夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

命を賭ける

2005年08月05日 21時01分54秒 | 芸術・文化
DATE: 08/05/2005 23:47:02

最近弟の入院や、私の昏倒、それに私の再就職先の関係者が全員入院したりしたので、病気や病院、そして命の話をよくしている。もっとも殆どはちゃかしたオカルトムードの話だけど。

でも弟も子供のときに大病し、後何年といわれながら、幸いなことに今まで生き延びてきた。私も原爆直後に爆心地に入り、いつ何時原爆病で倒れるかもしれないという危惧を抱えて生きてきた。
私たちにとって、そのときそのときの仕事、生き様は、もしかしたらそれが自分の最後の仕事、自分の生存の証になるもという気持ちが強い。そして人にもそれを期待するところがある。

だから人を見ていても、才能のある人が、それに気がつかない、気がついても無駄に使っている、あるいはそれを単なる名声や、金儲けの道具として使っているのを見ると、人以上にきつい反応をすることが多い。

弟も才能のある弟子が、親の意向で音楽を離れたりするのを見ると、親やその子には何も言わないけど、家では地団太踏んで悔しがっている。

若いときの貰う栄誉。それは作家にとってはとても嬉しく、将来を約束されたと感じるものかもしれないけど、そのために人を押しのけ、裏切り、利用し、そして得られた栄誉なら、それは作家としての名誉のために作家の本質を亡くすこと。

またその栄誉も、場合によっては作家がまだ自立できていないのにたまたま与えられたりすると、その作家は小さくまとまってしまい、それで完成したと思ってしまう危険性さえ持つこともある。
最近の文学賞などでは、意外性や、単なるちょっとした技術で、この人にあげたらその賞が評判を取るかもしれないといった政治的な判断で与えられているのではと疑問になるような出され方もあるような気がするし、その後、その作家が大勢したのか、続いて何かよりよいものを出せたのかというと、全く寂しい限り。

どうせ未完成なものに与えるのであれば、小手先の技術よりも、荒削りでもいい、もっと本質的な部分に延びる可能性を持った作家に与えられればと思うけど。

どうしても評判を取る、世に知られる、金が儲かるって、そんなところに行き詰ってしまう傾向が見えて、、、
だから、歳よりは嫌われるのだろうけど。


なんかとりとめのない話