狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

祝!初の弾道ミサイル迎撃に成功

2007-12-19 18:30:10 | 普天間移設

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海自イージス艦、初の弾道ミサイル迎撃に成功…ハワイ沖   

 【カウアイ島(米ハワイ州)=勝股秀通】海上自衛隊のイージス艦「こんごう」は17日正午過ぎ(日本時間18日早朝)、米ハワイ沖の太平洋上で、初の弾道ミサイル迎撃実射訓練を行った。

 こんごうから発射された迎撃ミサイル「SM3」は、目標となる模擬弾道ミサイルを大気圏外で直撃、破壊することに成功した。今回、実射訓練が成功したことで、日本は、ノドンやテポドン1などわが国を標的とする北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対抗し得る手段を手に入れたことになる。

 現地時間17日午後0時5分、カウアイ島の米海軍太平洋ミサイル射場から、1発の模擬弾道ミサイルが発射された。同島北部海域で待機していた「こんごう」は、発射と同時に、模擬弾の探知、追尾を開始。発射から約4分後、迎撃ミサイル「SM3」(ブロック1A型)を発射し、その約3分後、高度100キロ以上の宇宙空間で模疑弾の弾頭に命中、破壊した。

 過去、SM3による迎撃実験は、米軍が13回実施し11回成功しているが、海自が実験するのは初めて。今回は、北朝鮮が保有する中距離弾道ミサイル・ノドン(射程約1300キロ)を想定、模擬弾も、発射後にミサイルの推進部分と弾頭部分が分離する「ノドン型」と呼ばれるもの。分離しない「スカッド型」と呼ばれる模擬弾に比べ、飛行速度(マッハ10前後)が速く、迎撃の難易度は高い。実験の成功によって、イージス艦による迎撃の信頼性の高さが証明された。

 カウアイ島にある米海軍の射場には江渡聡徳防衛副大臣も駆けつけ、射場内に設けられたモニター画面で、「こんごう」の前部甲板から迎撃ミサイルが発射される映像などを見入った。模擬弾が発射されてから迎撃が成功するまでわずか7分。SM3が模擬弾に接近していく様子が赤外線カメラでとらえられ、命中したことが確認されると、緊迫した会場内では、拍手と歓声がわき起こったという。

 江渡副大臣は「発射実験の成功は、緊密な日米防衛協力の象徴」と話し、同席した米国防総省ミサイル防衛局のヘンリー・オベリング局長は「日米の強力な同盟関係が確認できた。日本には同盟国の中で、ミサイル防衛を先導する役割を担ってもらいたい」と実験の意義を強調した。

 日本は、1998年8月、北朝鮮が日本列島越しに弾道ミサイル・テポドン1を発射したことを境に、米国と共同してミサイル防衛(MD)システムの早期配備を急いできた。

(2007年12月18日13時10分  読売新聞)

                     ◇

賛成派も反対派も何故か反応が鈍い。

だが、当日記はとりあえず初の弾道ミサイル迎撃成功に、
 
おめでとう」と拍手を送りたい。
 
日本は、ノドンやテポドン1などわが国を標的とする北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対抗し得る手段を手に入れたことになる。
 
これだけでも日本国民なら拍手に値すると思うのだが。
 
国防とか軍事がらみのニュースには必ずといっていいほど、
 
「反戦平和運動」に連動したサヨクお花畑の香りムンムンの社説や識者の意見が出てくるものだがやはり案の定だ。
 
 
 
 
肝心の朝日新聞やいつもなら大騒ぎのはずの沖縄タイムスも何故か大人しいが様子見なのか。
 
迎撃ミサイル配備の報道でも脊髄反応して大騒ぎした反戦平和団体も今回は大人しい。
  
北朝鮮のテポドンミサイル乱射の時、東門沖縄市長はコメントを求められて、「アメリカや日本の発表だけで、北朝鮮からの発表が無いのでコメントできない」としてノーコメントを貫き通した。
 
自国の発表や同盟国の発表より北の将軍様の発表を信じる、というノーテンキ振りにもあきれるが、
 
迎撃ミサイル配備の時のこのサヨク市長の発言には開いた口がふさがらなかった。
 
その時、東門市長、早速米軍基地を訪問して、猛抗議をした。
 
飛んでくるミサイルを迎撃し命中した場合、「その破片が落ちてきて危険だ」、というのには恐れ入った  ⇒ ミサイルより破片が怖い
 
平和団体の発言は「中国のミサイルはОK! 迎撃は許さない」というのだから話にならない。

こんなこともあった。⇒核ミサイルはОKだがパトリオットは反対!市民団体座り込み

 

