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昨日の沖縄タイムスには、37年前のライシャワー発言に混じって次のような囲み記事が掲載されている。
「沖縄人は三枚舌」「タフ」
米民政府幹部公電に本音
【東京】沖縄人は「予測できない」「三枚舌」-。 沖縄の占領政策に携わった米国民生不の幹部らが沖縄の人々に抱いた複雑な心境を語った記録が、18日公開の外交文書で見つかった。
1967年10月19日付の公電で、元民政府の政治顧問のジェームズ・マーチン氏は、着任したアンガー高等弁務官に「沖縄人は三枚舌ー対米、対日及び自ら同士でーを使う」と話したことを紹介。 沖縄人の本質は「タフネス(頑強さ)と真意を隠す生活技術」と語った。
また、ワトソン高等弁務官婦人は66年11月29日の公電で、沖縄の人は「個人的には気立てが良好感が持てる」が内面は「UNPREDICTABLE」(予測できない)と述べていた。
激化する復帰運動対処で米側も疲弊していたことが、こうしたシニカルな見方につながったようである。
☆
ものの見方には表裏2面で見る方がよりその真実に迫れる場合が多い。 一見欠点に見えるものでも自衛本能からきた長所かも知れぬ。 だがその欠点も度が過ぎると本当の欠点にななってしまう。
外交上の「三枚舌」といえば、現在の中東紛争の原因を作った第一次大戦前後のイギリスが行った「三枚舌外交」(★文末に注)が脳裏に浮かぶ。 一方、米軍統治下の沖縄で、絶対権力者の米軍要人に「沖縄人は三枚舌」」と言わしめた強(したた)かさは、沖縄人が辿ったその歴史に原因を見出せるのではないか。
「トゥーヌユー(唐の世)」、「ヤマトッヌユー(大和の世)」、「アメリカユー(アメリカ世)」そして「ヤマトヌユー」と、絶えず変わっていく権力者の顔色を読まなければ生きて行けなかった沖縄人の生活の知恵ではなかったのか。
この点を、沖縄学の偉大な先達である伊波普猷は、「沖縄人は恩知らず」という厳しい批判をしながら「沖縄人の欠点」について次のように述べている。
「沖縄人の最大欠点」 (明治四十二年二月十一日稿『沖縄新聞』所載、琉球古今記)所収「空道について」参照)
沖縄人の最大欠点は人種が違うということでも無い。
言語が違うという事でも無い。
風俗が違うという事でも無い。
習慣が違うということでも無い。
沖縄人の最大欠点は恩を忘れやすいという事である。
沖縄人はとかく恩を忘れやすい人民だという評を耳にする事があるが、これはどうしても弁解し切れない大事実だと思う。自分も時々こういう傾向を持っている事を自覚して慙愧(ざんき)に堪えない事がある。思うにこれは数百年来の境遇が然(しか)らしめたのであろう。
沖縄においては古来主権者の更迭が頻繁であったために、生存せんがためには一日も早く旧主人の恩を忘れて新主人の徳を頌するのが気がきいているという事になったのである。
しかのみならず、久しく日支両帝国の間に介在していたので、自然二股膏薬主義を取らなければならないようになったのである。「上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ」という沖縄の俚諺(りげん※民間で言い慣わされていることわざ)はよくこの辺の消息をもたらしている。実に沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても、支那で何人が君臨しても、かまわなかったのである。明、清の代り目に当って支那に使いした沖縄の使節の如き、清帝と明帝とに奉る二通りの上表文を持参して行ったとの事である。不断でも支那に行く沖縄の使節は琉球国王の印を捺した白紙を用意していて、いざ鎌倉という時にどちらにも融通のきくようにしたとの事である。この印を捺した白紙の事を空道(こうどう)といい伝えている。これをきいて或る人は君はどこからそういう史料を探してきたか、何か記録にでも書いてあるのかと揚げ足を取るかも知れぬ。しかし記録に載せるのも物にこそよれ、沖縄人如何に愚なりといえども、こういう一国の運命にも関するような政治上の秘密を記録などに遺して置くような事はしない。これは古来琉球政府の記録や上表文などを書いていた久米村人の間で秘密に話されていた事である。私は同じ事を知花朝章氏から開いたことがある。とにかく、昔の沖縄の立場としてはこういう事はありそうな事である。
「食を与ふる者は我が主也」という俚諺もこういう所から来たのであろう。
沖縄人は生存せんがためには、いやいやながら娼妓主義を奉じなければならなかったのである。実にこういう存在こそは悲惨なる存在というべきものであろう。この御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる。これはた沖縄人の欠点中の最大なるものではあるまいか。
世にこういう種類の人程恐しい者はない、彼等は自分等の利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない。
沖縄の近代史に赤穂義士的の記事の一頁だに見えない理由もこれでよくわかる。
しかしこれは沖縄人のみの罪でもないという事を知らなければならぬ。
とにかく現代においては沖縄人にして第一この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である。しからばこの大欠点を如何にして補ったらよかろうか。これ沖縄教育家の研究すべき大問題である。しかしさしあたり必要なる事は人格の高い教育家に沖縄の青年を感化させる事である。陽に忠君愛国を説いて陰に私利を営むような教育家はかえって沖縄人のこの最大欠点を増長させるばかりである。自分は当局者がこの辺の事情を十二分に研究せられんことを切望する。
