10連休の余波で、学期末が8月になり、やっと期末試験の採点となりました。
2004年赴任当初は、〇×、選択などの形式も試みました、当たるも八卦当たらぬも八卦的、解答をまじまじと眺め、
期末試験は、授業の延長、知識の再確認の機会ととらえて、文章中の空欄に、言葉を記入して完成させる形式としました。
解答終了したら、終了前に退席を許可していましたが、ほとんど空欄でも退席するので、以後不許可としました。
問題数100問では、一通り解答すると時間があまり、以後再度解答をひねり出そうとする努力もなく、終了まで寝入っている姿に対応し、
問題数を200問に増加。試験に備えてきた学生には、見直す時間もあり、備えのない学生は、最後の問題にたどりつくころには試験時間終了:試験範囲を網羅してあるので、集中してきた勉学範囲がいずれにはあるはずと思い、試験問題を最後まで読み進む真剣さはあると信じての問題数増加に、学生は対応してくれた!
試験問題作成には、問題数が増えたなりの苦労、困難さが出現し、
採点時間は倍増。
採点しながら、誤字、脱字は、内容の理解程度を反映している?
違いに鈍感?味噌も糞も一緒的、他人に対しての鈍感さを反映している可能性は?
体の部位を示す言葉の知らなさは、健康ゆえの、人体部位を示す必要がないからなのか?
正誤だけではない、今までの成長過程での言葉への向き合い方も考えさせられる採点、答案用紙です。
新しい言葉を覚える。言葉が示すことと一体化させる。覚えた言葉を、表現手段として使う、使えるようになる。
教育を標榜した職業について15年過ぎました。
1年目は、研究、臨床医として過ごし、トップの研究を目指してきた名残があり、〇×、記述式などの問題を作成。
合格60点を目指す姿勢の欠如した学生に驚き、
教育の一環として、問題数、問題文について、わずか90分とはいえ、教育効果を狙うに貴重な機会ととらえ、
それなりの工夫をしてきました。
応えられる学生も、全く答えられなレベルの学生も垣間見られる答案用紙です。
応えられない学生は、今までの十数年の周囲のかかわり方の乏しさ故と、とらえざるをえません。
子の成長に関わる、親、保護者、学校、教育現場の人々の、
関わり方の少なさ、その都度、その都度の関わりをしない、したくない?からとしか思えません。
学生は、大人の鏡。
気持ちざわめく、採点結果となっています。
語彙力が少ない状況は、極端な表記が気にならないのではないかと思えます。
極端なのが表現だけならばよいのですが、行動も、極端:ON,OFF的ではないとよいのですが。