夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

変なもの その3

2010年11月05日 11時30分03秒 | 芸術・文化


この間「おいちゃんは」っておいちゃんの撮る変な被写体をご紹介しました。
実は、そのちょっと前にも、「なんとなく滑稽な」って、変な被写体を紹介しています。
ですから、ここは「変なもの」シリーズの第三弾ですね。
もっとも、時間をもっと長くとれば、あっちにも、こっちにもたくさんその「変なもの」が出てきますけど、あまり意味がないし。


流木や枯れたシダ、、、なんであんなものを面白がって撮るんだろうと思いますが、それにはおいちゃんの悲しい過去があるのです。

仕事場に入ってから、おいちゃんの仕事は、ある国のゲージュツ、ブンカを紹介することでした。
それも、古典は評価が定まっており、紹介すべきものは商業ベースでやれるから、あなたは現代ゲージュツを紹介しなさいってことでしたので、おいちゃんは一生懸命、ゲージュツカと付き合い始めました。
ゲージュツ蚊はブン蚊の仲間。あまりたちのいい手合いではありませんでした。
そんな人の間で、あまりにも熱心に飛び回っておりましたので、おいちゃんの目は飛蚊症になり、目の中に蚊がぶんぶんと飛び回るほどでした。

だから、おいちゃんの頭の中は少し壊れてきたのだと思います。
なにが美しい、何を紹介すべきもの、、、ほんと、ゴミ箱をあさっているようなものでしたからね。
   ゴミ箱; 比喩で言っていると思いますか? とんでもない、それがまったくの真実のものもあったんですよ。
   どこかのお花の流派のお家元。展覧会をやるからおいでなんて言われて、おいちゃんは、華道なら、きゃわいいこちゃんがいっぱいいるだろうと、、、思ったかどうかは定かではありませんけど、いそいそと出かけましたら、なんとそこは夢の島状態。観客も変に気取った根暗ばっかし。。。おいちゃん、がっかりしてしまいました。
   これは別な美術の作家。展覧会やってよってサンプルで送ってきたものは、なんとなく一般受けするような作品。
「まあ、これならどこかに当てはめてもいいか」なんておいちゃんに思わせといて、さて、やろうとして送ってきたのは、ゴミ。
おいちゃん、仰天しましたね。出版されている彼の作品集や、それまであちこちの美術館で見たものとは全く異質なもの。
「このガラクタはなんだ」っておいちゃんの問いには、「作家って日々進歩するものだよ」なんて澄まして答えていましたっけ。
おかげでおいちゃんは顧客の信用を一つなくして泣いておりましたな。

もちろん、おいちゃんも年一くらいは、「顧客サービスです」なんていいながら、好きな古典の展覧会やコンサート、ダンスや舞台のパーフォーマンス、イベントを企画しては、半公認でやっておりました。
成功の拍手は仕事場に、失敗のつけはおいちゃんが負う、そんな馬鹿な状態、、、それでもおいちゃんは古典をやっていたのですね。
それがなければ、おいちゃんの頭はとっくに壊れていたと思いますよ。

でも、ときどき思います。
おいちゃんの仕事の日本のカウンターパート。文化庁では評価の定まらない現代ものにお金と時間をかければ、必ず文句がでてくるからって、現代ものはほとんどやっていない。それを扱えるスタッフさえいない。
おいちゃんみたいな、素人にだって、外務省のスタッフが日本の文化を海外に紹介してみないなんて声をかけてくるくらいだから、人材不足はどうしようもないのでしょうね。
というのか、お役人と話をしてみて人材はいっぱいいるんだと思いますよ。でも政府の枠組みが自由な動きをできなくしている。
まあ、理屈で考えれば日本の役所の動き方のほうが当たり前なんでしょうけど。

最近、漫画だのアニメだのって少しやり始めましたけど、あれだって、世界的に評価を受けたから、それをやっても叱られないって見定めた後ですよね。
評価の定まったものの紹介や、保存なんてのは、それこそ「コマーシャルベースベース」でやれること。
ノンプロフィットの政府としては、まだ評価の定まらない今の文化の紹介、振興をすることが本来の役目だと思うのですけど。

日本では、現代ものっていう言葉さえ理解されていない。
昔、NHKが現代アートの展覧会をやり、それをヨーロッパに回したかったんですね。監修はとても高名な美術史家さん。
相談されて、おいちゃんは鼻先で笑っちゃいましたよ。
そして、担当者とその美術史家さんにいいました。
「これは現代アートではなくって、近代です。だってどの作家ももうとても高く評価されている人だし、その芸術は既存のものになっていますからね。」
それでもどうしてもというので、おいちゃんはヨーロッパに行ったときに知人の美術館の館長や学芸の人にそれを見せましたが、あちらで言われたことはおいちゃんと全く同じ言葉でした。

