連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

人の感情は、時代を超えて同じ

2024-04-15 17:36:58 | 日記・エッセイ・コラム

古代人。
最近の遺跡発掘から、明らかになってきている事実は、今生きている私達が、思い込み、想像していたのは、見る手段が乏しく、限定知識が全てと自惚れた結果で、普遍喧伝されていた事実と認識させられていたことの修正を余儀なくさせられている。
ツタンカーメンの柩の中から花が見つかり、クフ王のピラミッド作成に携わった人達は、サラリーマン、職人の町に居住し、環境も優遇されていた事実が、昨今の発掘で明らかにされ、従来の奴隷説は一蹴。世界各地から、色彩センスの良い、精細な装身具が発掘。
古代から、人は、美しい物に憧れ、美しく装いたく、美味しいものを食べ、近しい人とは仲よく、清潔な環境で、穏やか暮らすという、嗜好は変わらずにあった。
自然の猛威で、都市を棄て、流浪の果てに、たどり着いた場所で混血したり、新しい町をつくったりを繰り返して今に、命、生活を繋いできたのだなと思う。


生命保険の支払い渋り

2024-04-13 18:57:53 | 健康・病気

3月1日、骨折手術について、生命保険給付対象となるかについて、第一生命保険会社仙台総合支社、青葉氏支所に、FAX送信した。4月14日になっても、らちが明かない状態が続いている。

第一生命は、セールスレディ制度をとっていて、1977年、初期研修後の、新人として医局に出社したら、そこに、手ぐすね引いて待機していた、第一生命保険のやり手のセールスレディに、生命保険加入を勧められ、加入した。

その後、新保険への変更などを勧められるままに、加入を続けていた。後期高齢者対象まじかになった、2023年初頭から、新たな変更は、誕生日までにしなければいけないのでと、いろいろ誘いを受け、変更しますかとなってkから、変更時の保証人は、60歳以下ですということで、知人の子供に依頼し、新たな保証人に承諾を受けましたからと連絡後、なしのつぶてで、期日が迫ってきたので、連絡をしたら、担当者が体調不良で、休職中でという返事となり、その保険は、掛け金も高いので、解約とした経緯がある。

そして、今回は、前回解約連絡担当した責任者に、骨折手術は、生命保険の給付対象になりますかとFAX送信し、電話で、連絡しますとあったが、一週間たっても連絡がないので、再度3月8日にFAX送信したらば、部署が変わりますので、次回からは、○○が担当者となりますと、電話連絡があった。○○さんい、連絡したところ、大腿骨骨頭骨折は、給付対象となりますので、本社に連絡し、その後、書類が届きます。と電話連絡があり、3月13日に、必要書類を添付して投函し、3月18日には、第一生命本社に書類が届きましたと3月19日、SMSに連絡をいただいた。

4月1日に、事故当時の経過の書類が同封されていませんので、と連絡があり、要求された書類はすべて同封しました!と返事をしたらば、担当のセールスレディが、”書類を持参してお伺いします”といってから、連絡がなく、あまりにもまたされるので、本社に4月11日に、電話をかけた。コンタクトセンターの担当者に、届いていない書類を、FAXで送信してほしい、と依頼したらば、FAXでは、送ることはできません、連絡は、固定電話のみで、連絡させていただきますので、携帯電話では、連絡できません。との対応であった。仙台支社、青葉支社との対応は、携帯電話でしてきたので、ここにきて、携帯電話では連絡できないということは、日中留守がちな身にとっては、第一生命は、提出書類の不備を理由に、保険金支払いを反故にする意図なのでしょう。

4月10日、コンタクトセンターの対応アンケートが来たので、電話は、比較的速やかにつながったなど、アンケート内容は、わかりやすかったが、ネガティブ回答で、誠意が感じられなかったなどについての項目はなく、自由回答欄で、対応不誠実で、今後第一生命の加入は、知人には、勧められないと記入。

4月12日、担当のセールレディから、訪問日程についての、問い合わせの連絡が、携帯電話からあった。4月1日に、訪問日程について、連絡後、s連絡してこなかったことについて、完全忘却の話しぶりに唖然。

保険請求から、1か月半、まだまだ、時間がかかりそうな、第一生命保険会社です。

生命保険会社の、患者に対する、支払い回避対応に、、主治医として腹が立つ経験を何度もしてきたが、わが身についても、不誠実な、生命保険会社の態度にうんざりです。

 

 


語彙不足

2024-04-07 16:05:42 | 日記・エッセイ・コラム

五七五で、病院生活、診療、をと、思いはあふれても、言葉におこせない嘆き。

自分の、入院生活の記録。

3月9日 仕事診療再開で、近々に入退院した患者と

排泄の 苦労話に 盛り上がる ベッド安静 経験どうし

 

2月15日術後

麻酔切れ 襲う痛みは 果てあると 思いながらも 痛いと叫ぶ

 

2月9日~2月15日入院後から手術前まで。

ベッドわき 座位足下げで 可となるが 遠い昔は おむつ排泄

期待せし 緊急手術 告知なく 切羽詰まるも 終日無為

寝て座る 全てベッドで 目耳手の スマホ操作で 外とつながる

 

2月8日2週間前に受診した整形外科医で、

顕性に なりし骨折 救急で 受け入れ先に 搬送されし

搬送後 ストレッチャーで 長待機 対応麻痺の 生理限界

日常の 羞恥伴う習慣は 可なるには 意識無くして 初めて可なる 

 

