狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄でクーデター勃発!『うらそえ文藝』が左翼の巣窟に、

2014-07-01 03:07:52 | 県知事選

 

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沖縄県内の「告別式」最新情報

新聞止めても、各地域の折込チラシが見れます。
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※本日午後7時よりチャンネル桜「沖縄の声」に出演します。

「うらそえ文藝」のクーデター劇についても触れる予定です。

ご視聴お願いします。http://www.ch-sakura.jp/1428.html

         ☆

沖縄が異論を許さぬ「全体主義の島」といわれて久しい。

沖縄2紙を中心にした反日サヨク勢力が、マスコミはおろか出版業界まで影響を及ぼし、自費出版の原稿にさえ「検閲」をするという異常な状況だ。

そんな中、右にも左に偏向しない自由な編集方針で県内外に知られる『うらそえ文藝』にクーデターが起き、左翼集団による編集権の乗っ取りが画策された。

星雅彦編集長と仲程昌徳琉球大学名誉教授の対談を削除するというのだ。

対談内容が左翼陣営にとって不都合だったのだろう。

これで、「沖縄に残された最後の自由な言論空間」として評価の高かった『うらそえ文藝』も、世にあまた存在する沖縄県産の雑誌と同様、反日サヨクの巣窟と化すのかと危ぐされた。

だが、出版日を一ヶ月も遅れるという危機をの乗り切り、反日サヨクの圧力を振り切って、何とか削除なしの状態で出版にこぎつけた。

その時の状況を世界日報が記事にしているので、紹介する。

言うまでもないが、星編集長を村八分にしている沖縄2紙がこの「クーデター劇」を報じることはない。 

世界日報 20014年6月25日

【美ら風】真実の探求続ける星雅彦氏

 「沖縄戦の実情はどこかでゆがめられている。もう一度洗い流して考えなければならない」

 こう語る文芸誌「うらそえ文藝」編集長の星雅彦氏は、2009年発行の同誌(第14号)で軍命説に疑問を呈して以来、沖縄戦の真実を求め続けている。

 今月発行されたばかりの第19号では、近代文学が専門の仲程昌徳琉球大学名誉教授とのロング対談で集団自決問題に正面から取り組んでいる。対談は、昨年死去した民俗学者の谷川健一氏に話題が及んでいる。

 谷川氏は昭和46年に発行された「沖縄の証言(上)庶民が語る戦争体験」(中公新書256)を編集。このプロジェクトで星氏は慶良間諸島(渡嘉敷島、座間味島など)で沖縄戦を体験した住民に聞き取り調査を行っている。

 「当時、隊長命令があったといううわさはあったが、直接聞いたことはなかった。突っ込んで聞いてみると、いずれも伝聞の域を超えていなかった」という星氏。谷川氏は、編集段階で、星氏に断りなく集団自決は「隊長命令があった」と書き換えたと言う。

 谷川氏は2年前、ある人物宛ての手紙の中で、星氏とドキュメンタリー作家の上原正稔氏のインタビュー(「うらそえ文藝」第14号)に「集団自決問題には遺族の補償問題が根底にあることを初めて知った」と星氏の主張が正しかったという内容を書いていた。ところが「うらそえ文藝」の編集委員9人は、編集長の同意なしに、対談後半部分を削除しようと目論んでいたというから驚きだ。

 昨年まで沖縄県文化協会会長を務めた星氏は、平成25年度の沖縄県文化功労賞を受賞した。星氏の真実探求の旅は続く。(T

                ☆

>ところが「うらそえ文藝」の編集委員9人は、編集長の同意なしに、対談後半部分を削除しようと目論んでいたというから驚きだ。

当然、星編集長は編集委員9人の削除の画策に反撃した。

ところが、クーデターの首謀者といわれる垣花編集員は、「以後編集会議はすべて多数決で行う」と主張したというから驚きだ。

結果的には、削除なしの『うらそえ文藝』は発刊され現在、県下の各書店で発売中故、是非ご購読いただきたい。

まだ「クーデター」の硝煙の燻りが残る同誌の「編集後記」から、クーデター首謀者の垣花編集員と星編集長の文章を抜粋・引用するがクーデターのすさまじさが垣間見れて興味深い。

「編集後記」

●仲程昌徳氏と星編集長の対談の「第一部」は、他の短歌論文等と関連させて参考になる。 しかし、「第2部」では星編集長が固執する「集団自決問題」などの展開は対談というより編集長の独演会の様相を呈し、もどかしい。 編集員会では、短歌・俳句の文化を柱とするテーマに照らして、第二部の掲載の是非、表現や内容などを巡って編集長と対立し活発な議論がなされた。(垣花譲二


