夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ミャ~

2009年11月07日 11時33分06秒 |   私の小さな恋人たち
                 


清水の次郎長の女たちの名前は全部がお蝶だったそうだけど、私も寝言に何か言って問題を抱えるのがいやなので、恋人たちの名前は全部似たものにした。

そうそれが次なるミャ~。
ミミは可愛かった。最初の異性は忘れられるもんじゃないってことを今になって痛感している。
でもミャ~もまた可愛かった、そして凛としていた。

ミミとミャ~。多分私の記憶の中にはだいぶごっちゃになった部分があるかもしれない。

ミミはまだ母親になる前に消えていったから可愛いだけだったけど、ミャ~は母親になり、私をその子達の育ての親に指名して、そして消えていった。
人間でも、動物でも母親としての気持ちが通じると男には畏敬の存在。



ミャ~も渋谷の下宿の離れに住んでいた。
ここも家へのアプローチがL型に曲がった階段を上がっていくようになっていて、間に母屋があり、アプローチをあがってくるのは見えないはずなのだけど。
彼女は私が帰るころになると屋根の上にいて、私の足音を聞き分けて、屋根から裏庭、そしてドアを通り、玄関のドアの前にすっ飛んできて、ちゃんと三つ指就いて待っている。
私が帰宅しドアを開けると、必ずミャ~って迎えてくれた。
これが彼女の名前の由来になった。

今まで付き合った女性でここまでやってくれた女性がいただろうかって、、、
女性は何もしない割りに、文句ばかり。
やはり私には動物のほうがいいのかもしれない。
てなことは、口が裂けてもいえないね、ご同輩。



さて彼女にも問題があった。
コックの私としては、私の残飯を食べてもらうのが一番手っ取り早いのだけど、これにはあまり食欲がないよう。
ためしに魚のソーセージを与えてやったら、なんと食通にフォアグラ状況。
それ以降、子供が生まれて、子供は残飯を食べていても、彼女は絶対に食べない。
魚のソーセージ以外はお口に合わないことになってしまった。



彼女のお腹が大きくなり、まもなく産まれそうというので、ダンボールの箱を押入れにいれ、ふすまを少しだけ開けて、ここで産めばって、彼女を箱に入れた。
数日して、彼女は産まれた子供たちを一匹、一匹と口に銜えて私の前に連れてきて、
人の目を覗いて、
「ミャ~」
「見ててやってくださいね」ということらしい。

そして外へ出て行き、しばらくして、ミャ~って声を出しながら部屋に帰ってきて、また一匹、一匹、口に銜えて箱に戻して、押入れの産室に戻った。

子供が少しづつ大きくなってくると、食事の時に、だんだん私のところに来て、時々はふぅってため息をつきながら、人のひざの上に上り、まどろむようになった。



そして子供たちが箱から出てきだし、家中が幼稚園状態になっていった。



でも彼女は子育てに関してはほとんど私の手を煩わせなかった。
この辺も、その辺の女性とは雲泥の差ってことは言わないけど。
子供たちが、特に庭で遊ぶようなときには、私のそばに座って、子供たちが遊んでいるのを背筋を伸ばして満足そうに、見ていたのを覚えている。
子供たちが安全だとわかると、私の膝の上で半分眠りながらも視線は常に子供たちの上にあった。
母親の優しさと、温かさ、そして母親としての芯のようなものを感じて、ミャ~には密かに尊敬さえ覚えていた。



子供たちの里親を探すのは大変だった。
一匹、一匹、人に託していき、やっと子供たちがいなくなって、人心地ついたと思ったころに、彼女は家出をしてしまった。
彼女にしてみれば、恋人に裏切られたと思ったのだろうか、、、
もしそうだったら、今でもほんとうに悪いことをしたと、心が痛むのだけど。




2005年12月2日以前のブログから転載しました。
2009年11月7日新しく写真を追加し、タイムスタンプも新しくしました。

思い出 メ~  写真を追加し、タイムスタンプを変更しました。

2009年11月07日 11時06分06秒 |   私の小さな恋人たち

初恋は、犬や猫じゃなかった。
山羊。
そうそれが私の最初の恋人。

もう記憶の底に沈んでしまって、名前も思い出せない。
確かメ~とだけ呼んでいたのかもしれない。

当時同じ家にいた従兄弟たち(私よりずっと年上だったけど)は山や森に行って、目白や、鶯などを捕ってきて、竹で鳥かごを作り飼っていた。彼らは野うさぎも捕ってきていたが、人の手で与えた餌をどうしても食べないので、死んでしまう。だからそれはすぐに彼らの遊びのメニューからは消されていった。