で、今回のミサイル迎撃成功にいちゃもんをつけるののは大体次の点だろう。

米国を狙ったミサイルの迎撃の場合集団自衛権の議論が以前として灰色である

他の議論なら腰を入れて灰色がクリアされるまで議論すれば問いが、事は国の安全の問題だ。

灰色なら白、つまり自国に有利に判断するのが世界の常識だ。

②効果の割りにはコストがかかりすぎる。

国の安全、つまり国民の生命を守るのにコストが高いもクソもないだろう。

コストを安くしようと思えば究極の低コスト防衛策は「先制攻撃」がもっとも効果的だろう。

一時議論が沸騰したようにミサイル発射台が発射体勢に入ったら、ミサイル発射前にミサイル基地を先制攻撃すればコストは格段に安くつく。 これを「予防攻撃」と呼ぶ。

だが、日本の現状では、その実現する可能性は極めて低い。

 

お隣の韓国では日本がうらやましくてしょうがないが金が出せないのと、

サヨク大統領政権が続いたため中国さまのご機嫌が気にかかるから出来ないと白状している。↓ 

韓国にまだミサイル迎撃システムがない理由 

北朝鮮と接する韓国は、北朝鮮のミサイル攻撃を受ける可能性が日本よりも高いが、いまだにミサイル迎撃手段は皆無といっていい状態だ。唯一の手段といえるのが在韓米軍基地に配備されているパトリオットPAC2・3ミサイル64基だが、韓国が自主的に保有しているものではない。その上、韓国は金大中(キム・デジュン)政権以降、政治的・経済的な理由から米国のMDシステムには参加しないことを決めている。中国の反発に対する懸念、反米を主張する一部市民団体の反対、巨額の開発コストなどを考慮した結果だ。(朝鮮日報)

                                     ◇

◆お知らせ

-認めてはならない検定再審-

 沖縄戦集団自決教科書記述・訂正に反対する!
<『語る』運動から『行動する』運動へ>

日時:平成19年12月20日(木)、午前11時集合、街宣開始11時半

場所:文部科学省前(千代田区丸の内2丁目5、JR東京駅丸の内南口)

※各自プラカードを持参してください。


主催:新しい歴史教科書をつくる会
    主権回復を目指す会

 ●教科書検定制度を守れ!第4弾
 沖縄戦「集団自決」異例の再検定 文科省の責任を重ねて問う緊急集会

 日時:十二月二十日(木曜)午後一時~二時

会場:衆議院第二議員会館 第一会議室

主催者:教科書検定への政治介入に反対する会(小田村四郎代表)
千代田区平河町二丁目一六の五の三〇二
高池法律事務所気付

登壇者:小田村四郎、中村粲、藤岡信勝ほか

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コメント (2)

沖縄・首里城再建と紅型の父鎌倉芳太郎 【付記】

2007-12-19 06:49:38 | 未分類

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ウィークリー沖縄-本土に伝わらない沖縄の真実-

 ■沖縄コラム
◎「紅型」の父、鎌倉芳太郎

 今月初め、香川県の高松南ロータリークラブのメンバーが沖縄を訪れた。「人間国宝だったわが県の鎌倉芳太郎さんが情熱を注いだ縁の地をぜひみんなで見学したかった」と、代表者の一人である豊田章二さんは、訪問の理由を語った。

 泡盛と並んで、沖縄の特産物の一つとして、「紅型」がある。紅型とは、沖縄の伝統的な染織技法の一つで、「紅」は色全般を指し、「型」は型絵染めの型紙をいう。起源は16世紀ごろとされているが、この紅型を戦後世に出したのが、鎌倉芳太郎である。

 1898年生まれの芳太郎は、香川県師範学校卒業後、東京美術学校図画師範科(現在の東京芸大)に入学、1921年に沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校に赴任する。教鞭(べん)を執る一方で沖縄の美術工芸を研究、持参のカメラで現地の文化財を撮影したほか、克明にノートを取った。特に首里城に感激し、詳細に記録を残した。

 23年にいったん帰京、東京美術学校研究科に再入学し、東京帝国大学の伊東忠太教授に師事、沖縄研究を続けた。同年6月、老朽化した首里城正殿の取り壊しの報道に接した芳太郎は、伊東教授に相談した。同教授が内務省に電話し、取り壊し寸前に内務省が工事中止の命令を出して、正殿は史跡名勝記念物として保存されることになった。首里城の保存、再建に貢献したのも芳太郎である。

 24年に伊東教授とともに琉球芸術調査事業のため沖縄入りし、琉球王朝尚家や那覇の名家の所蔵品を調査、撮影し、それが現在の「鎌倉資料」となって現存している。

 45年の空襲で自宅と蔵書、資料を失うが、琉球芸術資料だけは東京美術学校文庫に保管していたため、焼失を免れ、芳太郎の琉球紅型研究の再出発となる。
その後、「琉球紅型」の実物大彩色豪華本を完成、61年に日本工芸会正会員となり、72年の伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受賞。翌73年に人間国宝に認定され、10年後の83年に84歳で亡くなった。