どこの国でも、名前やその芸術が評価されて、初めて既存のものになる。当たり前のことですけど。
でも、今を紹介しようとした場合に、今、生まれている芸術って、その枠組みから離れているんですよね。それをどう位置付け、評価し、取り上げていくか、それがアートマネージに携わる人にとってとても大切なこと。
   
なんて、口では簡単に言えますけど、現実はとても不可能に近いこと。
おいちゃんは、このやり方が悪ければ辞めさせてもいいですよ、って開き直っていた部分があるし、人(主催者)にリスクを負わせるのに、自分が認めたものじゃなきゃ紹介できないでしょって、気に入らないものは絶対に手をつけなかった。それがおいちゃんの仲間には評価されたし、向こうの国でも一応の評価を受けて勲章までもらったり。もっとも日本で言えば勲四等くらいだから、大したもんじゃないけど、ブンカ、ゲージュツの分野での叙勲は日本と同じでそんなにないんですよ。
その後、かの国に行ったら、今まで鼻もひっかけなかった、大美術館の館長たちからおめでとうを言われて、「こんなブリキのおもちゃよりは、ボーナスをくれるほうがいい」なんて思っていたおいちゃんも、仕事に役立つならよかったわいって思いなおしたくらいですからね。

でも、おいちゃんのような仕事のやり方ができたのはとてもラッキーだったから可能なこと。
教壇に立って、これから続いていこうとしている学生さんたちにこんな話をして、日本の美術界に巣立って行ったら、みんな挫折するのは目に見えている。。。。言えないよね~


日本の美術館では、高名になった作家の作品しか購入しません。
高い税金を使ってね。
でも、ヨーロッパの美術館では学芸の仕事の一つが、これから出てくるであろう作家を紹介し、場合によってはその作品を購入すること。
プロでも、はずれは多いでしょうけど、それがその館長や学芸員の評価なんですね。

その意味で、日本ってどこまでいっても島国。自分が分からなくっても他人が高く評価するものは、「いいもの」になってしまう。知らないものを自分の目で評価するってことが難しい人が多すぎるんですよ。

なんちゃて、でもチビ太にはおいちゃんの面白いものは、どうも評価できない。せいぜいおしっこをかける対象くらいだな。。。。
でもま~ おいちゃんに残された時間はそんなにないのだから、いまさらおいちゃんの価値基準を矯正いたしましょうなんてことをやっても仕方がない。
おいちゃんにはせいぜい、暖かい日だまりの羊の夢を見てもらいましょう。
だって、おいちゃんは未年だから。


野辺ごとにおとづれわたる秋風を

2010年11月05日 04時40分50秒 |  気になる詩、言葉


野辺ごとにおとづれわたる秋風を   
   あだにもなびく花薄かな

        八条院六条
        新古今集 4-350


また、薄かっておっしゃるのですか?
仕方がないのですよ。
家の前、薄の大群落がありまして、、
いえ、決して植えたりはしていないんですけど、山の中にいますとね、刈っても、刈っても生えてくる。ようするに、さぼったリングじゃないけど、さぼりの象徴ね。


ところで、この前の徽子女王の

ほのかにも風は吹かなむ花薄     
   むすぼほれつつ露にぬるとも


で、風と薄は男と女だって書きましたけど、これがその証拠。

秋風は男性。 だから
あっちでも、こっちでも風が訪れる、、、男性が女性のところへ訪ねて行く。花薄(女性は)それになびいている。。。。

まあ、人間だって、生物なんですから。
それに、それでブンカだらゲイジュツだらが発展してきたのだし、それで食べてきた私としては文句の言いようがないのですよ。
もっとも、枯れちゃってしまった今となっては、あほらしい努力なんて、気持ちの隅にちらっと思ったりして。。。。

ということで、薄の写真は終わり。(今のところは)
でも、花薄を詠んだ詩は山ほどあるし、
家の前の薄もまっさかりだし、、、
また、油断していると、薄の写真が出てくるかも。
その節は、おいちゃん、何も撮るものがなくなっちゃったんだって、笑って受け止めてください。



ほのかにも風は吹かなむ花薄

2010年11月05日 04時18分06秒 |  気になる詩、言葉


ほのかにも風は吹かなむ花薄     
   むすぼほれつつ露にぬるとも

        徽子女王(きしじょうおう)
          女御徽子女王とも、斎宮女御、承香殿女御、式部卿宮女御、いろんな名前を持つ人ですね。醍醐天皇の孫になる人で、三十六歌仙の一人。
        新古今集 4-348