私は彼らに比べると体が弱く、心配した母親が山羊の乳を飲ませるために、近くの農家から子山羊をもらってきた。



まだ小さくて、やせこけていたメ~だった。
最初にうちに来た日に、私が抱いてやると、震えながらもじっと私の腕の中で静かにしていて、そのうちに眠ってしまった。
そしてメ~と私は恋人になった。

最初は家の敷地の中だけで一日中メ~と遊んでいたのだけど、私が学校へ行きだしてからは朝の挨拶をして、後は学校から帰ってからの遊びだけになった。

今でも不思議だけど山羊小屋からは私が帰ってくるのは見えないはず。なのに私が家に近づくと、数百メートル先の私をかぎつけて、メ~は声を上げ、足で山羊小屋の囲いを蹴って、出してくれって騒ぎ出す。
家の人たちは、メ~のそんな行動を見て、もうすぐ私が帰るって判ったのだという。

一年もすると体も大きくなり、学校から帰るとランドセルを放り投げて、メ~のところに駆けつけ、彼女を連れ出して、家の外へと遊びに出かける毎日だった。
私には学校の友達よりも、メ~が世の中の全てだったのです。
弱かった体も、メ~とのデートのお陰で、風邪も引かないように元気になっていった。

それでもメ~のためにはもう少し運動させたいと思って、散歩を自転車でするようになった。おかげで町の中心部全域が私の行動範囲になっていった。
天気の日にはほとんど毎日、小さな小学生が大人の自転車に乗り、町を走り回る。
後ろからは首輪も、紐も付けていない山羊がとことことついてくる。
おそらく今そんな風景を私が見たら吃驚するだろうけど、それが私の幸福な初恋の物語だった。



この幸福な日々は、突然に終わった。
お正月。
私が起きてきてもメ~の声が聞こえない。家人も何か変な顔をしている。
急いで山羊小屋に行ってみると、メ~はもういなかった。
お手伝いに来ていた人が、メ~にもお正月を味あわせてやろうとお雑煮を食べさせた。そしてもちを喉につめて、メ~は死んだ。

「お手伝いの人もメ~のためにと思ってやったことだから、」っていう母の言葉に他の人のために、怒っちゃいけないんだ、悲しんじゃいけないこともあるんだということを、小さいながらになんとなく納得させられたことを覚えている。

 

      2005年12月2日  以前のブログからの転載です
      2009年11月7日  写真を追加しました。近所の山羊の親子です。
              タイムスタンプも今日に変更しました。    


懐かしい恋人に出会いました  

2008年03月23日 21時02分38秒 |   私の小さな恋人たち
今日岬を散歩していて、山羊の親子に出会いました。
首輪をつけて、田んぼに放し飼い。
母山羊(多分)に子山羊が二匹。
のんびりと草を食んでいる姿に昔を思い出しました。
カテゴリーの「私の小さな恋人たち」では、私の恋人たち(殆どが猫、そしてちょっと犬です)の話を書いていますけど、そのトップを飾ったのが山羊のめ~でした。

小学生だった私が学校から帰ってくると、まだ私の姿が見えないうちから、山羊小屋の囲いを足でけって、め~、め~と出してくれと鳴き叫んでいたそうです。
それを見ると、家の人たちは、私がもうすぐ帰ってくるってわかったといいます。

晴れたに日は、私は家に帰るとランドセルを放り投げ、自転車を取り出して、め~と散歩に出かけるのが日課でした。
め~は首輪もつけないで、私の自転車の後をとことことついて周り、小さな町でしたけど商店街などの通りでもいつも一緒でした。

先日の金曜日、Mixiの仲間の昼食がありました。そのときに山羊の話が出て、この話をしたばかりでした。
今日は本物の山羊を見ました。
懐かしく、ちょっと物悲しく、、、、
あのころが、私の人生の中で一番いい時代だったのかな。

