ちょっと旧聞になりますが、4日の日曜日、弟の音楽教室の発表会に行ってきました。来られなくなった写真家さんのピンチヒッター。
朝の10時から夜の7時半まで、お忙しいことでございました。
大変だね~って言いますと、これでも、以前の半分、以前は二日ががかりだったんだから、不況で子供たちが減って大変なんだってこぼしておりました。
でも会場では、小学生から、高校生。そして大人の生徒さんまで、、、大人は音大の卒業生だったりして、、、多種多様な音が響いておりました。
多種多様といえば、以前にもご紹介したと思いますけど、弟の教室のほかと一番違うところは、アンサンブル重視。
おまけに、チェロを弾いていた子が、アンサンブルではバイオリン、こっちではピアノなんて、それが当たり前で持ち替えをやっているのですね。だから、音、音楽に対する感覚がかなり違うように見受けました。
それに伴奏やアンサンブルでの演奏がうまい。その辺のアンサンブルをあまりやってない音大生なら真っ青になるくらいにちゃんと音を聞いているし、メロディを把握している。たまに音程が狂っていても、それは感覚がないのではなくって、それに技術がおっつかないため、、、、ということにしておきましょうね。
舞台が、編成が変わるために、楽器など入れ替えで時間がかかるようなときには、中学や高校生のお兄さん、お姉さん、そしてインストラクターのおじさん、おばさん、、、、、(ごめん)たちが幕間の演奏をしてくれていましたけど、インストラクターの方々の演奏に比べても、技術はともかく、子供たちの音楽に対するひたむきさが伝わってきて、子供たちの演奏のほうが何倍も気持ちがいい、そんな思いを受けました。
今日のお言葉、その1
ねぇ、どんな場所でも、プロなら最善を尽くすべき。いろんなエクスキューズはあるでしょうけど、不満な演奏を(作品を作るときも同じね)やったら、どんな人がそこへ来ているかもしれないし、たまたまそのときのそれがその人の実力とみなされても仕方がない。
たまに、ものすごい演奏をしても、あとの演奏が駄目なら、駄目なほうで評価される。「気が乗ると、すごくいい演奏をするんですけど」なんて世の中甘くない。
もっとも、例のピアニストみたいに、「気乗りがしないから」って演奏会をドタキャンされるのも、聞くほうとしてはたまったもんじゃないけど。
今日のお言葉、その2
ねぇ、その1は誰のことを言っているかわかる。
幕間でショパンのエチュードの1番を弾いた人。現場で曲を変更したのには理由があるのだろうけど、あんな気乗りのしていない演奏、聴いている人に失礼、それに将来をつぶすよ、、、、なんて、見当違いのばかげた批評がやってくるのもプロの業。鬼みたいな批評家の言葉に耐えるのもプロの技よね。
でも、心配しないで。リストコンクールでグランプリを取って、ウィーンだかどこかの音大の教授をやっているピアニストと食事をしながら、面と向かって同じことを言った覚えがある。
「あんな演奏をやっているのなら、貴方のコンサートなんかぜったいにマネージしない。奥さん(これも同じ音大の音楽家のために体にやさしい演奏法などを教授している人。このような教科があること自体、その当時は日本では、声楽以外では、あまり知られてなかった、、、)の方を日本の大学に売り込むほうがよっぽど価値があるよ、、、」 (なんせ奥さん、とても綺麗な人で、この話を聞いたら身を乗り出して来ていたので)
私って、そんな「鬼」だから、誰にでも噛み付くのよ。
ところで、似非批評家業は別に置いてっと、
ここの子供たちとても貴重な経験をしている。
どんなに貴重かはまだ分かっていないかもしれないけど、
だってバイオリン教室とか、ピアノ教室の発表会で、トリオやクワルテットを演奏するだけならともかく、オーケストラで弾いたり、自前のオーケストラとかアンサンブルの伴奏でソロができるところってないでしょう。
これって、大きくなっていったときに絶対に有利。音感が違うもの。
どうしてもその楽器だけの教室なら、ほかの音を聞く訓練ができないものね。
もちろん、ピアノだけの伴奏なんてのもありますけど、
この下を見てくださいよ。伴奏はみんな弟の教室の子供たち。
ずっと昔に、この発表会に行ったときに、幼稚園の子が、幼稚園のバイオリンの子の伴奏をしていた。ソロの子のテンポが狂いだすと、ちゃんと左手でテンポを分かるようにはっきり弾いてみたり、メロディを飛ばしても知らん顔をして、それについていっていたのをみて、驚嘆したことがあるけど、ここの子たちにはあたりまえにできる業なんですね。
アンサンブルの経験、これって、アンサンブルで弾くことだけじゃない。特に弟の教室のように子供のときからそれをやって、ステージの準備や、譜めくりや、、、ってさまざま付帯したことも経験している。
音楽をやっていく上でとても大切なことね。
独奏者になるならともかく、ほとんどがオケや、アンサンブルに入っていくのでしょうからね。
ここの子たちの音感が、ピアノ教室とかバイオリン教室の子供たちとちょっと違うよねって思うのはそんなところから来ているのでしょうね。
(下の子、上ではピアノを弾いていますよね)
って、ことで、今日はおしまい。
塩をまかれないうちに、今から餌に行く。
この子達の未来は教えてくれる先生にかかっているようですね。才能も大事ですけれどその才能を最大限に引き出して上げるのも大人の役目でしょうし。
難しいですよね。
ばかげた批評でも見当違いの批評でもないよ。ただ「気乗りしない」って訳じゃないんだよね、ショパン大好き人間だし~、まぁ、よく見えん薄暗いなかで急遽Op.10-1弾く勇気あったら是非試してみてくださいまし。
まぁ確かにあの演奏は「将来をつぶし」かねませんよんね・・けど「お言葉その1」にあげられた女流ピアニスト、奇遇にも私が最も尊敬してるのも何かの縁、確かにひどいとはひどいことになっちゃうんだけど、好きなんですよね~何故かまた聴きたくなるんだよね~不思議と。
でも、聞く方にとっては、演奏者がどのような状態であるのかは関係がないのです。
そして、その時に聞いたものが、「最初で最後」になるかもしれない。
これはダンスや、講演でもおなじだし、一過性のものでなくとも絵画でも、彫刻でも同じ。
一つの作品、パーフォーマンスがその人を代表してしまう。
怖い世界ですよね。
このブログのあちこちにも書いていますけど、あれが貴方のレベルであれば、私は口を閉ざしてしまうか、素晴らしい演奏でしたって言っていると思います。
でも、あの演奏を聞く限り、貴方の実力ってあんなモンじゃない。技術的にももっと高いものを持っているはずって思いました。
曲の分析、解釈に関してはまだ未知の部分も多いですけど、、、、
だから、、あれを聞いていて実にもったいないな~って思ったのです。
きつい言葉になってすみませんね。
でも、もっと目の覚めるような演奏をどこかで聞かせてもらえると信じています。