党共闘は不発だったのか」      菅原 琢
            でした。
 
◎ 練馬の『世界』を読む会、2月例会 の予定
 ●日 時 2月18日(金) 午後1時~4時
  ※ いつもの木曜でないので、気を付けて。
 ●場 所 光が丘図書館
 ●持ち物 雑誌『世界』2月号
 ○共通テーマ
 ・「野党第一党に何が問われているのか」   南 彰
 ・「路上を子どもたちに返す」        今井博之
 ・「最高裁判所を「憲法の番人」として機能させるために」
                       渋谷秀樹
 ● 連絡先 須山
            suyaman50@gmail.com
 
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富岡の『世界』を読む会・1月例会は5名でした。

2022-01-22 18:43:39 | 日記
富岡『世界』を読む会・22年1月例会の報告
(郡山さんから)
 
 富岡『世界』を読む会・1月例会は1月19日5人が参加して開かれた。
 テーマは『世界』1月号から、「特集1.ケア - 人を支え、社会を変える」の岡野千代『ケア/ジェンダー/民主主義』と村上靖彦『ケアから社会を組み立てる』の2論考、そして「特集2.気候危機と民主主義 - COP26からの出発」の飯田哲也『複合危機とエネルギーの未来』と小西雅子『COP26はどこまで到達したか?』の2論考、計4つの論考を対象に意見交換した。
 
1.「ケア」について
「ケア」については身近な問題であるのにかかわらず、これまで学習や議論の機会は少なく、認識度は低い。岡野論文はケアについて、わかりよく包括的に問題点が整理され、ケアの重要性と必要性を学ぶいい機会だった。これが参加者一同の共通の感想。  
 ケアの現状と問題点について、岡野氏の提示する三つのキーワードから考える。
最初のキーワードは、「ケア関係は開放的」であるということについて。岡野氏は言う。ケア関係は常に、ケアの受け手だけでなく与え手の生計と福祉の資源を供給する外部を必要とする。しかし現実は、家父長的な家族規範と責任を家族へ閉じ込めようとする制度的・社会的圧力が、ケア関係を閉鎖的にしている。こうして、社会的弱者としての女性に、ケアが押し付けられる。
二つ目は、「ケア・ペナルティ」。岡野氏はケアの自己責任を強いる新自由主義の下、ケアの不当な価値の切り下げとケアを担う人たちの政治的交渉力のなさを、ケア・ペナルティと呼ぶ。「経済的・時間的に貧困な女性の多くは、ケアを担うことで/担わされることで、ペナルティを科せられている、踏んだり蹴ったりの状態だ」。
三つ目は、「ケア・パラドクス」。①すべての人間はケアの受け手。しかし、ケアを一部の者に押し付けてきた。②ケアは社会の根幹で個人の人格に関わる不可欠の実践。しかし、ケアの社会的評価は低い。③ケア関係は開放的。しかし、ケア関係を支えるのは、閉じられた社会的弱者としての家族。
 岡野氏は、このパラドクスを解く鍵は民主主義にあるとし、「ケアを政治の中心へと移動させ、開放的なケア関係を社会全体で支える仕組みを作るべき」と提起した。
 
 話し合いでは、ケア労働の対する社会の無関心や政治の不作為について、怒りの声が上がった。また、ケア労働者の低賃金に拘わらず、地元の医療法人が次々と、高齢者施設を設立し医療施設も増設していることから、病院経営者は「ケアは儲かる」と考えているのではないか、という指摘があった。自分の身の回りでは、「ケアはただ」「家庭内での女の仕事」という常識がまかり通っている、という感想があった。「ケアの報酬は公的に決定すべき」との岡野氏の主張に賛成し、行政の取り組みが重要だとの発言があった。外国人、とくにフィリピン女性が、ケアの重要な担い手になっていることについて話題となり、彼女たちはひたすら他人(ひと)を支えるばかりで、自分たちを支える手立てを持っていないのではないか、と懸念する声が挙げられた。
 話し合いの後半は、参加者が直面したり心配している「自分事のケア」が、話題となった。90代の義母の世話をしているが、自分の心身の弱体化を痛感し、自らのケアの必要性を感じている。自分が病気で倒れたら、息子によって一方的に施設に送られるかと思うと、涙が出てきた。母親の終末医療を自宅でしそのまま看取ったが、そのことが母にとって本当に良かったのかどうか、いまだわからない、などなど。「ケア」を対象化して論ずるには、あまりに身近な問題であるためか、ケアの社会的・政治的議論よりも自分事の話題に関心が集まった。
 