無雪冬  我が名はミミ

2007年03月09日 23時12分14秒 |   私の小さな恋人たち


降雪の無い冬のことを無雪冬と呼ぶのだそうですね。
東京ではまだその記録は無いそうですけど、今年はどうもそうなりそうなのかな?
2月は結構積雪があったり、大雪の記録も2月に集中しているなんて言われて期待していたけど、空振り。
寒いのは嫌だけど、一度くらいは積雪を見たいよね。

東京で最初に暮らした猫が「我が名はミミ」のミミだったけど、この子が家に来たのが、1982年、その翌年の2月8日に46センチという大雪が降った。
トイレを家の外でしていた彼女は、朝起きてトイレに行こうとして、外を見て一瞬すくんでしまった。だって、今まで見たことの無いような真っ白な世界。でも、生理的な欲求には勝てず、雪の中に飛び出していった。後には、ポン、ポンと彼女の体のあとが雪の中に残っていた。

もう25年近くも前の話になってしまったんですね。

ミミの写真はないので、その後の子の写真。

布団猫

2006年10月20日 09時38分18秒 |   私の小さな恋人たち
私の小さな恋人たちには一匹一匹の思い出話を書いてきた。

甘えるだけ甘えたひょうきん猫(http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/6f3b29a072ea888845d31c0142e73522)、
母親らしい凛とした猫http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f54f6f1aa587bcd8057203fda384af18)
彼女のことはこちらにも書いていますね。(http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/dd99ce702b0025138ab518ac94ff6e33)、
普段は母親らしさをぜんぜん感じさせなかったのに子猫の危機の時には自分の身を投げ打って子猫を守ろうとした猫(http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/dd99ce702b0025138ab518ac94ff6e33)、
恋人たちは本当に美しい思い出のアルバムを置いていってくれた。

でもそれも一通り回ってしまった。

それでしばらくは、このカテゴリーの話はお留守になっていたけど、Mixiの猫のコミュを見ていて、一つのキーワードで彼女たちを(家には雄がいなかったので)見直してみるのもいいのかと思い直した。
山羊や、犬には申し訳ないけど、そうなるとどうしても猫の話が多くなる。家の中で一番距離が近いところで生活していたからだろうと思う。



その最初は「布団猫」

家では通算10匹ほどの猫がいた。
娘の猫や、大人になってから居つくようになった猫以外は全部が布団に潜り込む癖をもっていた。
Mixiでは寒くなると潜り込む猫が多く報告されていたけど、家の猫は全部が暑くても寒くても布団に潜り込みたがった。
もっとも暑いときには、タオルケットだけのときや、何も掛けていないことが多かったので、その場合は添い寝になるけど。

潜り込むパターンはそれぞれ、お腹の方まで潜り込むのもいた。
この手のは大概しばらくして暑くなってくると、人の顔のところまで出てきて、プハ~って暑さを吐き出してから、出て行くタイプと、今度は顔のところで眠るタイプの二種がいた。
このときに人の首に襟巻きのように巻きつくのもいて、眠りにつくまで、耳を舐めたり、齧ったり、ごろごろと喉を鳴らせて、こちらは寝るどころではなくなってしまった。

人の手を枕にして寝る子もいた。
私は大概右を下にして横になって寝るので、その腕が彼女たちの専用の枕になった。寒いときには背中を私の胸にぐいぐいと押し付けて、、、暖をとっていたのかな。、
以前にも書いていたけど、大人になって家に居つくようになった一匹は、どこかで人への怖さが抜けきれない。だから布団のところまで来ても、布団の隅でねていた。ある日彼女が布団に潜り込み私の腕で寝始めたので、変だな~ だんだん人間になれて、これから布団猫になるのかな~って思いながら、寝始めたら、なんとなく胸のところがぬるぬる。
布団の中でお産を始めちゃったのだ。あわてて押入れにダンボールの箱を用意し、そこでお産をさせたが、後にも先にもこれは本当に稀有な経験だった。

私が寝る用意を始めると、さっさと布団に行き、人の枕の真ん中を占領して、眠る子もいた。寝ようとして、邪魔だからって布団の端に寄せると、必死で私の頭をどかそうとする。そこは私の寝るところだから、場所を頂戴ってこと。領地争いをしていればいつまでも眠れないので、私は枕の端に不安定に頭を乗せて寝ることになる。
それならって、一度枕を二つ置いてみた。そして彼女の寝ているのとは別な枕で寝ようとすると、彼女は、そっちが私の枕って、枕をとりに来る。結局同じことだった。

