連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

封印

2016-10-08 16:02:02 | 血液専門医宇塚善郎
修理で復活した母の年代物のミシンを踏みながら、
恩師、宇塚善郎は、患者の命を請け負っていると自覚後、
好きなことに時間を費やしたことはあるのだろうか?
気分をリフレッシュするために、休日の昼に、慌ただしく、職員を連れて食事をする。
書評などで気になった本を、紀伊国屋に電話注文して読むぐらい。
テレビ式拡大鏡で大好きな読書を続けていらしたが、それも、顕微鏡失明で奪われ、
朗読は、あまり好きではなく、
一人、楽しい無双の時間を過ごして逝去されてしまった。
碁は好きだったが、勝負はのめり込み、惰性で時間を過ごすからと、テレビでさえも封印。
患者の期待に応えることに、努力を惜しまず時間を費やして、走り去った。

宇塚善郎の、愛弟子と自負している私は、
仙台血液疾患センターがやむなく閉院し、
血液疾患の入院患者担当が無くなり、四六時中の呼び出し懸念が無くなり、
書きかけで放棄せざるを得なかった、研究原稿に着実に向かっている。
行き詰まりが起きたときの気分転換に、
幼少時、家で日常的に接していたが、傍観者で、練習することもなくすぎてきた、笛、お茶、お習字。

卒業まじかの日に、将来をともにと熱望された方からの”足手まとい”の一言の光景は、
学生時代の記憶をかき消し、
自立して生きることを決意させ、
病を得た身では、医師資格がなければ、女性が自立して生きる糧を得る困難さも実感し、
仕事が無いときは、休息という生活を続けてきた。
年金を得られる年齢になり、
”自立して生き抜いてきた!”
”死なないから”と慰められながら、
両親を見送り、恩師も見送り、私の体を気遣う、高齢者より、先に逝かなかった安堵感は、
封印を解き、
お茶、笛の稽古に通うことを、自らに許し、
時間に余裕があると、見知った懐かしいくたびれた衣類と古ミシンと格闘する時間を楽しんでいる。
医療に向き合う、教育に向き合う時間を優先して、は糸の切れた凧ほどには封印を解き放ってはいないが、
自由になることなく、意匠に向かう、封印を再びしたくない。
後ろ髪をひかれず、好きなことをできる時間は、素敵だ
コメント
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