よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
「たかじんのそこまで・・・」でをyou cubeをまだ見ていない方は先ず見て下さい。↓
2009年2月15日放送の出演者
◇司会 やしきたかじん
辛坊治郎 (読売テレビ解説委員)
◇パネラー 三宅久之、田嶋陽子、筆坂秀世、田母神俊雄、桂ざこば、勝谷誠彦、宮崎哲弥、山口もえ
◇ゲスト 高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)
小牧 薫(大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会事務局長)
惠隆之介(ジャーナリスト)
文字起こしが苦手な当日記に救いの神は、いつも丁寧な文字お越しをして下さる
ぼやきくっくりさん。 本文で引用させてもらいました。感謝です。
*
ゲストは「軍命あり派」二名を相手に惠さんが孤軍奮闘したが多勢に無勢、相手方小牧氏にとうとうとウソも交えた長演説をさせてしまったのが残念。
相手側に高嶋琉球大学名誉教授を持ってくるなら、こちらも藤岡信勝拓大教授あたりを出席させ、二名対二名にするのが公平だと思われたのだが・・・。
パネラーは集団自決に詳しくないせいか、小牧氏が村の助役の宮里盛秀さんとか西山盆地とか具体的な名前や地名を列挙すると、小牧氏の話はすべて真実であるかのようにパネラー全員が聞き入っていたのは残念だった。彼の話には推測だらけで事実は少なかった。
ただ一人、勝谷誠彦氏がパネラーのなかで小牧氏のウソに反論し大活躍したのが目立った。
■司令官の檄文を自決命令にすり替え■
例を挙げると、軍の命令書はあったかとツッコムと、小牧氏が命令書はないが32軍の牛島司令官が着任したとき、軍民共生共死を指示したと奇妙な軍命論を展開。
小牧氏の発言:
「
・・・・田嶋さんが『軍官民共生共死の一体化』を言ったが、それは昭和19年7月に牛島満中将が沖縄守備軍第32軍司令官として着任した時に打ち出した。軍人も公務員も民間人も生きるも死ぬもいっしょだ、最後まで戦って死ぬんだという方針を徹底させた。そしてその前にサイパンの居留民について、玉砕する前に、陸軍では2万4000人の始末をどうするかという議論をしてる。玉砕してもらいたいという話も出るが、しかし軍隊が命令して『死ね』というのは難しい。だから自害してくれればいいが、最後は敵の手に落ちても仕方ないということを、陥落前に陸軍参謀本部では話してる。全体としては戦時訓や『軍官民共生共死』の方針があって、沖縄守備軍は沖縄県民を守ろうとして行ったのではなく、戦争を長引かせようとして行った。その軍隊の司令官から座間味と渡嘉敷の守備隊長に向けて命令が出される。隊長は直接住民に命令を出すのではなく、村の兵事主任、座間味では助役であり防衛隊長になった宮里盛秀さん、その人を通じて住民に伝えられる」(
ぼやきくっくりさん)
牛島司令官が沖縄に着任した時、「軍官民共生共死 」と発言したからといって、
それをいきなり村役場の助役が言ったという軍命令に結びつけることは、事情を知る者なら詭弁であることは一目瞭然。
司令官の「檄」に自決命令を無理に結び付けることは、軍命令が無いことを知りながら軍命をでっち上げする「軍命あり派」の得意技である。 専門家の田母神氏も言うように「軍官民共生共死 」は決戦の前に団結を促す為の檄文であり「決死の戦い」と同じような意味である。
もしこのようなスローガンが自決命令なら当時戦意高揚の檄文のような記事を書きまくっていた朝日新聞などは日本国民のほとんどに自決命令を下していたことになる。
決戦を前にした司令官の檄を、住民の自決命令に摩り替える小牧氏の「軍命論」は数多い軍命論の中でも極めて珍しい幼稚な議論である。 おそらく小牧氏は、田嶋女史の繰り返し叫ぶ「軍官民共生共死 」論に引き込まれて自爆したのだろうか。
すかさず勝谷氏が、司令官の命令の伝達経路、つまりどのように軍命が住民に伝わったかをツッコンダ。
司令官が住民に繰り返し「共生共死」を住民に染みこませことが自決命令という主張は、小牧氏の勝手な推測であり、
命令が住民に達するまでの伝達経路の曖昧さは、これまで多くの研究者が解明できなかった重要なポイントである。
小牧氏は「司令官⇒島の隊長⇒兵事主任(村役場の助役)と軍命は伝わった」と苦し紛れに答えたが、
人間の生命に関わる自決命令が村の助役の口から間接的に住民に伝わるというのも不自然だし、助役の軍命もすべては伝聞と類推であり、小牧氏も認めるとおり軍命を下した宮里盛秀氏も死亡しているので直接軍命を聞いた者は皆無である。
