「私は22歳まで日本人でした」と語った台湾の元総統、李登輝氏が97歳で逝かれました。
李登輝氏は日本統治時代に京都大学で学び、俳人松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き続けたと云います。
東日本大震災時は被災地に足を運んで避難民を励まし続け、日本を愛した人でした。
以前、このブログで紹介した事もある台湾の荒れ地に治水を促し、台湾人の尊敬する日本人のひとりと云われる八田与一の実家や、尊敬していたと云う哲学者、西田幾太郎の生家がある石川県を訪ねました。
また自分が学んだ京都大学などにも多く訪れたそうです。
平成20年には松尾芭蕉が参詣したされる宮城県松島町の「瑞巌寺」を訪れました。
その際には、日本三景のひとつでもある松島を見て「松島や光と影の眩しかり」と句を詠み、後日には句碑も建立されました。
日本軍人として出征してマニラで戦死した、李登輝氏のお兄様が祀られている靖国神社を参拝できて本当に良かったと涙を流していたそうです。
沖縄を訪問した際は、当時の仲井真弘多知事との朝食会で尖閣諸島を日本沖縄県の領土だと言明したことがあります。台湾も尖閣諸島の領有権を主張していたので衝撃的でした。
李登輝氏、2年前の最後の訪日となった沖縄で講演を行い、「中国の尖閣諸島や南シナ海で絶えず緊張状態をつくっている」と中国の強硬な海洋進出を批判しています。
現在の蔡英文総統も李登輝氏の総統時代には、政策ブレーンの一人として内政や対中、対日、対米等の外交政策に手腕を発揮したそうです。
私が「#ファース工法」関連のカビ研究で情報交換を行っている台湾台北市の中華技科大学の工学博士、余錦芳先生も、李登輝元総統や蔡英文減総統を強く敬愛しておりました。
写真は、その蔡英文総統が当選した際に祝いに駆け付けた元気な時の李登輝氏です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます