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国を劣化させるには教室を劣化させるのが手早い道だ。
左翼・反日勢力が教室の劣化させる手段として教科書の劣化をターゲットにするのは当然の成り行きである。
いや、日教組に洗脳された教師は既に劣化しているので、教科書の歴史わい曲が思い通りいけばまさに鬼に金棒だ。
左翼教師は教科書の内容に関わらず、常に偏向授業を行っている。
(6)教師たちの思い
今年を振り返って沖縄を震源地に全国を騒がした「教科書問題」。
そして「集団自決」に関し表裏一体をなす「大江・岩波裁判」は、単なる教科書記述訂正や個人の名誉毀損の問題ではない。
左翼・反日勢力と保守・良識派との国の名誉と尊厳をかけた戦いである。
具体的にいえば「教科書問題」、「大江・岩波裁判」では「集団自決」に関して「軍の強制の有無」が争われた。
「強制あり派」の支援者には大学教授を始め教育関係者が多く、彼らの主張の中には頻繁に「皇民化教育」とか「天皇制」という言葉が出てくる。
元々「天皇制」とは日本共産党の用語で「皇民化教育」とは左翼運動用語だがここでは深く触れない。
それは「皇民化教育」という言葉で暗示されているように、左翼勢力の次のターゲットは「天皇」である。
つまり彼らが「反日本軍」、「反国家」の影に隠しているのは「天皇制打破」である。
*
日本人は長い歴史の上で、天皇の持つ「権威」と時の権力者の持つ「権力」を上手に使い分けてきた。
江戸時代を例にして、京都の朝廷の権威と江戸に君臨する徳川将軍の権威を比べると分かり易い。
更に誰でも知っている物語を通して権威と権力を透かし見るとなお分かり易い。
■「殿中でござる!」■
12月になると必ず登場する日本人の大好きな物語「忠臣蔵」で「権威」と「権力」を垣間見て見たい。
「忠臣蔵」は権力を握る将軍とその上に権威を持って君臨する天皇の関係を知るのに絶好の物語である。
大体の粗筋は誰でも知っていると思うが、まずは忠臣蔵の概要を復習しよう。
江戸時代の元禄十四年(1701年)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭が、勅使接待指南役の吉良上野介の意地悪に逆上し、江戸城松之廊下で突然刃傷に及ぶ。
浅野内匠頭はそばにいた梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」
と必死に抱き止められる。
殿中(江戸城内)で抜刀するというのは絶対的な禁止事項。
ましてや天皇の勅使を迎える準備中のことではないか。
なんという畏れ多いことだ。
事件を聞いた将軍綱吉は激怒、その日のうちに内匠頭に切腹を命じた。
余談だが、ズボンの丈が長すぎて引きずりそうになってると必ず「『殿中でござる』だよ!」って注意するヤツがいる。
袴の裾を引きずるシーンは時代劇ではよく見るが、ズボンの裾の長いのを「松の廊下」の場面に結びつけたのだ。
だが「殿中でござる」の実際の意味は、「ここは御殿の中なのだから控えなさい」という意味であって、決して「裾が長すぎる、控えなさい」という意味ではない、・・・そんなの関係ねぇか。
「殿中でござる」は、むしろ人通りの多い道路の電柱に立小便をする酔っ払いに向かって
「デンチュウでござる」と注意した方が・・・関係あるのかも・・・。
おっと、ここらで体勢を立て直して、閑話休題。
時は5代将軍徳川綱吉の時代で、この日は、京都の朝廷より天皇の勅使を迎える幕府にとっては厳粛な日であった。
事件がおきた時、将軍徳川綱吉は行水をしているところであった。
その日の儀式では将軍自らが天皇の勅使に答礼をするので行水も念入りにされた。
権力を手中にした将軍といえども権威の象徴の天皇、・・・
いや、天皇の使いの勅使に対してさえ、このように将軍自ら最大級の気配りをしたのだ。
浅野の刃傷の結果、切腹・城地没収・絶家の判決をうけた。
浅野家(赤穂藩)は解体され、藩士は全て浪人となった。
その内47人が、翌十五年12月14日夜から15日にかけて吉良邸を襲撃、主君の恥辱をそそいだ事件がお馴染みの「赤穂浪士の討ち入り」の物語である。
■権威の前には頭の上がらない権力■
問題にしたいのは京都の朝廷から江戸へ「下って」くる使者に過ぎない「勅使」の接待の為に「権力」の殿堂である江戸城で大騒動が起きたということである。
その当時の京都の朝廷は経済的には質素を極め江戸下りの道中の路銀にも事欠く有様だったと言う。
一方江戸の将軍は経済的にも、軍事的にも権勢を極めていたが朝廷の勅使の接待には右往左往した。
更に時は流れ、最後の将軍慶喜は維新前夜、錦の御旗をかざす官軍にひたすら恭順の態度を示した。
それから雪崩を打ったように「大政奉還」、江戸城の「無血開城」そして明治維新と続く。
「権力」の権化である「将軍」は「権威」の象徴である朝廷に自ら立ち向かい「朝敵」となることは「畏れ多き事」で、戦わずして江戸の無血開城をした。
此処で脱線、又してもしばし枝道に入る。
■左翼教師の教えた明治維新■
当時はあまり意識しなかったが今振り返ってみると、高校時代の歴史の教師には唯物史観にドップリ浸かった先生が多かった。
いわく「フランス革命もロシア革命も市民階級が支配階級から権力を自力で奪取した」。
