おいちゃんが本を書いているってお話をしましたよね。
出版社の方が「いいわよ」って言ってくださったので、おいちゃんが今朝書き上げた一章だけですけど、チビ太がこっそりと紹介しますね。
だって、この本が売れてくれれば、チビ太も松阪牛をおすそ分けしてもらえるかもしれないし、、、
PRしておかなきゃね。
でも、ほんと、おいちゃんも自認しているみたいだけど、おちゃらけですね~
おいちゃんは仕事場ではこんな文章を書いてなかったのですけど。
こんなの出してくれるっていう出版社の社長さん、暑さで頭がおかしくなったのかななんて心配しますけど、話が始まったのは寒い時期だったですよね、、、
あの出版社、歴史関係ではいいものを出してるけど、ベストセラーを出してない。
やっぱりな~
>>
暑いから暑い
これを書いているころ、外は7月の暑さにうだっております。
暑いね~
でも暑いから暑いって言う、何が面白い?
おまけにそれを受けて、暑いね~って答える。
あ~た、こんな生活をしていたら、一生が面白くないでしょうに。
日本の社会って、その面白くないことを続けることが、真摯に、実直に生きているのだってことと受け止められがちって側面がないかな?
ずっと狭い井戸の中で生きてきて、他の人たちと違う意見を持てば、肩を寄せ合ってやっと生活している空間を乱してしまう。他の人たちと同じような考えを持ち、それを口にしなくっても分かりあえる。それが社会通念であり、公序良俗であり、そして日本以外にも似たような環境を持つイギリスではCommon Senseなんていわれてもてはやされるのですね。(もてはやされるどころか、それは空気と同じような、そこに存在するけど当たり前すぎて誰も気がつかない、でも社会が存続し、自分がその中で生きていくうえでとても大切なものなのですね)
ねぇ、おまえ。おまえは私のCommon Senseなんだよ、、、なんて言っても、少なくとも私の経験からすれば、だれもありがたがらないかもしれないけどね。
確かに、今の社会の平穏を保ち、水準を保つだけでいいのなら、変な異論はいらないのですね。
でも少しづつでも社会がよくなって行って、人間の生活に幸福と、ゆとりが増えていくためには、今の社会の問題点を考え、解決策を考え、実施して行かなければならないし、そのためには、異論を提議するってこと、新しい価値を認めるってこともとても大切なのですね。
な~んて、そんなの皆さんも百も承知なのですよ。だから学校教育の場でも、個性を伸ばそうとかなんたらかんたら口では言えるのですね。でもそれが難しい。とくにコントロールする側が、全体として何かしようとする場合にはほとんど無理。それはあくまで個人的なレベルのものだから。そのレベルでそれを考え、実行する余裕を与えるのは、特に日本人には難しいものじゃないかな。
それに、ある意味それは日本人や日本の国民性だけでなく、人間やもっと広く見ると動物の社会も含めて、集団、社会を作っていくうえでの普遍的なルールなのかもしれないでしょう。
仕事を通じて、たくさんのアーティストと触れ合いました。彼らは常に新しい価値を創造しようとしている人たち。でもその99%以上は何も生み出せないで終わる人達ね。
しかも、彼らに救いの手を差し伸べられるようになるころ、その手が力のある手になったころっていうのは、意識しようがしまいが、自分はもう守りの世代に入ってきているのですよ。仮に異端を、新しい価値を認めようと言う柔軟性をまだ残していたとしても、その長い仕事の経験の中で、あまりにもたくさんのものを見続けすぎて、若い連中の言うものがどうにもちゃちな物にしか見えなかったりして。
今ある安定に身を任せるのか、それとも新しい世界にかけてリスクと困難をとるのか、、、難しいですね。
それに個人としての意見と、公に伝える意見は、その評価が必ずしも同じとは限らない。個人なら敢えて立ち向かう困難でも、それをみんなに要求することができるかって。
人は、あなたも歳をとって丸くなったね~ って褒めてくれるんですけどね。
なに? なにも解決策も、方向も示してないじゃないかって?
あ~た、私はモーゼじゃないんですから。
ほんとうに新しい価値を見つけられるって言うのは何百万、何千万、もしかしたら何億人に一人出るかどうかの天才がやっと可能なことなんでしょ。
田舎の認知お爺さんのたわごとのなかに、なにかいい解決策を見出そうなんてのはむしがよすぎるとは思いません?
仕事をやってるときにも、よくそんな電話が来ましたよ。卒論だったり、修士論文だったり、書くためにデータや情報を教えてくださいなんてね。
あ~た、私が卒業したり、修士を貰ったりするんだったらいくらでも集めるけど、そんなの自分でやんなさいよでしょ。
そしてそれで挫折するくらいなら、最初からやらなきゃいいんだ。
よくやりましたよね~
知人から電話があって、「弟子が今度オランダのコンセルバトワールに行きたいって言っているから、相談に乗ってよ」
「いいよ」って返事して、その弟子が来ると、散々失敗談や、苦しいことを大げさに話をして、、、、
それでくじけるようなら、留学なんてはなから無理。
おまけに留学したいって夢を持って何年も経ってるのに、言葉もしゃべれないなんてのが普通だからね~
まあ、意地悪じいさんは今でも健在。
それでも、私の答え方を知ってて、悪人役を押し付けてくる友人たちほど人は悪くはないつもりだけど。
ようするに、このお爺さんは、こんなこともあったな~てぐいだぐだ昔話をしているだけ、それに何か感じたら、考え、行動するのはあなたなのだからね。
/>>
出版社の方が「いいわよ」って言ってくださったので、おいちゃんが今朝書き上げた一章だけですけど、チビ太がこっそりと紹介しますね。
だって、この本が売れてくれれば、チビ太も松阪牛をおすそ分けしてもらえるかもしれないし、、、
PRしておかなきゃね。
でも、ほんと、おいちゃんも自認しているみたいだけど、おちゃらけですね~
おいちゃんは仕事場ではこんな文章を書いてなかったのですけど。
こんなの出してくれるっていう出版社の社長さん、暑さで頭がおかしくなったのかななんて心配しますけど、話が始まったのは寒い時期だったですよね、、、
あの出版社、歴史関係ではいいものを出してるけど、ベストセラーを出してない。
やっぱりな~
>>
暑いから暑い
これを書いているころ、外は7月の暑さにうだっております。
暑いね~
でも暑いから暑いって言う、何が面白い?
