夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

至福の時とは (転記)

2005年08月18日 15時26分58秒 | 芸術・文化
2005年08月17日 10時22分07秒

ある大学のアートマネージメントの時間、同席していた教授が私に質問しました。
「今の仕事に満足していますか?」
私の答えは、「はい、」でした。
自分の好きなアーティストを見つけてプロモーションする。自分の好きな、やりたいコンセプトの企画を組む。
上司に向かって、「あなたの任務は、こういうことなんじゃないですか。なら私を自由にさせて、私のお願いすることに協力して、サポートしてください」なんてことを平気で言って、仕事場の組織力、名前などを勝手に使い、その機能を使わせてもらい、そろそろ40年近くにもなります。
こんな素晴らしい職場はない、私は本当に幸運な仕事の環境を与えられてきたので、その点では満足。

でも満足ということと、至福の時って感じるのはちょっと違う。
私にとって至福の時というのはなんだろうと思います。
目的を達したとき、例えば山登りで頂上に立ち、足元の風景を見ながらタバコに火をつけ、最初の一服を吸う時、これも至福の時と言えるのかも知れません。

でも基本的に私の至福の時はもっとパッシブなものであるような気がします。
何も自分を主張しなくてもいい、何も足さない、何も減らさないでいいような満ち足りた環境に自分をおき、ただひたすらに堕情な安心に身を浸すこと。
前にも書きましたが自分には原爆病を発病するかもしれないという死えの恐れが子供のときからありました。
だから心の底から安心して身を任せていられる状態、環境というのが私の最大の至福な時なのかもしれません。
いつもことあるごとに書いている「膝枕」も、安心し信頼している人のそばで何も恐れない、何とも戦わないでいられるそのような時間のこと。
やはり私には、膝枕が必要なんですね。