狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

集団自決裁判と貴乃花裁判の共通点 新潮社に賠償命令

2009-02-08 07:55:31 | 県知事選

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「似て非なるもの」について、当日記で何度も書いてきたが、その逆の例も世の中には数多くある。

大相撲の貴乃花親方が新潮を提訴した「貴乃花裁判」と、「集団自決裁判」は、一見まったく無関係のようだが、よく見れば共通点が浮かび上がってくる。

貴乃花親方勝訴、新潮社に賠償命令  TBSニュース
大相撲の貴乃花親方夫妻が週刊誌の記事で名誉を傷つけられたとして出版元の新潮社などに損害賠償を求めた裁判で、東京地裁は名誉毀損を認め、新潮社側に総額375万円の支払いを命じました。

 この裁判は、2007年に週刊新潮で5回掲載された記事を巡って、貴乃花親方夫妻が「事実無根で名誉を毀損された」として新潮社側を相手取り、総額3750万円の損害賠償の支払いを求めたものです。

 記事では、貴乃花親方が父親の二子山親方からの相続を独占しようとしていたと指摘したり、1995年の九州場所での若貴兄弟での優勝決定戦は八百長をした、などと報じられていました。

 4日の判決で東京地裁は、「伝聞の手法で執筆された記事でも名誉毀損が否定されるものではない」としたうえで、「十分な裏づけ取材もなく記事を執筆、掲載したもの」などと指摘して、新潮社側に貴乃花親方夫妻に対して総額375万円の損害賠償の支払いと、謝罪広告の掲載を命じました。(04日16:43)

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4日の判決で東京地裁は、「伝聞の手法で執筆された記事でも名誉毀損が否定されるものではない」としたうえで、「十分な裏づけ取材もなく記事を執筆、掲載したもの」などと指摘して、新潮社側貴乃花親方夫妻に対して総額375万円の損害賠償の支払いと、謝罪広告の掲載を命じました。

貴乃花親方が勝訴した上記東京地裁の判決を見ると、判決文の「新潮社」と「貴乃花親方夫妻」を、それぞれ「大江健三郎・岩波書店」と「梅沢・赤松両氏」に入れ替えれば、そっくり「集団自決裁判」の判決文としてもおかしくはない。

「貴乃花裁判」も「集団自決裁判も」原告の名誉毀損を訴えて被告の出版社側に賠償金支払いと謝罪広告を求めたものであるが、

「貴乃花裁判」の場合は掲載しが週刊誌という一過性の書籍のため出版差し止めは求めていないが、

「集団自決裁判」の場合は現在も出版を継続中の『沖縄ノート』などの出版差し止めを求め点のみが異なるだけでたの素因は共通する。

「貴乃花裁判」の裁判長は「伝聞の手法で執筆された記事でも名誉毀損が否定されるものではない」としたうえで、「十分な裏づけ取材もなく記事を執筆、掲載したもの」などと指摘して、新潮社側貴乃花親方夫妻に対して総額375万円の損害賠償の支払いと、謝罪広告の掲載を命じた。

ならば、同じ素因の「集団自決裁判」では小田裁判長はどのように判断したか。

裁判長はこう判断した。

「伝聞の手法で執筆された記事でも名誉毀損が否定されるものではない。  しかしながらである。ノーベル賞作家の表現の自由を守るためには高齢の元軍人の名誉などがまんすればよい。 特攻隊のはずがここまで生きのびたのだから」

日本の裁判官は、訴える人間、そして訴えられる人間の社会的身分によって、「表現の自由」と「個人の名誉・人権」の軽重を自在に計り分ける便利な秤を持っていることになる。

日本の裁判官の判断はこうなる。

元軍人の名誉・人権より元横綱の名誉・人権の方がはるかに重い。

ノーベル小作家・岩波書店の表現の自由の方が週刊誌の表現の自由の方が重要である。

二つの裁判を比較で見ると、

「集団自決裁判」の裁判長が、「岩波文化人」や「朝日文化人」を育てた戦後民主主義の洗礼を受けていることがわかる。

ここで元軍人は公務員であるという控訴審判断を持ち出す被告応援団の横やりが予想されるが、60数年前の一特攻隊長を現在の公務員と同じ判断基準で考えることに無理がある。

それに軍人とはいえ現場の一隊長に公務員のレッテルを貼り、表現の自由のために犠牲になれと言う理屈も理不尽だがそれはさておいても、その伝でいえば相撲の横綱も単なる格闘技のチャンピオンではない。