2.気候危機について
 『世界』は、気候危機について最も積極的に取り上げてきた論壇誌といえる。そのオピニオン・リーダーの一人が、飯田哲也氏だ。飯田論文からエコモダニスト対エコラディカル(脱成長論)の「気候危機論争」をみる。
 エコモダニストは、技術革新による気候危機回避と経済成長をデカップリング(切り離す)ことで、環境悪化を抑えつつ経済成長を続けることは可能だとする。原発、炭素回収、ジオエンジニアリングなどテクノロジー万能論。一方、エコラディカル(脱成長論)は、気候危機の深因は際限なき経済成長にあるとし、資本主義の格差・貧困とともに、無限の経済成長に終止符を打つべきと主張する。しかし、短期間の劇的なテクノロジーの新機軸を求めるエコモダニストも、脱成長と社会経済的変化を求めるエコラディカルも、COP26の目標「2050年世界の温室効果ガス排出量実質ゼロ」のための時間的実現性に疑問がある。日本政府の立場は、ほぼエコモダニストの立場だといえる。斎藤幸平やナオミ・クラインがエコラディテカル。飯田氏は、脱成長論を排し飛躍的技術革新に依存する意味で、エコモダニストの立場に近い。彼は、太陽光・風力発電、EV、AIなどのイノベーションが文明史的大転換を引き起こし、無尽蔵で永続的な太陽エネルギー文明へ移行していく、と高らかに歌い上げている。飯田氏のエコモダニストとの違いは、原発や炭素回収などへのネガティブな評価だ。また、際限なき欲望と無限成長から「低エネルギー社会」への転換を訴え、社会・経済的変化をも求めている。
 
 気候危機はケアとは逆に、必ずしも身近な問題ではなく、自分事としての意識は薄い。参加者の一人は「外では山が燃え盛っているのに、家の中で平然と生活している状態」と気候危機下の自分を表現した。気候危機・脱炭素を自分の問題として何ができ
るか。群馬という地方で生活し、自動車のない生活は考えられない。EV車への期待があるが、高価過ぎて手が出ない。太陽光のあたる昼間、脱炭素タイムを設けノーストーブ、ノーデンキで、縁側で日向ぼっこしている。
 議論の中で、飯田氏のいう太陽光等の「文明史的大転換」「三つの破壊的変化」について、本当にそうなのか、過大評価ではないか、といった疑問が出された。一方、北欧やドイツなどの再生エネルギーの拡大・浸透ぶりから、飯田氏の見解に賛成する意見もあった。「気候変動対策でも日本は世界から取り残される」ことの文脈で出てきた森嶋通夫「日本沈没論」の話題。森嶋氏は、90年代に2050年の日本社会を予言し、「非常に長い不況時代を経験する」「現在よりずっと低い国のひとつになる」「中国、南北朝鮮、台湾とともに東アジア共同体形成に成功すれば、生活水準は高いが国際的には重要でない国になるが、それほど不幸なことではないだろう」。森嶋予言から四半世紀たち、彼のネガティブな予言ばかりが実現し、ポジティブな予言については真逆の東アジア情勢だ。
 生活水準は下がり、国際的地位も下がり、近隣諸国とは醜くいがみ合っている。なんという国だと、ただ溜息が漏れるばかり。
 話し合いは、COP26の成果を積極的に評価した小西雅子論文に移る。小西氏は、COP26成功の背景を、①世界中で洪水・猛暑・森林火災が猛威を振るい、人々が気候危機の脅威を共有したこと、②再生可能エネルギーの顕著な普及拡大などエネルギ―革命で脱炭素化の実現が現実的になってきた、ことの二点を挙げた。しかし参加者からは、各国は高い目標を掲げたが具体策に乏しく、中ロ首脳の欠席、インドの消極性など国際的足並みも乱れ、楽観的になれない要素が多い、という指摘があった。そして、COP26の成果報告とともに、マイナス面、克服すべき問題点等の掘り下げをすべきだと提起された。
 