☆
伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の学者・啓蒙家。
経歴
第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講している。
帰郷後沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力した。歴史学者の比嘉春潮とともに、エスペラント学習活動を、教会では聖書の講義などを行った。
学問の領域は広大で、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡る。それらの業績を元にした学問体系として「沖縄学」が生まれる。
『おもろさうし』研究への貢献は多大である。また、「沖縄学の父」の名でも知られる。琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人=うちなーんちゅのアイデンティティの形成を模索した。「日琉同祖論」はその探究の一つである。民俗学者の柳田國男や折口信夫、人類学者の鳥居龍蔵、思想家・経済学者の河上肇らと親交があった。そして、友人の東恩納寛惇が浦添城跡の顕彰碑に刻んだ言葉が伊波を物語る。
「彼ほど沖縄を識った人はいない 彼ほど沖縄を愛した人はいない 彼ほど沖縄を憂えた人はいない 彼は識ったが為に愛し愛したために憂えた 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」
琉球・沖縄を考える人たち全ての立ち返る場所であり、また乗り越えるべき人物である。
☆
沖縄人はとかく他県人に批判されると素直に反省することなく「沖縄人を馬鹿にしている!」とか「差別だ!」などと叫んで責任転嫁を計ろうとする。
ここらで郷土沖縄をこよなく愛した偉大な先人の「耳に痛い」言葉を虚心坦懐に受け取るべきではないだろうか。
解決できない中東問題の本質を、
広瀬隆は『世界石油戦争』(NHK出版 2002年11月30日第一刷出版)上巻P76~に記している。
「マクマホン書簡 1915年10月24日
第一次世界大戦中の一九一五年十月二十四日、イギリスのエジプト高等弁務官
ヘンリー・マクマホンが、聖地メッカの太守フセインに
「イギリスは境界線の内部におけるアラブ諸国の独立を承認する。
イギリスはアラブ=イスラム=カリフ国の建国宣言に同意する」
と記した書簡を送った。
このマクマホン書簡は、アラビア半島全土からペルシャ(イラン)、イラク、パレスチナまで含む
広大な領域について、アラブ人による中東領土支配権を約束したものだが、マクマホンの意図は、
軍事的にアラブ民族の力を利用することにあった。・・・
サイクス・ピコ秘密条約 1916年5月9日
・・・(一九一六年)四月二十六日、シリアのフランス総領事フランソワ・ジョルジュ=ピコと、
イギリス外務省の中東代表マーク・サイクスが、ロシア代表と共にペトログラードで密談し、
マクマホン書簡に反して、戦後のオスマン・トルコ領土を分割して三ヶ国で分配することを取り決めた。
続いて五月九日、サイクスとピコはアジア・中東の領土範囲を決める条約に調印した。
このサイクス・ピコ秘密条約では、フランスが現在のレバノン~シリア~イラクのモスール周辺まで
支配し、イギリスはメソポタミア南部~イラクのバクダッド~ヨルダン~パレスチナを獲得すること
にした。・・・
バルフォア宣言 1917年11月2日
・・・翌一九一七年十一月二日、イギリス外相アーサー・バルフォアが、サイクス・ピコ秘密条約の
締結者マーク・サイクスの草案をもとに、
「イギリス政府はユダヤ人のための国家(ナショナル・ホーム)をパレスチナに建設す
ることに賛同し、最善の努力をつくす」
と記したバルフォア宣言を、ウォルター・ロスチャイルド卿宛に出した。
これによってロスチャイルド家がユダヤ人国家の建設に踏み出したのである。・・・
三枚舌外交(トリプルスタンダード)
・・・パレスチナは、おかしなことになった。
「マクマホン書簡」によればアラブ人の支配地域であり、「サイクス・ピコ秘密条約」によれば
イギリスの土地であり、「バルフォア宣言」によればユダヤ人国家の建設地という、あり得ない
矛盾であった。相手によってころころ内容を変えるイギリスの三枚舌外交が、問題を深刻にした。」
ローレンスのことも記していた広瀬隆の本は情報の宝庫だ、NHKが情報ソースとして様々な場面で
影響を受けている著者の1人であることを感じる。
日本国内で自国を”ガラパゴス”と揶揄する風習がここでもそれを証明しているような氣がする。
この三枚舌外交を裏付ける関連したコメントが次のドキュメンタリー番組で理解できる。
「今のような大きな対立が生み出された歴史的背景は 第一次大戦後の17ヶ月間にあります。
戦争に勝った大国、おもにイギリスとフランスは 北アイルランド、ユーゴスラビア、そして中東の
大半の国々を創り出しました 私は記者として それらの国々での悲劇をずっと見てきました。
・・・
私たち欧米人は自分達がコントロールできるように中東諸国の線引きを行ったのです。
そしていまだに イギリス、フランス、アメリカは影響力を競っています
欧米人は中東を創る時に意図的に宗教が対立するようにしました、皆が互いに恐怖心を抱いて
ロンドンやパリ、ワシントンに保護を求めてくるように するためです」
ロバート・フィスク:レバノン問題専門家の発言
(『過激派と交渉する男~イスラム社会との対話~』NHK BS1世界のドキュメンタリー
製作:VPRO オランダ2008年 2008年11月28日放送)
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