夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

鴎荘  いすみ市岬町日在  森鴎外 

2009年05月16日 17時05分30秒 |  岬な日々


昨日の日記では、森光子の放浪記がちょうど上演2000回ということで、その大記録をご紹介しながら、JR外房線三門駅が林芙美子の放浪記に出てくることをご紹介しています。

三門の駅はいすみ市岬町日在というところにありますが、放浪記の主人公(林芙美子)がこの駅から海岸の方に歩いていったとすれば、途中で森鴎外の別荘の前を通ったかもしれません。

鴎外の別荘は夷隅川を隔てて砂浜があり、その先は岬の海が広がっていたところにありました。別荘は建て替えられていますけど、まだあります。夷隅川はその当時よりも北側に流れを変えていて、当時の夷隅川は今はラグーンとなっています。
周りの家が建て込んできたかもしれませんし、道路も国道を横切るところなどの一部は変わったかもしれませんけど、鴎外が田舎の生活を楽しみ、林芙美子がとぼとぼと歩いていった道は当時とそれほど変わっていないかもしれません。

海から3キロほど離れた私の家でも風が強いときにはかなり強い波の音がします。
鴎外の別荘は、ほとんど海傍といってもいいところ、凪いでいるときでも潮騒の音に囲まれていたのでしょうね。
鴎外は文学者、文筆家として名を残していますけど、軍医のトップとして、医学者として大きな活躍をし、国立博物館の館長なども歴任した、ほんとうに多忙な人だったのですね。
いすみの海がそのエネルギーの補充になったのかと思うと、その力に呼び寄せられていすみに終の棲家を決めた私としては不思議な縁を感じてしまいます。


鴎外の息子さん(類さん)が晩年をこの別荘で過ごされています。

なんかの企画で鴎外の娘さんがお話くださったけど、、、、
かなりお年を召していらっしゃったけど、もし森茉莉さんだったのなら当然ですよね。
茉莉さんが亡くなられたのは1987年。85歳でした。亡くなられた年にお話をうかがったとしても、ちょうど20年前。あるいはそれ以前のことになりますから。お話はもううつろになりましたけど、鴎外やその子供たちの話だったと記憶しています。


ところで、森茉莉さんもそうですけど、鴎外の子供とその孫達は全員ヨーロッパ風の名前を持っていらっしゃることはよく知られていますよね。
於菟(オット;オットー) 不律(フリツ;フリッツ) 類(ルイ)
茉莉(マリ) 杏奴(アンヌ)

孫達もまた
真章(マクス;マックス) 富(トム) 
礼於(レオ) 樊須(ハンス) 常治(ジョージ)

などなど、、、


この日記も、昨日のものと同様に、東京で書いていますので写真が間に合いません。写真を用意できましたら、追加しておきますね。



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18 コメント

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鴎外と岬町 (芝桜)
2009-05-16 18:44:43
それは存じませんでした。不思議な縁ですね。

鴎外はドイツに留学していて確かエリスってドイツ人の奥さんがいましたよね。それでお子さんたちなので、みんなあちら風の名前なんですね。でもその奥さんは精神を病んで亡くなったとか、どこかで聞いた気がします。昔々のお話です。
間違ってたらごめんなさい。
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エリス (赤い風車)
2009-05-16 19:08:30
エリスって確か、舞姫のヒロインですよね。
鴎外が留学から帰国してすぐに、彼を追いかけてドイツ人の女性が来日したらしいですけど、、
その彼女が舞姫であったのかどうかわかりません。
帰国して彼は2度結婚してますけど、ドイツの彼女のことは忘れることはできなかったようですね。
でも、つぎつぎと子供たちにヨーロッパの名前を付けていく、もし彼の恋人のことを奥さんが知っていたら、あまりいい気分ではなかったかもしれませんね。

ちなみに最初の奥さんは幕府がオランダに出した留学生、赤松 則良の長女でした。
少し前まで、日蘭協会の会長をやっていた、色部さんも赤松 則良の血筋ですよね。
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あっ、そうか (芝桜)
2009-05-16 20:34:11
そうでした。エリスは「舞姫」に出てくる主人公の恋人の名前でした。うろ覚えだったもの。でもあれは実話が元になっているんですよね。

ところで恥かきついでにお聞きしますけど、日本の女性大使第2号の赤松良子さんっていましたが、その人も同じ血筋ですか?
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そうでしたっけ (赤い風車)
2009-05-16 22:11:06