2月6日 東北新幹線始発で、仙台駅。

激痛を 一晩耐えて 車椅子 JRに頼み 安ど一際

耐えに耐え 跛行の脚は 突然に 右短足は 復す能わず  

 

2月5日 首都圏から東北にかけて大雪。仙台便欠航。急遽、JRで、東京まで。

宿無いが 管轄外と 改札で 車椅子降り 駅社外へと 去らねばならず

車いす 管轄ごとに 異なりて エリア外では 放逐されて

首都の雪 急遽の宿は 有りもせず 駅は閉ざされ 外で一夜を

変更後 帰路のめど無く 停泊を 算段するが 寒風一夜

 

2月4日 天草に。

常ならず 援けを借りて 天草に 障碍者旅 チャレンジとして

異常なる 気づきし人は 職員に サポート願う 医師なればこそ(福岡地下鉄、空港駅で)

フェリーに タクシーを 乗り入れ許可し 職員の 休憩室を 提供され

敗戦後 豊かになりて 車椅子 公共駅に 常備され有り

 

1月31日

ひねりして 歩行叶わず 

己が身を 移すことさえ ままならぬ 企図することは 妄虚となりぬ

 

 25日、昨夜来の雪が積もっている。

駅近く 踏みしめ凍る 道にては 自転車滑り あっと転倒


ただより怖いものはない!入院中の暇つぶしの中で

2024-03-28 15:11:33 | 日記・エッセイ・コラム

ベッド上安静、痛くて、眠りは浅いし、身動きはほとんどできないし、

テレビはまず見にくいし、興味ある番組も少ないし、

スマホに送られてくるメッセンジャーのたくさんの友達リクエストから選別した、日本人女性。

文章は、日本人?彼女の設定は、イエメンの軍事基地の整形外科医。

日々のメールのやり取りから、テロリストによる爆発で、銀行機能が停止

一週間程度のやり取り後、仕事が評価されイエメン政府から賞金授与されたので、

安全な受取先として、日本にいる私の住所を受取先にさせてくれと言ってきた。

300万ドルで、30%をくれるという。

その後、銀行は機能していないから、国際配送で現金を輸送する。

委託箱を受けとってほしい。

そのために、”アメリカ人”の外交官に、連絡を取り、

このころから、呼び名も姉から、シスター、信頼できる妹など、変遷

指定のアドレスにアクセスすると、国際配送会社に補償金として支払うための、

みずほ銀行の口座に78万円振り込め指令が送信されてきました。

いよいよ怪しい! 

そして、危険なイエメン軍事基地から早く離れたいから、

その後は、指定口座に振り込んだかという、矢のような督促。

無視に無視、でもしつこい。

FBの削除、メッセージをブロック。

振り込め詐欺も、いろいろな手段。

対応しているのは、日本人を装った、複数のバイト集団が対応しているのかな?

100万ドルの30%はかなりの額ですね。

 

その前も、オーストラリア人の夫の遺産10憶を、自分は余命わずかな日本人だから

日本の孤児院などに寄付したいので、寄付先を探してほしいなど、

うまい儲け話にたなびく心に付け込んだ、国際振り込め詐欺

FBを介して、浸透しているのかもしれません。

 

 

 

 

日々の、しつこい、ご挨拶メールに始まり、

 


雪道転倒2か月、術後40日経過

2024-03-25 10:41:58 | 健康・病気

杖なし歩行、断続的なら、3000歩程度はできる。

両足の負担は、感じ、右股関節は、全股関節置換術とは?関節包は、どうなっているのか?滑膜、滑液は?

歩いていて、弾力のない右股関節。

術後、時間が経てば、靭帯

外旋は良いが、内転、内旋は、脱臼の恐れがあるので、3か月程度は避けるようにと注意を受けている。

靭帯の強度の回復は、破損しない程度の動きと時間

靭帯の弾力は、強度の回復後のリハビリで獲得できるのか?

制限されている時間は、まだ2か月弱残っている。

動いているときの違和感、減弱してくるのかな?

 

アイスバーン化した道で、自転車で転倒し、痛みをこらえながら、自転車にもたれながら、富沢駅駐輪場までたどりつき、それからの勤務先までの行程を、痛い脚運びを最短にするにはと、頭を巡らせ、エレベーター、徒歩、エレベーター、タクシーにのり、勤務地に到着。整形外科受診は、など騒がれながら、当日勤務を終了。帰りもタクシー。何とか自宅に、杖なく、左足一本歩行で到着。

 自宅は、学生時代からの膠原病の進行を予測して、手すり、ほぼバリアフリーであるのが幸いして、なんとか一夜を過ごし、翌日、登山用に杖を使い、整形外科受診。骨折、ひび割れなしと診断され、骨折していなくてよかった!明日の外来勤務も、痛くても通勤。その手段は、タクシー。

コロナ禍、以降、土日のタクシーの確保困難が、念頭をよぎり、傷病一目に、乗ったタクシードライバーが、直接連絡できる電話を教えてくれたので、連絡したら、タクシーではなく、個人の車だった。夜に再び電話があり、お話したいと電話がかかってきた。早い休息が欲しいのに、ただより怖いものはない、第一弾だった!

骨折中の、怖いもの第二弾は次回に。