この前の式子内親王の詩のひとつ前に載せられている詩。
式子内親王の詩では、おいちゃん完敗しました。難しすぎるからね。
でも、こちらはすんなりでしょう。

風と薄、、、これは男と女を意味しているんですけど、この場合は、風、、、風の便りなんですね。それも女性側から男性へのラブレター。というのか、自分は書かないけど、風に私の思いを伝えてほしいって願っているんですね。
露は涙、、、鬱積して涙にぬれている私の心を、、、
ってことですけど、でももっと直截に、風を風の便りではなく、普通に恋人としてとらえて、
風(恋人を想う気持ち)のために鬱積して涙にくれている私に風が渡ってきてほしいってとらえる人もいるようです。

いずれにしろ、その両者の感じを持つ詩ってことで、、、、
また、完敗かな~
ごめんね。
  

  

花薄まだ露ふかし穂に出でば

2010年11月05日 03時46分49秒 |  気になる詩、言葉


この前で、平貞文の

今よりは植ゑてだに見じ花薄
   穂にいづる秋はわびしかりけり

      古今集 4-242

ご紹介しましたけど、この詩を元に式子内親王はこんな詩を詠みました。

花薄まだ露ふかし穂に出でば     
   ながめじとおもふ秋のさかりを

      新古今集 4-349

なんて、前の詩の続きとして簡単に出してきましたけど、ちょっと後悔しています。
この詩、かなり難しい。
さら~~っと読んでしまえば、
薄の穂が出てきたら、秋の盛りを眺めましょうかいね、、、
って、でも、、、これ、不正解ね。

花薄=美しい女性、、、(なもん、昔はいたんだね~ 今や絶滅したようだけど、、なんてことは口が裂けても言っちゃいけませんよ) 
露ふかし=涙が涸れていない、、、(もちろん、恋人を想う涙よね。玉ねぎを切ったからってのは、あんた、あまりにもひどすぎるっちゃ)

そんな気持ちで花穂をつけてくれば、、、

その次の、ながめじ、、、、(こりゃたいへん。おいちゃんには手ごわすぎる)
世の中の秋の美しさを眺めたくないと思う、、、、
なんて、これで大丈夫かな~

おいちゃん、完敗だね、、、



今よりは植ゑてだに見じ花薄

2010年11月05日 03時18分40秒 |  気になる詩、言葉



今よりは植ゑてだに見じ花薄
   穂にいづる秋はわびしかりけり

          平貞文
          古今集 4-242

もう、薄を庭に植えて観賞しようなんて思わない。
花穂のつく秋は寂しすぎるから、、、


薄なんて、雑草の最たるものなんですけど、今、花穂が咲き誇っているところをみると、本当にきれい。その穂が次の年には大ごとになるのさえなければ、庭に植えてもいいくらい。
昔の貴族は、召使いをたくさん使っていたから、薄を庭に植えても、コントロールできたのでしょうね、、、
薄を植えるってことがよく詠われています。
おいちゃんなんかがそれをやったら、来年は、家にたどり着けなくなっちゃう。薄をラッセルして気息えんえんって感じで手足も傷だらけなんてことになるかもね。

貞文さんは、その薄を庭に植えて、恋人と楽しもうって思っていたんですけど、ほれ、予定は未定にして、、、ってことで、恋人に振られたのか、、、
花穂が素晴らしく咲きだしたけど、恋人がどこかへ行っちゃった(のかな?) 
ほんとならば、今頃はこの花を一緒に楽しんでいたのに、、、、
もう、絶対薄なんか目につく庭に植えないから、
なんて、ぶつくさ言っている詩でござんすよ。

おいちゃんみたいに可愛いU20は、絵に描いた餅で、見果てぬ夢であれば、憧れで済ませられるけど、、、実際に恋人と手に手をとった経験があれば、つらいのでしょうね、、、、
もてないおいちゃんは幸福だったんだ。
よかった、よかった。


新古今集の式子内親王の花薄の詩

花薄まだ露ふかし穂に出でば     
   ながめじとおもふ秋のさかりを


は、この詩を本詩にしているって言われています。
この詩は後ほどね。



おいちゃんは

2010年11月05日 02時55分37秒 |  岬な日々


おいちゃんは、ときどき、、、っていうか、ほんとうはみんなそうなんだけど、、、変なもんを撮って喜んでいる。
これもその一つ。

自然は偉大なり、アッラー アブラカバブラなんて呪文を唱えながら、恍惚と見とれている。まあ、恍惚になる歳だからしかたがないか。

ふん、おいちゃんがこれを撮ったあと、チビ太はこれにおしっこしちゃった。
だって、ちょうどいい具合だもん。