50年後には、人口は現在の3分の2ほどとなり、1億人を大きく割り込むらしい。
そして65歳以上の人は約40%を占めるという。
現在の制度で考えると、若い人ほど厭世的になりそうな予測。
50年後はすでに他界している予測の私は安堵しているという未来予測。
現実に向きあうまでは、想像力に乏しい現実がある。
安全神話に惑わされたあげくの、対策不全による福島原発事故発生など
想像力欠如による事故は枚挙にきりがないほどである。
過去を検証してとなるが、一見別の事例では連携も困難な想像力欠如の現実があるが…。
第2次大戦後の日本の人口はどうだったんだろう?
65歳以上の割合は
人口統計では、戦後すぐは5%以下。昭和60年になり10%越え。
学ぶべき過去の事例は無い高齢化社会ということだ!
生きる糧を得る”生産従事年齢”の制限、想定を変えないで、
現在のシステムにに固執していたら行き詰まりそう。
日本全体ではなく、限定であれば、すでに50年後の日本と同じ現実の地域は存在している。
地域維持のために労働を余儀なくしているのではないか。
年金をもらって、生産性の高くない遊民三昧を余儀なくしている人の能力利用を考えないと。
地域定着型に労働する人と、移動型に労働する人と。
高齢者限定の問題は、新しいことに対する記憶、適応の低下があるので、
習熟していたことを繰り返す仕事には能力を発揮するのではないか?
ただし報酬ダウンは必然としなければ。
時短、時給の減少などの工夫は必要。
日本国内に、稼ぎ場所があるという前提でしか成り立ちません。
若者の雇用さえままならない現状の日本のままでは、お先真っ暗な50年後です。
ポール ゴーギャンが描いた絵画の一つ
D'ou Venous Nous/ Que Sommes Nous/Ou Allons Nous
われわれはどこからきたのか?われわれはなにものなのか?われわれはどこにいくのか?
ひとは共同で生き社会を作り、そして反社会的な人を罰則するために
飛び道具を創り出して繁栄し生き延びてきたと。
NHKスペシャルの”ヒューマン” で放送されている
進化して心を持った人としてのありようをすてないで、
高齢化社会への対処を歩まざるをえない。
対処を見つけ出す人類に限りない希望を抱いて、そして協力するために
衰えながらも、生産性を保ちながら長生きしたいと思い始めた。
アランの格言に
理性的に考える人は、 楽観主義
感情的に処する人は、 悲観主義
理性的に考えて、私は、人に対して短期的に悲観しても、基本は楽観主義です。