しかし「明治維新はしょせん支配階級同士の権力のたらい回しに過ぎない、似非(エセ)革命だ」。
サヨク教師の明治維新論は延々と続く。
「フランス革命」や「ロシア革命」でマリー・アントワネットはパリ市民の前で断頭台の露と消え、ニコライ2世は家族と共に銃殺された。
一方「明治維新」では、最後の将軍慶喜は生きながらえて維新後も多才な自分の趣味を楽しみながら天寿を全うした。
明治維新は市民が支配層から力で勝ち取った革命ではない。
その点、フランス革命もロシア革命も偉大だ。
だから日本も真の市民革命をせねばならぬ。
その当時は、このサヨク教師の熱弁に成る程と納得していた。
その後確かフランス?の歴史学者だったか、外国の歴史家が明治維新を称して「権力階級(武士)の世にも珍しい『集団自殺』である」と言った言葉で目が覚めた。
外国人の明治維新についての解釈で目からウロコが落ちた。
そして日本人の「権力」と「権威」に対する奇妙なまでの峻別、そして拘りに興味を持った。
日本史の中の権力者は限りない権力収奪の闘争に明け暮れても「権威」は別において天皇の手に委ねた。
例え「権威」の収奪が可能なほどに自己の「権力」が強大になっても、
お隣りの中国の歴代王朝のように「易姓革命」などの屁理屈で「権威」を簒奪する事は無かった。
■クダラナイ物とクダル物■
江戸に幕府を開き絶大な「権力」を手にした徳川幕府は「権威」の象徴天皇家は京都の御所に祭り上げておいた。
現代では東京(江戸)に行くのは「上(のぼ)り」で東京を発つのは「下(くだ)り」である。
我々が東京に行くと「おのぼりさん」になる。
しかし江戸時代は「のぼり」と「くだり」が逆であった。
勿論「権威」の象徴が住む京都に行くのが「のぼり」で「権力者」将軍の住む江戸に行くのが「くだり」であった。
「くだらない」と言う言葉がある。
つまらない、とか程度が低いと言った意味でよく使われるが語源はこの辺りから来ているらしい。
つまり「権威」の象徴のお住まいの京都から江戸に「下って」来た物品は、「下り物」として織物でも何でも高級品、上物の代名詞であった。
ところが京都から「下って」こない物はその辺の低級な「くだらない」物でつまらないものの代名詞となった。
嘘のようだが、これ本当の話。
当日記もクダラナイ話が多く「クダラナイ話」というカテゴリーを置いているくらいだ。
話を脱線の迷路から本筋に戻そう。
■教科書で騒いで出世する上る人々■
マルクス主義の残滓(ざんし)で汚染された左翼教師の究極の目標は「天皇制」の打破である。
今回の教科書問題の火付け役であり、運動のリーダーでもある高嶋伸欣琉球大学教授であるが、
彼は2005年に検定中の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の白本のコピーを韓国や中国に持ち込んだ事でも有名な人物である。
今回の教科書騒動でも高嶋教授は、自分が教科書問題の仕掛人だとはっきり言っている。
『82年の文部省の検定で、「日本軍による住民殺害」の記述が削除された時、私は沖縄タイムスに「このことを知っていますか?」と聞いたら、「知らなかった」ということで、私が知らせたから大きな問題となったのです』
http://www.news.janjan.jp/area/0706/0706117120/1.php
このお方、教科書裁判で有名な家永教授のチルドレンともいうべきで教科書裁判というと必ず顔を出しマスコミに名を売った。
高嶋教授は、元筑波大附属高校の教諭で「高嶋教科書訴訟」という下らん論点を争っていたが、
何時の間にか高校教師から国立大学の教授に出世して、今や、教科書問題と言えばこの人が権威者になってしまった。
今回の教科書騒動でもマスコミに名を売った高校教師の教科書執筆者の何人かは沖縄のどこかの大学の教授にでも納まるのだろう。 高嶋教授や古くは安仁教授のように。
それで、高嶋教科書裁判の論点は?
①福沢諭吉の「脱亜論」と勝海舟の「氷川清話」とによるアジア
②1湾岸戦争時の掃海艇派遣に関するアジア諸国への配慮の必要
③昭和天皇死去報道の扱い方
④湾岸戦争時の米軍による情報操作の有無
実に下らん!
「高校公民教科書」(一橋出版)の自分の執筆した部分の上記の4点が文部省に却下されたため、
「精神的苦痛を受けたとして、1993年6月に提訴」した。
こんな下らん事で「精神的苦痛を受ける」ようなデリケートな精神の人物とはとても思えないのだが。
どうでもいい提訴内容に紛れているが、
③の天皇に関する言いがかりが、家永教授から受け継いだ「天皇制打破」の序章である。
家永教授亡き後は、教科書騒動と言うと必ずこの人物が顔を出してくるが、
高嶋教授が崇拝する家永教授は、戦前は皇室崇拝主義者であった。
それが今や教科書問題の左翼側のシンボルとも化した皇室崇拝精神、
そがどの時点で豹変して「天皇制打破」に変わって行ったかは興味深い。
ちなみに今回「集団自決」問題で「強制あり派」に顔を連ねた安仁屋政昭沖国大名誉教授を始め多くの学者は、
殆どが「家永裁判」の原告(家永)側の支援者であり証人にもなっている。
勿論彼らは戦前の教育はというと「皇民化教育」を叫ぶ、
「天皇制」打破主義者達である。
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