
今回の沖縄旅行では、世界遺産と太平洋戦争関連の施設の見学をしたかったので、著名な平和記念公園に向かいました。広大な施設にはいくつかの施設がありました。(写真A)
初めに入ったのは沖縄平和記念堂です。(写真B)入ってすぐの通路と、その左手の部屋に沢山の絵が展示されていましたが、独特の作風でした。そして突き当たりの本体部に大きな観音座像がありました。これは、沖縄出身の山田真山画伯が実物大の原型をお一人で作ったというびっくりする程の大きさでした。仏像としての完成度に疑問があるものの、何とも言えない存在感があります。
「1940年沖縄に帰郷し,沖縄戦を身をもって体験しました。この戦争で長男と三男を失っています。
「二度と再び戦争を繰り返してはならないという平和への悲願を込めて1957年(昭和32年)に この像の制作を発表した時,全県民が賛同し,とりわけ県内の小・中・高校生も拠金して応援しました。山田画伯は,72歳の高齢をおして独力でこの大事業に取りかかり, 原型が完成した時には90歳を迎えておりました。」
とのことで、文字通り命を掛けた作品なのでしょう。
公園の中でかなりのスペースを割いて、戦没者24万人余の氏名が刻まれた「平和の礎」というエリアがあります。海に面した広場(写真C)の中央に「平和に火」(写真D)があります。小さな円形の水槽(? 写真D)があり、現在地を象徴する場所が中心になっており、円錐形のバーナーに火がともっていました。その広場の海と反対側に広がる多くの石の連なり(写真C)には、沖縄戦での戦没者の名前が(写真F、G、H)刻まれています。その内訳は、沖縄県出身の戦没者、他都道府県および外国出身の戦没者です。
写真Iは、公園内の式典広場のステージの相当する場所にあるモニュメントです。黒御影石と思しきアーチ状のモニュメントの周りでは、万灯会のようなものを、大晦日から元旦に掛けての深夜に明かりを灯すためにボランティアの方々が準備していました。定めし美しい光景が広がり、平和への願いを深めることが出来ると思います。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄戦跡国定公園
http://homepage2.nifty.com/kinendo/dounai/kinennzou2.htm
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私達の世代は、戦後教育で戦争の悲惨さを十二分に伝えられた世代と思います。しかし、知識として受け止めており実感がないまま来てしまいました。しかし、家庭を成し子どもを育てる中で、色々な経験を積み重ね、親との死別や肉親の苦難を体験することにより、戦中に私の親の世代が味わった苦難の一端を想像できるようになりました。だから、石に刻まれた24万人余の重さに打ちひしがれました。
初めに入ったのは沖縄平和記念堂です。(写真B)入ってすぐの通路と、その左手の部屋に沢山の絵が展示されていましたが、独特の作風でした。そして突き当たりの本体部に大きな観音座像がありました。これは、沖縄出身の山田真山画伯が実物大の原型をお一人で作ったというびっくりする程の大きさでした。仏像としての完成度に疑問があるものの、何とも言えない存在感があります。
「1940年沖縄に帰郷し,沖縄戦を身をもって体験しました。この戦争で長男と三男を失っています。
「二度と再び戦争を繰り返してはならないという平和への悲願を込めて1957年(昭和32年)に この像の制作を発表した時,全県民が賛同し,とりわけ県内の小・中・高校生も拠金して応援しました。山田画伯は,72歳の高齢をおして独力でこの大事業に取りかかり, 原型が完成した時には90歳を迎えておりました。」
とのことで、文字通り命を掛けた作品なのでしょう。
公園の中でかなりのスペースを割いて、戦没者24万人余の氏名が刻まれた「平和の礎」というエリアがあります。海に面した広場(写真C)の中央に「平和に火」(写真D)があります。小さな円形の水槽(? 写真D)があり、現在地を象徴する場所が中心になっており、円錐形のバーナーに火がともっていました。その広場の海と反対側に広がる多くの石の連なり(写真C)には、沖縄戦での戦没者の名前が(写真F、G、H)刻まれています。その内訳は、沖縄県出身の戦没者、他都道府県および外国出身の戦没者です。
写真Iは、公園内の式典広場のステージの相当する場所にあるモニュメントです。黒御影石と思しきアーチ状のモニュメントの周りでは、万灯会のようなものを、大晦日から元旦に掛けての深夜に明かりを灯すためにボランティアの方々が準備していました。定めし美しい光景が広がり、平和への願いを深めることが出来ると思います。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄戦跡国定公園
http://homepage2.nifty.com/kinendo/dounai/kinennzou2.htm
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私達の世代は、戦後教育で戦争の悲惨さを十二分に伝えられた世代と思います。しかし、知識として受け止めており実感がないまま来てしまいました。しかし、家庭を成し子どもを育てる中で、色々な経験を積み重ね、親との死別や肉親の苦難を体験することにより、戦中に私の親の世代が味わった苦難の一端を想像できるようになりました。だから、石に刻まれた24万人余の重さに打ちひしがれました。
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