zoom『世界』を読む会・9月例会の報告
9月24日(金)、午後7時より、zoomの『世界』を読む会・9月例会が行われました。7名の参加でした。
第1テーマは、・寺島実郎「コロナ危機の中間総括」
寺島氏の中間総括を検討しながら、私たち自身も中間総括が必要な時点に来ているだろうということで、それぞれのこれまでの経過の中から摑んだことを交流しました。
政府の対応に一貫した指導性がなく、ひと言で言えば「泥縄式」というもので、小中学校の一斉休校要請などはひどいものだったことが確認されました。補正予算の76.6兆円の使われ方。検査の拡充がいまだに進められない。この一貫したやり方のスタート時点の2020年3月11日の国会で、上氏が検査を進めることを主張しているのに対し、尾身氏がPCR検査を拡充すると医療崩壊するという主張をしていたことが振り返られました。厚労省のPCR検査抑制論は根強く働き続けていることは、きちんと総括されるべきことなのに、現状はあいまいなままなのか? 一方で、政府の対応を超えて、墨田区や和歌山県など、自治体が機能的な対応を進めていることには、きちんと捉えて普及することが大切だということ。
寺島氏は、理論疫学者(西浦教授)の発言を行動抑制の妨げをもたらした専門家の誤った働きとして批判していますが、それについては様々な異論が出されました。「専門知」から「全体知」へという指摘も、もう少し具体的に、「科学(者)と政治」との関係のあり方を提起してはどうかなどという話も。
科学ジャーナリズムの不備ということでは、科学ジャーナリズムに限らず、独立したジャーナリズムの衰退が問題だと。新聞でもこれだけのパンデミックの中でも科学部記者の目を引く提起などが見られなかったということなどが指摘されました。
「ウイルスとの共生」あるいは「ウィズコロナ」とは、どうすることなのか。ロックダウンなどで完全に締め出すという道は不可能で、結局集団免疫で弱体化させていくしかないのだということ。その道のりでいかに人命を守るのかという構えで応じるべきだということだったかな。
この時点で、右往左往から落ち着いて、これまでのコロナ対応への中間総括をすることは日本の課題であって、寺島論文はその呼びかけでもあると感じました。
第2テーマは・田中優子「パンデミックと大学」
パンデミックへの対応は、大学のあり方そのものを問うことにつながっている。パンデミックは世界のあり方を様々な面で見直しを迫るのだな。
特にこの一年で大学生は危機に陥れられているのだけれど、パンデミック以前から、ここに至る戦後の大学の変遷の中で、かつての大学の自治や輝きは遠い世界のものになっている。な、と感じました。
学位を取るだけの、単位を取るだけの大学ならオンラインで済ませられるだろうけれど、大学という「空間」での人間関係、豊かなコミュニケーションから学ぶもの、あるいは「自由」な空気、「自治」の精神など、大学のあり方に対する真剣な問いかけ、取り組みが大学でなされているのだろうか、と不信?を抱くような現状かな。政府による大学の独立法人化や財政難での縛りなどから、こんな現状に押しこめられているのだな。
資本主義のシステムのための「出世や成功」へのための大学という現状から、「世界共通の課題に問いを立て」、「社会の重要な知的インフラ」たらんとする真理探究の場の大学の再生の課題に、筆者は江戸時代の私塾の姿を参照せよと言っている。
改革へのとっかかりとして入試のあり方など、これまでの固定観念を打破した見方を要求されているというようなことを、それぞれの大学体験を踏まえて討論しました。重い課題だ。
◎ ZOOMの『世界』を読む会、10月例会 の予定
●日 時 10月29日(金) 午後7時~9時半
※ 月末の金曜を定例とします。
○共通テーマ
・「気候崩壊と脱成長コミュニズム」 斎藤幸平
もう一本は決定次第連絡します。
○参加ご希望の方は連絡下さい。案内を差し上げます。
● 連絡先 須山
suyaman50@gmail.com