豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

青函トンネルを新幹線が突き抜ける意義…北斗市

2016-03-03 17:48:57 | ファース本部

約60年前、日本国有鉄道の十河信二総裁は、信頼厚い技師長だった島英雄氏と構想を練り、大阪と東京を結ぶ高速鉄道の建設を決断したと言われます。
計画段階では「東海道新線」と呼ばれ、開業時に「東海道新幹線」と命名しました。

新幹線整備法は、昭和45年に制定されましたが、この新幹線構想事態、昭和39年開催の東京オリンピックが決まった後の昭和33年に鹿児島から北海道旭川まで日本列島を縦断させる壮大な計画が確立したと言われます。その後、様々な政治環境や経済状況がことごとく変貌し、新幹線構想が頓挫しそうになった時期もありました。

1961年、昭和36年には青函トンネルの掘削工事を新幹線規格で着工しています。その青函トンネルは27年後の1988年、昭和63年に開通して青函連絡船が廃止されます。
この青函トンネルを掘削したトンネルマンの人々は、一途に新幹線を通すことを念じ、溢れです海水と闘いながら掘り進んだと言います。

青函トンネルが開通してから28年の歳月が流れ、彼らの中には北海道新幹線の開通の見ることなく亡くなったトンネルマンの人も多くおります。
均一な国土活用は、新幹線と高速道路が日本の背筋のように列島縦断させるべきなのです。

鉄道は不採算路線も必ず在り得ますが、列島縦断の高速道路と新幹線は必要不可欠です。
この新幹線と高速道路は、政治家の力量によって路線が決まって来ました。
ともかく想像を絶する長い年月は経過しましたが、この3月26日にいよいよ開業です。

このファース本部の直ぐ北側の新幹線架線の上を北海道新幹線の試運転車両を何度か見かけました。私自身もトビ職時代の昭和40年に青函トンネルの北海道側、吉岡掘削現場でトンネルマンを地下に下ろすための鉄骨架台をつくる工事に携わりました。

私達が造ったトンネル斜路を伝って掘削現場に降りて行ったトンネルマンは、その何名がこの開業を見守っているのだろうか。感無量の想いで開業日を迎えそうです。
さて今日は3月3日雛祭りです。春の兆しがいっそう強くなりました。

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