3.富岡『世界』を読む会・2月例会の予定
(1)2月16日(水)9.30-12.30時、西部コミュニティ・センターにて
(2)『世界』2月号
  ア.特集1.クルマの社会的費用
   ①ダニエル・リード『Fun to Drive? トヨタと気候変動』
   ②飯田哲也『テスラ・ショック ― モビリティ大変革と持続可能性』
   ③鶴原吉郎『電動化が引き起こす自動車産業の「解体」と「再構築」』
  イ.特集2.日本司法の“独自進化”
   ①須網隆夫『取り残される日本の司法』
   ②ディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク
      『日本の法曹養成制度は社会の変化に対応できているか』
(3)その他:会場は相変わらず寒いので、暖かい格好で参加してください。
 
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東久留米の『世界』・昼の部・1月例会は6名で。

2022-01-19 19:18:42 | 日記
 東久留米の『世界』昼の部、22年1月例会の報告
 
 1月19日(水)、東久留米の『世界』を読む会・昼の部・1月例会が、生涯学習センター集会学習室5で行なわれました。6名の参加でした。
 
 今月のテーマは、
  ・「デジタル・デモクラシー」         内田聖子
  ・「ケア/ジェンダー/民主主義」       岡野八代
  ・「ケアから社会を組み立てる」        村上靖彦
  ・「複合危機とエネルギーの未来」       飯田哲也
                 でした。
 
 ・GAFAの世界支配、あるいは中国の監視社会の現状に対して、技術の急速な発展に対して法や規制が追い付かないすき間で利がむさぼられている現状で、私たちは、デジタル時代の人権という概念を構築していく課題の中にあるのだな、と話し合われました。
 アメリカでの取り組みの経験を生かして、遅れたの日本の現状を打破していかなければ。・ケアについても、これまであまりにも考えてこなかったことが、このコロナ禍で突きつけられているのを感じる。弱い存在、依存が必要な存在、非対称な力関係の中に生きる人間にとって、ケアを中心に据えて社会の在り方を探るということが、明日の世界のための大きな課題になっている。このことに関しては、身近な課題として抱えている経験も話されました。
・地域からのケアの構築について、「アウトリーチ」と「居場所作り」という課題を、この地域でどうするのかなどを話しました。
・エネルギーに未来については、時間が足りなくなって、少し感想を交流したのみでした。
 
■ 1月号のその他のお薦めは
 ●富塚 「「赤木ファイル」を読む(上)」    金平茂紀
 ●須山 「人と自然、人と人との和解へ」     村上 優
    でした。
 
◎ 東久留米の『世界』を読む会(昼の部)1月例会のお知らせ
  ●日 時 2月16日(水) 午後4時
  ●場 所 生涯学習センター集会学習室5
  ●持ち物 雑誌『世界』2月号
  ○共通テーマ
  ・「認諾官僚たちに告ぐ、「ふざけるな」」 金平茂紀
  ・「テスラ・ショック」          飯田哲也
  ・「電動化が引き起こす自動車産業の「解体」と「再構築」」
                       鶴原吉郎
  ・「最高裁判所を「憲法の番人」として機能させるために」
                       渋谷秀樹
  ※ 第3水曜が定例です。ご承知ください。
  ● 連絡先 須山
            suyaman50@gmail.com
 
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