豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

地震・津波・原発事故の三重苦試練からの脱出は…仙台~南相馬~福島市

2012-09-12 19:21:27 | ファース本部
原発被災地を視察して「死の街」と発した発言を糾弾され、辞任した大臣がいました。
街の形態を為していながら人が全く暮らしていない街を「死の街」と表現する心情が理解出来ます。
雑草が生え、猫や犬が居ながら人の営みがありません。まさに死の街。

今日は、仙台から事故原発から15kmの地域に自宅と工務店事務所、作業場があった仲間の工務店、㈲山田建業さんを訪問しました。自宅と会社はこの前まで立ち入り禁止地域でした。
その禁止が解除されましたが住まう事は危険過ぎてダメなのだそうです。

写真は、社長の山田義夫さんと、解除された15km地点の会社の前で撮りました。
手に持っているのは放射線量測定機です。自然界のセシウムは、0.2マイクロシーベルトだそうです。
避難先の家の中は0.5前後、ところが外に出ると一気に2.0位にまであがります。

写真を撮った自宅の付近で山田さんが枝打ちして、堆肥にした杉の葉の放射線量は5.0を超えます。
住んではいけないと言う意味なのでしょうか。
ともあれ、以前はこの自宅に入るには防護服に身を包み、警護隊に見守られながら1時間程度の滞在だったそうです。今は、原町の避難先から短時間の木工作業を行うために出掛けて来るそうです。

山田さんの案内で小高町の市街地に行ったところ、まさに「死の街」状態となっています。
そこから避難先の原町まで戻るために通った海岸線は、3・11時点で時間が止まっています。
放射線量が多いため、復興どころか復旧すら進んでいないのです。

山田さんも奥さんと一緒に小規模ながらも穏やかな工務店経営を行っていました。
しかし、3・11以後は、避難地を転々とせざるを得ず、家族離散の生活状態が続いています。
大地震、大津波、原発事故と三重苦に喘いでいます。

東電や政府への責任を求めるも一策でしょう。
しかし、私達は、山田ご家族が一日も早く一緒に暮らしながら、平穏な生活を取り戻せるための支援を続けて行く必要性を痛感しました。明日は我が身と思考すると対処法は必ず見えてくるのですが。
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