おまけにそれを受けて、暑いね~って答える。
あ~た、こんな生活をしていたら、一生が面白くないでしょうに。
日本の社会って、その面白くないことを続けることが、真摯に、実直に生きているのだってことと受け止められがちって側面がないかな?
ずっと狭い井戸の中で生きてきて、他の人たちと違う意見を持てば、肩を寄せ合ってやっと生活している空間を乱してしまう。他の人たちと同じような考えを持ち、それを口にしなくっても分かりあえる。それが社会通念であり、公序良俗であり、そして日本以外にも似たような環境を持つイギリスではCommon Senseなんていわれてもてはやされるのですね。(もてはやされるどころか、それは空気と同じような、そこに存在するけど当たり前すぎて誰も気がつかない、でも社会が存続し、自分がその中で生きていくうえでとても大切なものなのですね)
ねぇ、おまえ。おまえは私のCommon Senseなんだよ、、、なんて言っても、少なくとも私の経験からすれば、だれもありがたがらないかもしれないけどね。
確かに、今の社会の平穏を保ち、水準を保つだけでいいのなら、変な異論はいらないのですね。
でも少しづつでも社会がよくなって行って、人間の生活に幸福と、ゆとりが増えていくためには、今の社会の問題点を考え、解決策を考え、実施して行かなければならないし、そのためには、異論を提議するってこと、新しい価値を認めるってこともとても大切なのですね。
な~んて、そんなの皆さんも百も承知なのですよ。だから学校教育の場でも、個性を伸ばそうとかなんたらかんたら口では言えるのですね。でもそれが難しい。とくにコントロールする側が、全体として何かしようとする場合にはほとんど無理。それはあくまで個人的なレベルのものだから。そのレベルでそれを考え、実行する余裕を与えるのは、特に日本人には難しいものじゃないかな。
それに、ある意味それは日本人や日本の国民性だけでなく、人間やもっと広く見ると動物の社会も含めて、集団、社会を作っていくうえでの普遍的なルールなのかもしれないでしょう。
仕事を通じて、たくさんのアーティストと触れ合いました。彼らは常に新しい価値を創造しようとしている人たち。でもその99%以上は何も生み出せないで終わる人達ね。
しかも、彼らに救いの手を差し伸べられるようになるころ、その手が力のある手になったころっていうのは、意識しようがしまいが、自分はもう守りの世代に入ってきているのですよ。仮に異端を、新しい価値を認めようと言う柔軟性をまだ残していたとしても、その長い仕事の経験の中で、あまりにもたくさんのものを見続けすぎて、若い連中の言うものがどうにもちゃちな物にしか見えなかったりして。
今ある安定に身を任せるのか、それとも新しい世界にかけてリスクと困難をとるのか、、、難しいですね。
それに個人としての意見と、公に伝える意見は、その評価が必ずしも同じとは限らない。個人なら敢えて立ち向かう困難でも、それをみんなに要求することができるかって。
人は、あなたも歳をとって丸くなったね~ って褒めてくれるんですけどね。
なに? なにも解決策も、方向も示してないじゃないかって?
あ~た、私はモーゼじゃないんですから。
ほんとうに新しい価値を見つけられるって言うのは何百万、何千万、もしかしたら何億人に一人出るかどうかの天才がやっと可能なことなんでしょ。
田舎の認知お爺さんのたわごとのなかに、なにかいい解決策を見出そうなんてのはむしがよすぎるとは思いません?
仕事をやってるときにも、よくそんな電話が来ましたよ。卒論だったり、修士論文だったり、書くためにデータや情報を教えてくださいなんてね。
あ~た、私が卒業したり、修士を貰ったりするんだったらいくらでも集めるけど、そんなの自分でやんなさいよでしょ。
そしてそれで挫折するくらいなら、最初からやらなきゃいいんだ。
よくやりましたよね~
知人から電話があって、「弟子が今度オランダのコンセルバトワールに行きたいって言っているから、相談に乗ってよ」
「いいよ」って返事して、その弟子が来ると、散々失敗談や、苦しいことを大げさに話をして、、、、
それでくじけるようなら、留学なんてはなから無理。
おまけに留学したいって夢を持って何年も経ってるのに、言葉もしゃべれないなんてのが普通だからね~
まあ、意地悪じいさんは今でも健在。
それでも、私の答え方を知ってて、悪人役を押し付けてくる友人たちほど人は悪くはないつもりだけど。
ようするに、このお爺さんは、こんなこともあったな~てぐいだぐだ昔話をしているだけ、それに何か感じたら、考え、行動するのはあなたなのだからね。
/>>