相撲は日本の国技であり、日本伝統の神事であるから、相撲協会の退職金にまで文科省が口を出すのだ。

元若麒麟、退職金辞退へ!文科相も批判「軽すぎる」 

こんなことは普通のスポーツではありえない。

なにしろ大相撲は国の管轄下にある財団法人で文科大臣が管轄している団体なのだ。

その頂点にある横綱は「公務員並み」に世論の批判も受けるし、場合によっては文科省の叱責もうける特別の存在である。

だからといって貴乃花に対して、東京地裁判決は「横綱は公務員並みだから、表現の自由には我慢せよ」とはいっていない。

 

「表現の自由」と「名誉・人権の尊重」の問題は、これまで伝聞に基づく、ニュースソースのはっきりしない記事が社会で認められていた。 ウワサと伝聞記事のみを掲載した『鉄の暴風』、そしてそれを鵜呑みにしてでっち上げた『沖縄ノート』の当否が裁判の焦点になっている。

しかし、現在の出版状況はウワサと伝聞がまかり通る時代ではない。 出版社、編集者は取材のソースを明確にする努力が求められている。

「集団自決裁判」の判事はもっと、時代状況を認識すべきである。
   

貴乃花親方:勝訴 名誉棄損で新潮社社長にも賠償責任
 大相撲元横綱の貴乃花親方=本名・花田光司=と妻景子さんが、週刊新潮の記事で名誉を傷付けられたとして発行元の新潮社や佐藤隆信社長らに3750万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は4日、375万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。八百長疑惑などの記事について、松本光一郎裁判長は「十分な裏付け取材はなく、真実とは認められない」と指摘し、「名誉棄損を防ぐ社内体制が整備されていない」として、社長個人の賠償責任も認める異例の判断を示した。

 週刊新潮は05年、5回にわたって貴乃花親方を記事で取り上げ、95年九州場所の優勝決定戦で兄の若乃花に敗れた取組を八百長だったと指摘したほか、「お兄ちゃんに『相続放棄が得』と判断させた『貴乃花の巨額借金』」と題して相続問題を報じていた。

 訴訟では、出版社の経営者が記事による名誉棄損の賠償責任を負うかどうかも争われた。新潮社側は「経営と編集を分離し『編集権の独立』を尊重している」と責任を否定したが、判決は「しばしば名誉棄損が問題になる出版社の代表取締役は、有効な防止対策を講じるのが必須の任務だ」と指摘した。

 そのうえで判決は、同誌編集部が勉強会を2年に1度開く程度だったことを挙げ、「法的知識や裏付け取材の在り方の意識が不十分で、名誉棄損を引き起こしたのは社内に有効な対策がないことに原因がある」と述べて、佐藤社長の賠償責任を認めた。

 名誉棄損訴訟で出版社の経営者個人の責任が認められたケースは、和歌山市の毒物カレー事件を巡る写真週刊誌「フォーカス」(休刊)の報道で、同じ新潮社の佐藤社長に賠償を命じた大阪地裁判決(02年2月)などがある。【銭場裕司】

 ◇納得できない判決
 週刊新潮編集部の話 全く納得できない判決なので、即刻控訴する。

 ◇「萎縮」招く恐れも
 服部孝章・立教大教授(メディア法)の話 判決は、会社による防止体制が十分でなかったことを挙げ、社長個人の責任も認めた。しかし、これらは本来、メディア倫理として新潮社が自主的に講じることで、法的な責任を問われるものではないと思う。萎縮(いしゅく)も招きかねない。ただ、新潮社と社長は指摘を真摯(しんし)に受け止め、社内体制を充実させるべきだろう。


毎日新聞 2009年2月4日 20時35分

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裁判官が軽視する「名誉の侵害」について西村眞梧氏が「西村眞梧時事通信」(No.407 平成21年 2月 4日)で、名誉の重要性に次のように述べている。
                              

  国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは断じて許さない
 この言葉は、マックス・ウェーバーが一九一九年一月にミュンヘンで語った。ナショナリストである彼は、第一次世界大戦の後で、勝者が自分が正しかったから勝ったのだと「品位を欠いた独善さでぬけぬけと主張すること」を許さなかった。
 そして、この言葉の前に彼は次のように語っている。
「男らしく峻厳な態度をとる者なら、戦争が社会構造によって起こったというのに、戦後になって『責任者』を追及するなどという愚痴っぽいことはせず、敵に向かってこう言うであろう。
『我々は戦いに敗れ君たちは勝った。さあ決着はついた。一方では戦争の原因となった実質的な利害のことを考え、他方ではとりわけ戦勝者に負わされた将来に対する責任にもかんがみ、ここでどういう結論を引き出すべきか、一緒に話し合おうではないか』と。これ以外の言い方は総て品位を欠き禍根を遺す」(以上、マックス・ウェーバー「職業としての政治」岩波文庫、八十四頁

 

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