現在は、オリンピックに引き続いて開催されるのは当然と受け止められる。
1964年 日本で初めて開催された東京オリンピックでは、国際障害者大会の同時に開催が企画されたが、資金難に直面。
資金難を解決する募金の注目度を集めるためのネーミング”パラリンピック”だったという。
現在は、同じパラリンピックでも、語源は東京大会とは異なり平行開催をいみするのだとか。
同時開催が義務化されたのは2000年で、2004年から歴史は浅い。
障害者は、五体満足の社会からの阻害、封じ込めは一朝一夕にはいかない。
戦争で、五体満足であった兵士の戦傷のリハビリテーションとして、イギリスのストーク・マンデビル病院競技大会が1948年のリンドンオリンピック開会式と同時に行われたという。
日本でも、障害者の体力、自信をもち明るい希望と勇気をを願った人の協力で実現。
東京パラリンピック報告書に実現までの熱意によって開催にこぎつけたのがみてとれる。http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/handicap/jsad/z16002/z1600201.html
今は、太極拳に協力に誘ってくれた友人のおかげで、自分の足で歩行、運動可能ですが、
大学生活の半ばで発症し、次第に進行し、卒業を控えたころは、
さきゆきは暗く、さらに絶望的におとしいれられる言動にも出会った冷たい現実と重なる。
甘やかさないが支えてくれる人、自立しようとする意志などの両輪があってこそ。
肉体的、精神的障害は、動きを続けるうちに軽減するという実感があります。
人間の潜在的復元力は、すごい可能性を秘めていると思う。
性懲りもなく、今年も第21回宮城県武術選手権大会(12月21日)に参加します。
2011年が、なんとか健常者の姿勢になったといわれたので、
それまではリハビリ中にもかかわず、知らぬが仏でのエントリーでした。
ハラハラどきどき毎年応援しながら見守ってくれていた方、
演武の下手さにあきれかえって大会を汚すという感じの方
の存在はもちろん気づいていましたが、開き直って参加してきました。
これからは、練習の成果の進歩と、
老化による運動能力の衰えのバランスを
自分自身で観察するという興味があります。