逮捕!されるかもしれない危険を常時背負った仕事という認識を強く持たざるをえない、事件であった。
人間は、病を得れば得るほど、年を重ねれば重ねるほど、個性的変化を遂げ、共通の、常識的範囲から逸脱し続ける、という知識が、欠如しているのではないか。
臨床医療は、重症疾患であればあるほど、刻々と変化する生体の情報を得たいが、情報収集=検査に関しては、厳しい制限が付けられている。
すべての患者さんは、並の危険度で、診療を受けたいならば、
並はずれた状態であってはならない!
これこそが、安全な医療を受ける最低限の資格条件だ!
不測の事態も、常日頃、時間を割いて、新しい文献を読み、研修会に参加しなどして、能力の劣化を防ぎ、常に進歩を目指している。しかし、知識の亢進、維持はそれほどたやすいことではない。
この事件は、患者家族は、結果が、意に添わなければ………という、醒めた気分を漂わせ、壁を超える努力への無力感を持ち込んだ。
医療は、危険この上ない作業の連続。患者と医師は、信頼感を保てなくなった瞬間から、並はずれた結果から後退し、常識的範囲内の結果に踏みとどまらざるを得ない。
大野病院事件から医療は変化した。
名義貸し報道から、医療は変化した。
今の日本の医療事情を世界と比較して報道してほしい。
医療費。
医師対患者数。
医療の質。
日本人は、損しているか?
医療の変化の今の潮流は、望ましくない!
変革は必要。
患者が、医師を信頼できないのは何故なのだ?
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