
かつての笠間焼きは、梅干しを漬けるツボなどの野暮ったい生活の容器でした。しかし、近年では、様々な作家が笠間周辺で、実に多彩な作品を作っており、表現方法が多彩です。本展覧会は、その笠間焼きのルーツと歴史を紹介しています。
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URL => http://www.tougei.museum.ibk.ed.jp/exhibition/thekasama/index.html
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元々は、滋賀県の信楽の陶工が、現笠間市の名主と出会い始まったもので、時期0は江戸期の後半、今から230年前のことだそうです。したがって、歴史はごく浅い。
その後、明治末期には生産の半分が東京方面に出荷され、生活の必需品として利用されたとのこと。私が思い描いていたとおり、生活の用として大量に作られていたことは間違いありませんでした。しかし、ツボ以外に湯たんぽやおろし皿、更には置物や急須にいたるまで、実に様々な製品群を作っていたのでした。また、釉薬も茶色と黒以外に、白い釉薬に青い釉薬を掛け流した作品もあって、驚きました。笠間の陶土は黒く、釉薬をしっかり掛ける流儀とのことです。
地味ながら、笠間焼きの歴史を理解するのに役立つ展覧会でした。
評価は4です。
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URL => http://www.tougei.museum.ibk.ed.jp/exhibition/thekasama/index.html
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元々は、滋賀県の信楽の陶工が、現笠間市の名主と出会い始まったもので、時期0は江戸期の後半、今から230年前のことだそうです。したがって、歴史はごく浅い。
その後、明治末期には生産の半分が東京方面に出荷され、生活の必需品として利用されたとのこと。私が思い描いていたとおり、生活の用として大量に作られていたことは間違いありませんでした。しかし、ツボ以外に湯たんぽやおろし皿、更には置物や急須にいたるまで、実に様々な製品群を作っていたのでした。また、釉薬も茶色と黒以外に、白い釉薬に青い釉薬を掛け流した作品もあって、驚きました。笠間の陶土は黒く、釉薬をしっかり掛ける流儀とのことです。
地味ながら、笠間焼きの歴史を理解するのに役立つ展覧会でした。
評価は4です。
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