私達が「優しさ」を見せるは、多くの場面に出て来そうです。
優しさも心から染み出る優しさと、何かの対価を求めた打算的な優しさもありそうです。
自分が優しくして貰って感銘したことを、自分からもして上げたいと思う場合もあります。
発展途上国で飢えに喘ぐ子供達を、守ってあげようとするのも優しさのひとつでしょう。
優しさとは、自分が優しくなるための一丁目一番地だとも思われます。
可哀そうだから優しくしてあげよう思う事は一瞬の自己満足とも云えそうです。
先般、テレビ番組で「ヒグマを叱る男」とタイトルのドキュメンタリーを見ました。
知床半島で生き抜くヒグマと共存する漁師さんの実像を描いた番組です。
その漁師さんは、誰よりもヒグマを愛しているのが解ります。(テレビ番組の画像)
そのヒグマを愛しているからこそ、絶対に餌を与えないことを徹底しています。
たとえヒグマが飢えて死にそうになっても餌を与えません。
クマは、一度でも餌を貰えることが分かれば、お腹を空かすごとに現れることになります。
極寒の地で生き抜くのには、厳しい自然環境の中でも自分自身で餌を捕獲する技を取得しなければ、生きて行けません。
「ヒグマを叱る男」クマを愛すればこそ餌を与えない辛さ葛藤が、テレビの画面で解ります。
昔から「可愛い子には旅をさせろ」との格言があります。
立派で強い人間になるには、親から離れても生き抜ける逞しさを備えなければなりません。親は涙を呑んで子を旅にだす「親の心、子知らず」なのかもしれません。
「真の優しさ」があればこそ、背中で子を見送り、そして叱るのでしょう。
50年前「#ファース」第一歩を踏み出すため東京に旅立つのを母の背中で見送られました。
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