私は眠りにつき難く、眠りが浅いタイプ。猫が身じろぎしたり、布団から出ていたり、入ってきたりするたびに起こされて、眠りにつけなくなっていた。
それに私にぴったりと身体をつけて寝る彼女たちのために、寝返りを打てないので、朝起きても体の節々が痛いことが頻繁にあった。

布団猫ってことではなく、一緒に眠るってことなら私は、彼女らに昼寝のひと時も奪われていた。(http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f50e13f2ae5b0a82c4c5e89589d51d7f)

今はもう、眠りを妨げる猫はいない。平穏だけど寂しい夜を送っている。


猫の川柳 二題

2006年09月28日 12時44分52秒 |   私の小さな恋人たち



Mixiの猫のコミュで川柳のトピックがたち、それに書いたものですけど、



そっちには手枕ないねと
  手を合わせ


夏でも、冬でも人の手枕を欲しがる猫がいました。
布団に入って、ふっと思い出すことがあります。



掌で空腹になくこの命
先に逝かれる悲しみも忘れ


家にいた子たちは全て生まれたばかりの捨て猫でした。
死んだりいなくなったりしたときの悲しみを思うと、
もう拾うのはやめよう、って毎回思うのですけど、
手の上で、空腹と絶望に震えながら泣いているのをみると、
どうにもなりませんでした。

私の小さな恋人たち 目次

2006年09月18日 17時38分27秒 |   私の小さな恋人たち
まだ転載途中ですが、
目次を作っておきます。




追憶 恋人たち
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/22f29a05431ef116b21e0512236aae67

思い出 メー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/9772a6f230b6d856ec54e986b18b6fad

我が名はミミ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/43bad6ab9acb1dde73908170746e0239

ミャー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f54f6f1aa587bcd8057203fda384af18

恋人たちの英才教育 ミャー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/08a54d27010639a41f88bfa139c66120

母性 ミャー2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/dd99ce702b0025138ab518ac94ff6e33

モモ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/178b1543688948d7e17139b7885a9453

タマ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/6f3b29a072ea888845d31c0142e73522

カルガモの行列
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/36d6af0d43978514e49cd595f094f39a

ミー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/60d1e6fab748535bac6926a24b14ceae

午睡
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f50e13f2ae5b0a82c4c5e89589d51d7f

モモ2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/7927ef73ea93100cd8a33cf0af044788

布団猫
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/7bc2c5c22c23fe3a62d6365024883ba0

猫の川柳
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/6aa9b4da8358361fba687b84d8db0486

猫、ネコ、ね~こ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/5f64afac21b16a7aa05b29ff60484873

三渓園の鳥たち
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/90a0d7f1fe4cbdab02e5d2d08eb8f2ab

風邪 もてました!!!