 鎌倉芳太郎について、「一般県民はあまり知らない」(地元の知人)。沖縄の伝統文化・芸能に貢献した彼の名を忘れずにいたい。(H)
(2007.12.18 )

                                         ◇

鎌倉芳太郎という名を聞いてもその名を知る沖縄県人は少ないだろう。

だが沖縄観光の目玉とも言える首里城の復元の最大の功労者であり、沖縄が誇る伝統工芸「紅型」の名付け親であると言われると改めて鎌倉芳太郎と沖縄の密接な関係に感じ入るだろう。

沖縄人は何かというと「本土の人は沖縄のことを知らなさ過ぎる」と不満を述べるが、人間自分の地域のことは良く知っていても他県のことは知らなくて当たり前のこと。

知らないのを怒る前に知らしめる努力が必要だと思うのだが、かく言う筆者も含めて意外に地元のことは知らないものだ。

以前、佐渡出身で沖縄嫁をもらい沖縄に永住している某君と酒を飲んだ時の沖縄人への不満を想いだす。

「沖縄人はヤマトンチュが沖縄のことを良く知らないと、すぐ馬鹿にしているというが、佐渡の出身だと言うと『帰省するのが大変ですね、タライで帰るのですか』と本気で聞くのですよ」

まぁ、この話は極端な例だが似たような話は多々転がっている。

 

鎌倉芳太郎については首里城復元の折、戦火で原型もないほど破壊しつくされ図面も消失していたが鎌倉芳太郎が戦前の首里城の詳細な図面を記録し大事に保存していた。

その図面と鎌倉芳太郎助言なくしては現在の首里城は復元できなかったと言われている。 なお鎌倉芳太郎は首里城の完成した姿を見ること無く亡くなっている。

紅型も琉球王朝時代に栄えたが廃藩置県とともに衰退し、戦後に復興したが紅型の普及にも鎌倉芳太郎の存在なくして考えられない。

紅型の字が当てられた のは、大正14年に鎌倉芳太郎が講演で使った時からで、それまで古文書では「形附」が一般的な呼び方であった。

昨日のエントリで愛媛県のことをミカンと「坊ちゃん」の舞台となった程度の知識しか無いと書いたが、訪問したことのない土地なんて所詮はこんなもの。 

お隣の香川県についても「讃岐うどん」の本場程度の知識だったが首里城、紅型の大恩人鎌倉芳太郎が香川県の出身だったとは上記ニュースで初めて知った。

 

香川県つながりで恐縮だが私事を言わしてもらうと、

娘の夫が香川県の出身で、現在夫婦は車で那覇から二時間ほどの名護に住んでいる。

夫(義息子?)は琉球大学農学部を出て数年間食品会社に勤めていたが、永年の夢諦めがたくそこを辞めて現在ヤンバル(山原ー沖縄北部)にある小さな牧場で牛糞にまみれて牛の世話をしている。

本人の父君が公務員なのでただ1人の男の子にも公務員になって欲しかったようだが、沖縄に遣ったのがウンのつきだったようで沖縄の田舎に住み着いてしまった。

勤務場所は社会保険もない個人牧場のようだが、めったにない休日にもわざわざ母校の琉大で飼育している牛を見に行くくらいだからよっぽど動物が好きなのだろう。

現在は辛くとも将来は自分で牧場を経営したいらしい。

夢を失った若者が目に付く昨今、牛糞まみれでも夢のある若者はいいね。

本題から完全に外れてしまったが、首里城、紅型の大恩人ともいえる鎌倉芳太郎の故郷は香川県であることを知って、

まだ訪ねたことのない香川県にも親戚がいるということで強引に締めにしたい。

 

【付記】

話が脱線して肝心のことを書き漏らしてしまった。

香川県の有志が故郷の先輩鎌倉芳太郎氏がその文化歴史の研究に情熱を燃やした沖縄の地を訪問してくれた、・・・これは沖縄の地方紙としては、県人に忘れ去られがちの鎌倉芳太郎氏の紹介と共に是非とも記事にして欲しいニュースだったはず。

だが、琉球新報、沖縄タイムスともこのニュースはスルーした。

首里城や紅型に関連付けても記事にして欲しかった。

両紙は「集団自決」で大騒ぎするだけが地方紙の役目ではないはずだ。

県民の知る権利を何と心得る。

鎌倉芳太郎氏は石垣名誉市民になっているが同じ石垣名誉市民・「風邪のウスメー」こと岩崎卓爾の記事と関連付けて八重山毎日新聞にこんな記事があった。⇒東北人の足跡Add Star

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