事業譲渡が成立した3月1日から、入院患者の受け入れが始まった。
医師不足で、援助を依頼されたが、まさか、新規開院当日の当直をお願いされるとは!
そして、2週間が過ぎ、満床となっていた。
この間については、関与を拒否といってもよい情報無しで、
当直、医師不在時のお留守番医師というスタンス。
「終末期を、自然状態で死を迎えさせる」 見守りだけ という、事務方からの連絡事項のみ。
開院後、3名立て続けの死亡確認に齋藤が直面。
その有り様を、患者家族、職員は、受け入れているのだろうか?と、観察に徹した2週間余。
家族の死は、そして死を迎えた患者に対する職員の気持ちは、
手厚く、そして安らかに送ってやりたいと言うことに変わりは無い!と認識。
オリエンテーションも無いままの職員の対応力を過大評価というべき、
事務サイドのみでの、患者受け入れの、ひずみが噴出した3例目の死亡。
その直後、転院3日目の男性患者の状態はダウンヒルとなり、
その対応に、齋藤が余儀なし。
専門疾患の治療に専念し、高齢者の治癒退院後の困難さは熟知していたが、
脳血管疾患、癌治療後などでほぼ寝たきり、終末期を迎えるばかりの
高齢者のみならず中年以降の患者の多さに改めて驚いた。
前の病院は、入院長期化を避けられると、
両手を挙げての転院要請であったのだろう。
東北大学第3内科血液グループ、仙台血液疾患の診療は、
診断からその後の人生を共にという診療形式であるので、
死亡時でのみの関わりに戸惑っている。
死亡退院時には、長い社会への貢献に思いを馳せながらの、送り出し。