勝谷氏が、牛島司令官から村の助役に自決命令が伝わったという小牧氏の詭弁に、勝手な推測だとツッコミを入れたのはアッパレだった。
■被告支援事務局長が「沖縄ノート」を批判!■
圧巻は大江健三郎氏の『沖縄ノート』を掲げて、大江応援団にこれを批判させたこと。
勝谷さん
「
根本的なことを小牧さんに、大江裁判のことを聞きたいけども、さっきね、現場を調べて事実はどうだったかっていうことが大事だとおっしゃいましたよね。(大江は現場調べてないのに『沖縄ノート』で)何で人のことを『ペテン』『者』『戦争犯罪人』って書ける?僕はこれだけで十分名誉棄損だと。皆さん読んで下さい。これね、戦後最悪の本です」(宮崎さんとあと何人か同意)
小牧さんの反論。
「私たち沖縄戦裁判支援連絡会は、大江さんや岩波書店を支援しているのではありません。あの裁判が不当な沖縄戦の事実の歪曲をしてるから。沖縄戦の真実を明らかにして広めたいと活動してる。だから勝谷さんが大江さんの『沖縄ノート』をどう思われるかは、それは勝手なことで」
辛坊さんが「じゃあ小牧さんは『沖縄ノート』についてはどうお考えですか?」とGJツッコミ。
すると小牧さん、「内容については一定の批判があります」。(ぼやきくっくりさん)
勝谷さんの迫力に押されて小牧氏は驚くべきことを発言してしまった。
なんと!大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会事務局長である小牧 薫氏が、「大江健三郎氏や岩波書店を支援しているわけではない。 『沖縄ノート』には一定の批判がある」と白状してしまったのだ。
応援団長が、応援すべき相手を必ずしも支援していないし、問題になった「沖縄ノート」に対して批判があるというのだ!
被告支援団の事務局長から、この一言を引き出しただけでも今回の大きな収穫だろう。
ツッコミどころは沢山あったが、全般的な感想として「軍命なし派」パネラーがおとなしく聞いている一方、田嶋女史は何やら証言らしき書類を見せながら「少なくとも35冊の集団自決証言集があるのにウソだというのですか!」とまくし立てていた。
この無知蒙昧な女史を黙らせるには次の一言で済んだはず。
「証言者は五万といるが、自決命令を見聞きした人は一人もいない。 皆無である!」
「11万人集会」や「子ども達真実が知りたい」にはツッコムのもバカバカしい。
■軍人より軍人らしい民間人の存在■
多勢に無勢の惠隆之介さんが「沖縄県民の自己責任はどうなるのか」と反論していたが、説明不足でよく理解されていないようで残念だった。
だが、集団自決に関する「沖縄人の自己責任」は極めて重要な今後の究明課題である。
沖縄の集団自決を「日本軍=加害者、住民=被害者」といった善悪二元論で論じると真実を見誤ると再三書いてきたが、
沖縄の研究者たちも「日本軍(加害者)vs住民(被害者)」といった二元論に捉われず集団自決の真相に迫ろうと真摯な態度の人もいた。
だが、沖縄返還後、日教組の沖縄支配が強化されるに伴い、真面目に真相究明を目指す研究者達は何故か沈黙するようになる。
キーワードは「軍人より軍人らしい民間人」の存在である。
「日本兵が拒否した飲料水の取水を、参謀長と呼ばれた教頭先生が許可すれば許可された」という証言が示すように、
軍人より発言権を持ち、誤った判断で住民を自決に追い込んだ民間人リーダーがいた。 その「軍人らしい民間人」の代表が宮里盛秀助役であり、山城安次郎教頭であることは多くの証言が示している。
沖縄人の自己責任については次回に。(続く)
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
★講演会のお知らせ★
沖縄と日本の未来を考える講演会
演題 『沖縄を教育先進県にするために』
講師 名城 政一郎氏
(沖縄尚学高等学校・付属中学校副理事長)
プロフィール なしろ まさいちろう 昭和33年沖縄県那覇市生まれ。同58年明治大学経営学部卒、同60年同大学大学院政治経済学研究科修了、尚学院副学院長、平成3年より学校法人尚学学園副理事長に就任。平成16年8月米ミネソタ州セント・ジョーンズ大学客員講師、同年9月セント・メアリーズ大学大学院博士課程入学(教育学専攻)、平成20年博士論文を提出。
【会 場】カルチャーリゾート フェストーネ(旧沖縄ハイツ)地図
宜野湾市真志喜3-28-1 電話 098(898)1212
【日 時】平成21年2月22日(日)
午後1時30分受付開始 午後2時開演
【会 費】1,000円
恨みの教育をやめない限り最下位から抜け出せないでしょうね。
沖縄の保守へ応援よろしくお願いします。