連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

認識力、見解の差? いじめ 岩手中2への対応

2015-07-12 10:54:34 | 日記・エッセイ・コラム
いたましく、ショック
担任とのやりとりのノートが公表されてから,なお一層である。
担任の受け止め方!!!
学校側の教育委員会への、”いじめ0”報告の体質が、いじめを防げない温床となっている気がする。

事件後、詮索し、対応策をとり、
事件とならないで、未然に防げていることも沢山あるでしょうが、

ある期間続いた果てに、苦しみからの解放は、”死”以外にはないまでの追い詰め。

同じ環境で生活し続けなければならないときの、解決は、困難では無いかなと思う。

交通手段まで,使って”いじめの継続”ほど、

義務教育時代のいじめは、根が深くないのではないか?
接触不可能な距離に移動できれば、ですが、生活圏を考えると、小、中、高時代は、資金力がなければ、離すことは困難。

何とか、大学入学ぐらいまで、絶望の中にも希望を見いだせるような
生命力を引き出せるような策はないのでしょうか?

通り一遍では駄目ですよね。千差万別。

医師である私は、恩師の患者に向かう態度、
患者個人のデーターを、こまめに集め、日々の様子は、必ず自分で,休日も無く確認し対応した。
大丈夫、治るというまで、患者を握っている手綱を緩めることはなかった。
血液疾患を専門領域としていない医師から、しつこい、うざいと敬遠されもしたが、
患者からは、信頼され、先生に身をゆだねていた。
恩師、宇塚先生の、確認力、執ようさを
いじめに逢っていそうな学童の担任が持ち合わせていれば、
死ぬまで,追い詰められな買ったのでは?
わかってくれない絶望感は、ぷつんと気が切れ、一気にクリティカルな状況に突入する。
クリティカルな状況は、一回避けても、またがあるので、気は許してはいけない!
持続、持続、持続、これは大変なことです。大変な,体力、気力がいります。

学童をささえる、先生、にもサポート必要でしょう。




おぼろげな記憶なのですが、

ヨーロッパで、ユダヤ人が、ゲットに閉じ込められ,偏見と差別による迫害を、

最下層、極貧のヨーロッパ人でさえも、優越感を感じる存在としてのユダヤ人が必要であった政策 という、人間の心理

『偏見と差別はどのようにつくられるか ジョン・G・ラッセル 書』