夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

覚悟 プロへのステップ

2005年09月28日 15時54分25秒 | 芸術・文化
例えばある人が美大を卒業した。
学校で学んだことをプロとして実践していけるのか、自分の望む作品が受け入れてらえるのか、プロとしての人脈、経験を積む時期というのはあると思う。
この時期を仮にセミプロの時期と呼ぼうか。
この時期であれば、自分や自分の作品を知ってもらうためにすべて持ち出しで作品を作り、舞台を踏むことも仕方がないかもしれない。
でもプロがプロである所以は、自分の作品で食べていけることなんだと思う。
自分の作品に込める思いと、現実から来る要求のぎりぎりのせめぎあいを経てプロの作品は生まれてくるのだと思う。
自分を主張しすぎれば折角のチャンスをつぶすし、安易に受け入れて迎合すれば、それが貴方の作品だとあなた自身の評価がその作品によって決定される。それはそれ以降の貴方の活動に大きなマイナスにしかならない。

いつまでたっても機会を与えられたからと持ち出しで作品を作っていくのであれば、その人はプロではないし、結局のところ道楽で作品を作っているアマチュアと代わりがない。もしプロの企画、会場運営者が、材料費や制作費などもカバーできないようなオファーをしてきたら、あなたはそれだけとしかみなされていないことに気がつかなければならない。
これはアーティストだけには限らない。自分の技術や見識を売る仕事では、自分が責任をとれないような条件をオファーされたときに断れるかどうかがその人の一つの評価になると思う。またオファーする側もきちんとした技術を必要とするのであれば、その辺は理解しているはず。

プロであればそれを受けれるかどうか、自分の生活があるのだから、、

セミプロからプロへのステップでは大きな覚悟と変革が必要だし、プロになればなったで毎日がせめぎあい。
それ以上に自分の作品や、その気持ちを毎日考えなければならないのだから、プロとは辛い一生だね。


食べていかなければいけない作家なら誰でもしっていること。でも変革期にある作家や、お嬢ちゃん、お坊ちゃんの道楽作家にはわからないことかもしれないけど。


アートマネージメント

2005年09月28日 14時47分10秒 | 芸術・文化

アートマネージメントが大変興味をもたれているようで、さまざまな大学でも講座がもたれ、学生たちを集めている。

ただこの学問(私はある部分職能教育-それも大学院レベルの-であると思っているけど)は、あまりにもカバーする範囲が広すぎるのではないかと思う。

細かく述べていくことはできないけど;

そもそもこの学問が始まったのはイギリスの演劇関係であったということだけど、日本でも同じ時期に音楽経営という形で講座が始まっている。

まずジャンルの問題。演劇や音楽、美術それぞれでマネージメントのやり方も違うし、大きな方言の差がある。これらを一からげに教えることはちょっと無理があるのだろうと思う。

次に環境。たとえばイギリスのアートマネージメントはいくつもある助成金を、どこにどのようにしたらうまく取れるだろうかということが根底にあったかもしれない。でも日本では助成金の範囲も量も殆どなく、そのような環境でどうしたら経済的に自立できるのか、希望している企画を運営していけるのかがその始まりにあった。
ところがこのような音楽企画という講座はいつのまにか消えていって、今各地の大学で教えられているアートマネージメントの講座を受け持つ人は多くがヨーロッパで学んできた人々。そして結局大学にこもっているので、実戦経験が非常に少ない人々である。

だから現況のアートマネージメントの講座の中心は、経済的にも、それを公開する施設もあったとして、どのように運営していくかが中心になっている。

少なくとも日本ではお金や施設を見つけてくることから始めたら、一年の講座はそれだけで終わってしまうだろう。
でも日本ではそこが一番困難な問題であるのだけど。教授陣たちは自分たちがマネージメントを実践するときに、大学の施設や、あるいはその地方のスポンサードへの強いコネと影響力をもっているので比較的容易にそれらが可能なので、これがいかに死活問題であるかについての認識が薄い。
だからヨーロッパ風の教える内容であっても別段問題なし、これで実践可能という気持ちになっているようだけど。

学生たちが卒業して、実際に業務を始めたとしてぶつかる現実の大きな問題には解答を与えることが少ないのではないかとちょっと危惧している。

アーティスト・イニシアティブ

2005年09月28日 10時04分49秒 | 芸術・文化
2006年01月14日 
ヨーロッパで流行っているからって、アーティスト・イニシアティブを日本にも持ち込もうとするアーティストたちが多いけど、
そんなに簡単?

例えば現代美術でパドルスという企画がある。いくつかの国の作家たちが集まって、ワークショップや展覧会を開いている。日本でも行われているし、それがオランダやドイツにも回っている。
でも日本ではこれをプロの企画者が受けている。
日本ではアーティストが簡単にそれを受け、アーティスト・イニシアチブとしてやれない環境にあると思う。

ヨーロッパでは誰かが企画を立てると財団やメセナなどの助成金を出す環境や風土がある、会場の手配も日本と比べると比較にならないくらいに簡単にできる。企画を立てるアーティストたちにとって一番問題なのはアーティスト同士のコミュニケーションでしかない。
だから共通の土台が多いアーティスト同士が企画を立て、参加していくほうがよりスムーズに運営できるし、企画者のビジネスにまみれた目線よりももっと純粋なポリシーが保てる。

でも日本では助成金もない、会場もなかなか見つからないし、見つかってもさまざまな条件を付けられて、その対応に終われてしまう。企画の内容を詰める時間もなくなってしまうし、そこへ展示する自分の作品を作ることもままならなくなることも多い。

アーティスト・イニシアティブはアーティストにとっても貴重な経験と今までとは違うものを見る目を与えてくれるかもしれないけど、ある部分諸刃の刃、自分をすり減らすことにもなりかねない。
それもその企画だけで苦労し、自分の信条とは違う行動をとるならまだしも、企画がうんよく成功したりすると、自分の作品や人生への目線がビジネスっぽくなっていったりする人もいる。
ちょっとした企画で成功したアーティストが作家としての自分を取り戻せなくて、半企画屋さんに成り果てているのを何人か知っている。

やるときにはちゃんとその辺を計算してね。