赤松さんって女性大使2号だったんだ。知りませんでした。文部大臣などを歴任した人ですよね。赤松さんの労働省時代の同僚に高橋展子大使や守山真弓大臣などがいたんですね。あの当時の労働省婦人少年局ってすごい人たちがいたんですね。

たぶんそのころかな?
当時の青少年育成会議から青少年交流ハンドブックのオランダ版を作れって言われて、海外出張にでる、直前に最終稿の校正をファックスして、飛行場に死に物狂いで走った覚えがありますけど、その担当者とは、その後10年後くらいに始めてお会いした。それまでは、電話での話しとファックスで原稿を送るだけで、お会いしたことがかったのですよ。
いろんな本を出しましたけど、本(ハンドブック)一冊一人で書いて、しかも担当者とは会わずじまいというのは唯一の経験でしたね。
確かこの方も労働省からの出向で赤松チャネルの方だったと思いました。なんだか、そんな話を電話でしたことがあるような?
強い個人のリーダーシップって、特に日本では悪い面ばかりを取りざたされるけど、意外とそうでもないこともあるんですよね、、、

赤松さんと、幕末の留学生の赤松と血縁があるのかはちょっと分かりません。

ところで、あのキラキラ星のお三方、芝桜さんのところのパーティーには何度かこられているはずですよね。昔々の話ですけど、、、
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鴎荘 (ジャンヌ)
2009-05-17 11:39:48
いすみ鉄道ファンのジャンヌです。

このようなお話を伺えて嬉しいです。

いすみ鉄道ファンの1年前のものですが、お時間がございましたらご覧くだされば幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/isumitetudo/e/0fa1471e68a88efd457228274f56faa4

その後、私も現地に行きました。梅屋庄吉さんの別荘跡地とすごく近くて驚きました。
小湊鉄道~いすみ鉄道~房総を横断する魅力のひとつとして、吉田前社長は、この辺りをPRしたかったようです。

そのためにも、いすみ鉄道ファンにこの記事をお借りし、リンクさせていただいてよろしいでしょうか?

よろしくお願いいたします。 
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ジャンヌさん (赤い風車)
2009-05-17 11:55:39
ブログ拝見いたしました。さすがに地元の方で地元の情報ばっちりですね。
こちらは森光子の放浪記の日記を書いて、それからのスピンオフですが、今はまだ東京に下りまして、写真や現場の様子の描写が用意できないので、ちょっと荒削り。反省しています。

これでもよろしければ、リンクはどうぞご自由に。
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それにしても (赤い風車)
2009-05-17 12:13:22
上のコメントを頂いたジャンヌさんの「いすみ鉄道ファン」や、この後の日記の「お呼ばれ」
でコメントを頂いた「いすみ」さんのいすみ市通信は、地元を代表する情報発信源なのですよ。
私のような場当たり的なものとは違い、地元にじっくりと根を下ろした情報はとても参考になるはず。
右のブックマークにリンクが入っていますので、いすみ情報を欲しい方はぜひ一度たずねて見られるといいですよ。


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ありがとうございます (ジャンヌ)
2009-05-17 12:36:22
快くご承諾いただき、ありがとうございます。

地元と言っても、出身というだけで、千葉市と松戸市の往復、少し大多喜という私にとって、地域の活性化のお手伝い程度で。
地元に住んでいれば、もっともっと情報を発信できるのでしょうが。

私(知らない人)に情報を教えてくれるサイトです!

これからも、よろしくお願いします。
 
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こちらこそよろしく (赤い風車)
2009-05-17 14:46:22
ああ、大多喜の近くですか。
たまたまこのレスを頂いている間に本多忠勝のことに触れた日記を書いておりましたよ。
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Unknown (音羽屋)
2009-12-26 23:45:08
私が最初に三門駅に降りた時、木造の古い立派な駅舎がありました。築y50年以上は経っていたと思います。昭和56年頃だった記憶がありますが、既に無人駅で中はホコリまみれでした。写真を何枚か撮った記憶があるのですが、今は手元にありません。林芙美子が降りた時や梅屋さんが倒れた時、鴎外が家族で訪れた時もたぶんこの駅舎が見送ったのだと思います。翌年2度目に三門駅に降りた時は、既に更地になっていて、駅舎の記憶が1回しかないのが残念でなりません。
 実はちょっと疑問に思っている事があって、もしお分かりでしたら、ご教授できればと思いました。
 鴎外の遺言なんですが「日在の別荘・鷗荘」は有名ですが、もう一つ「御門停車場近くの地所」なるものがあるようなのです。「御門」は「三門」の誤記のようですが、駅の近くにも鴎外ゆかりの土地があるのでしょうか?
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