2006年01月04日 23時44分20秒 |   私の小さな恋人たち
DATE: 01/04/2006 21:07:36

一月以上仲良くしている風邪がまた再訪してくれました。

先日来お腹の調子が悪く、肋骨の1番下の骨の前後が痛く、胃も調子悪く、、、、、って思ってましたら今日の昼くらいからは吐き気と頭痛、微熱に変りました。



暮れに倒れてから、女の子たちが私のことを注意してくれていたようで、今日は朝から自称看護婦たちが引きも切らさず。



気持ち悪いのと、力がでないのと、節々の痛みと、、、

で、かすれるような力のない声で、普段の毒舌もなし。



女の子たちは、「可哀想」って、涙目でうるうる。

でも「こんな貴方のほうが母性本能をくすぐるわ~」だそうです。



蜂蜜レモン、葛湯、生姜湯、ホットブランディ、その他もろもろを飲まされました。
風邪薬も売りに出せるほど、溜まりました。




でもぴか一は、あの子だった。

何も言わないで入ってきて、部屋の暖房を暑くして、ブランケットを私にかけてくれ、膝枕をしてくれて、頭や、背中をずっとなでてくれていた。

こんなときに私が一番必要なものを知っている。
寂しい私の心を判ってくれている愛しいお前の膝枕。




お前が一番素敵だよって言おうと頭を持ち上げようとしたら、「ずん」っと暗い穴に落ちていった。


寒い薄暗い明かりの中に横たわっていた私の首にはマフラーよろしくミミが覆いかぶさり。背中と背中をくっつけてマツが寝ている。ミーは私の腰の上で私に暖を送ってくれる。

リュウはしきりに私の顔の汗をなめている。

「おぉ~。お前たちも看病に来てくれたのか」って言おうとして、背筋に冷や汗が出た。こいつらとっくに死んでいるんじゃない。



「あ~っ」と叫ぼうとしてふと目が覚めた。



暖房も切れた、暗い部屋。布団もかぶらずに寝ている私の背中は冷たい冷や汗でびっしょり。



でも、私は心底ほっとした。

だってこれが私の普通の姿だもの。




モモ その2

2005年12月21日 23時55分54秒 |   私の小さな恋人たち
お茶の先生のところのモモ君については12月3日に書いたけど、この猫は本当に勇猛、大尽の風格を持った猫だった。
マツに言わせれば、猫にしとくのは惜しいというところか。

先生の隣の家に犬がいた。
通りを通っている程度なら問題ないのだが、ちょっとでも門に近づくと猛然とダッシュしてきて相手をにらみつける。
家の人と話し出すと、嫉妬してか、狂ったように吠え出す。
見かけは獰猛だけど、このうちの嫁に出た娘さんが大好き。
里帰りで返ってくるときなど、車が見えないうちから、吠え出し、尻尾が千切れるのではないかと思うほど振っている。
車が着いて、娘さんが門を開けて入ってくるともう、一騒動。


この犬がモモのからかいの種。
モモはすることが何もなくなると、隣の家との間の塀に登る。犬は噛み付きそうに吠え出す。飛び掛れないことを知っているモモは悠然と塀の上を行ったり来たり。犬をからかっているのが判るのは、決して犬の死角には入らない。何時も犬にその姿をみせて、ちらちらと視線を送り、犬が吠えるのを楽しんでいる。

ところが先生が隣に用があっていくときには、モモも一緒に後をついていく。
門を開けて入っても、全く平然としている。どうしたことかこのようなときにはこの犬も全くお客様を迎えるような態度で、先生とこの敵を迎え入れる。

公私のはっきりとした犬と猫の関係。
第三者にはちょっと理解しがたい。

ミー

2005年12月11日 14時39分08秒 |   私の小さな恋人たち
DATE: 12/11/2005 19:49:51

ところで茨城の家にいたミー。
彼女は結局娘の猫で終わった。



膝に乗せれば、乗るし、膝の上で寝るけど。娘以外の家族とは、すべてちょっとした知り合い程度の距離を崩さなかった。

それが一番判るのは獲物をとってきたとき。
茨城に移った当初はミーは板橋生まれの都会の猫。家の周りの野原に行っても何も獲物は取れなかった。
でもしばらくすると環境に慣れたのか、だんだんと獲物を持ってくるようになる。

誇らしげに「ぐるぐる」って低音の喉声を響かせながら家人のいるところを避けて部屋の隅を走って帰ってくる。
家人に獲物を取られるのが心配、でも狩の成功は誇らしく皆に見せたい。そんな気持ちだったのだろう。

「ぐるぐる」この声を聞くと、家の家族は戦々恐々となる。

バッタやカマキリなどの素人さんの狩はすぐ卒業してしまった。
その後はネズミやスズメ、モグラや果ては小さな蛇まで、何でも手当たり次第に持ってきては、家族の前にディスプレイする。
「ぐるぐる、ぐるぐる」
悲鳴を上げるもの、逃げるもの(これは蛇を持ってきたときの私。可愛い、若い女性と蛇だけは私は苦手。)「ぐるぐる」は家の空襲警報になった。

で、獲物を取り上げようとすると、他の猫たちは黙って、取り上げさせるが、ミーはすごく怒る。
「ふぅ~。」って威嚇の声を上げ、獲物を口に挟み逃げようとする。
外に逃げてくれれば、問題ないのだけど、殆どのケースは蛇やネズミを持ったまま家の奥へと逃げようとする。
そうはさせまいとする人間との追跡合戦が毎日繰り広げられていた。