白血病細胞の痕跡の追及ができなくなる、
発病、治療開始から1年半前後で化学療法は中止する。
後は、神の思し召しの領域。
医師として、治癒のためにやれることだけはやってあげた。
あとは無事に、自己の生体能力の限りを尽くして生き延び、
社会の礎になってほしいと願うのみしかできない。
宇塚善郎先生が、急性骨髄性白血病の治療を始めたのは、
抗がん剤が、少しづつ開発され使用できるようになった1960年代後半
死なないで退院して、1年も経過すると
再発入院してくる1970年代半ばに私は白血病と向き合い始めた。
白血病細胞動態を解明する実験を繰り返し、営々と治療を続けてきて
60歳以下の患者も、60歳以上の患者も、化学療法だけで、
5年生存が70%以上を達成できるようになった。
骨髄移植も、トーマス(ノーベル賞受賞)が再生不良性貧血で成功した文献を読んですぐに、画期的治療ということで1970年代後半には導入を試みたが、ありとあらゆる機材、設備を手に入れるための試行錯誤は大変なものであった。
1例目は、1987年(昭和62年)で、現在も元気で社会に貢献している。
現在は、幹細胞移植(骨髄移植)の成績は化学療法を超えるものではないと確認され、絶対予後不良、死以外の選択がない症例に行うべき治療との位置づけが確認されているので、末梢幹細胞移植のノウハウ、機材は備えているが、仙台血液疾患センターでは、過去的治療となっている。