数年前、”生命保険加入を拒否された米国女性が、乳房を切除した”
「発病、死ぬという恐怖から逃れたかった」ためという理由からだったかと思う(記憶が曖昧)。
というTV報道から、がん遺伝子(この例はBRCA2)のは、
疾病回避のために活用されるだけではなく、
金の提供を必要とする生命保険会社などがいち早く取り入れる金銭感覚の鋭さに驚いた。
最近話題を提供した、アンジェリーナ・ジョリーの”予防的乳房切除”
感慨として、生を受けた人間を含めた生物は、寿命の長短はあるにしても
死は絶対的約束事項であるが、
死ぬかもしれないと思った事柄からは避けたいのだ!
そうだとすると、自殺者の気持ちは?
自ら死ななければならないほど、救いがない世界にいるということか?
運命に逆らう行為でもある予防的切除。
神から授けられた命と考えるとき、
医療行為は、神への挑戦にあたるだろうか?
知らない気楽さの危険と
知ったがために味わう恐怖と
いずれをも避けるための行為は
許される範囲はどこまでか?
他者を傷つけ無いと言うことが最低限の許容範囲だとすると、
臓器移植は?
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