●・・・二部では沖縄問題と国際情勢にどう向かうかという課題である。 沖縄のメディアはほとんど情報の打ち止めの形。 そこには現実のイデオロギーの対立と交戦作用がないとは言い得ないだけに、それこそ沖縄はどう向き合うかを問われている。 しかし、編集委員の意見は二部の削除だ。
●編集委員の意見は無謀だ。 二部には「沖縄の現状を語る」というタイトルにふさわしい内容であり、考えるヒントが多く埋蔵されているはずなので、あえて掲載した。
●編集長傘下の編集員は、一体感を持つべきだ。(星雅彦)

ちなみに仲程氏は過去に沖縄戦の本を2冊も上梓しているいわば沖縄戦の「識者」である。
 

その時の状況を当事者の星編集長自身に話して頂くつもりで、6月26日放映のチャンネル桜「沖縄の声」に星雅彦編集長とドキュメンタリ作家上原正稔さんを迎えて「慰霊の日特番」を組んだ。

【アーカイブ】沖縄の声-慰霊の日の特番ー軍の命令?沖

残念なことに、番組では話が沖縄戦の方に脱線気味で、必ずしも「クーデター劇」について詳しく聞くことは出来なかった。

そこで、『うらそえ文藝』の会員でもあり、「クーデター」に直接立ち会った又吉康隆さんのブログより、その顛末を以下に転載させて頂いた。

なお、ブログ掲載当時は「クーデター劇」が成功するか否かはまだ不明の状況であった。

2014年05月03日

「うらそえ文藝」で言論封殺が起こった

私は今年からうらそえ文藝の会員になった。
去年、短編小説を掲載し、今年も掲載する予定である。来年も再来年も短編小説を掲載したいと思っている私は、星雅彦編集長のすすめもあって会員になった。
添削をする会合にも二度参加した。

会員になって驚くべき事実を知った。
去年の星雅彦編集長と福地氏の対談が編集員の賛成多数で後半部分がカットされたというのだ。
対談の後半がカットされるというのは考えられないことである。しかし、実際に「うらそえ文芸」で起こったのである。
大城立裕や上原正稔など星編集長の対談は多くの話題を提供し、うらそえ文芸の知名度にも売り上げにも貢献してきた。星さんの遠慮なしの鋭い突っ込みは対談相手を窮地に追い込んだり、反撃を食らったりして、馴れ合いの対談にはない緊張感がある。内容も深い。

対談を半分もカットするのは言語道断である。明らかな言論封殺である。絶対にあってはいけない。ところが去年に実際に起こったのである。

今年も去年と同じように星編集長の対談が半分カットされる恐れが出てきた。いや、このままだとカットされるだろう。四月三十日(水)の編集会議で賛成多数によってカットされることが決まったというのだ。

星編集長から私の小説にクレームがあり、コピーされた原稿を訂正して印刷会社に送った。二日後に、印刷会社から訂正したPDF原稿をメールで送ってきたが、FAXで送ったために写りが悪かったのだろう、ほとんどが訂正されていなかった。
私は印刷した原稿を赤ボールペンで訂正したが、訂正カ所が多く、四月三十日に最後の編集会議があると聞いたので、そこで私の事情を説明し、印刷会社と直接交渉して、もう一度添削したいということを伝えに行った。
メールの添付、PDF、ワード、プリンターについて知っていないと私の言うことは理解できない。丁寧に説明して理解してもらおうと思っていたら、K氏が大遅刻した。まずいことに弁当が出されたので私は食べた。食べながら星編集長の対談の原稿を読んでいた時にK氏が悠然と入ってきた。弁当は編集委員用であるのに私が食べているのにカチンと来たのだろう。
「今日は編集委員会議です。会議が始まったら出て行ってください」とK氏は言った。
 私の説明は一切受け付けなかった。ただ、訂正した原稿を置いて出て行けという態度である。高邁な彼に説明してもしようがない。私はもう一度添削することをあきらめた。
 
 編集会議が始まったので私は対談の原稿を星編集長に返して部屋を出ようとしたら、星編集長は最後まで読んでくれと言った。私は守衛のいる応接間に行き、原稿を読んだ。
 仲程琉大元教授との対談は、一部は戦前の沖縄の近代文学、二部は戦後の沖縄文学についてだった。一部ででてくる文学者はほとんど知らない人物であり、内容的にも面白くなかった。
 二部は戦後の小説家や詩人を肯定的に捉える仲程元教授と否定的に捉える星氏は意見が対立する。星氏は作家たちの現実認識が駄目だといい、集団自決などの話にもなる。
 対談が進むうちに、仲程氏の場合は専門分野ではない知識は沖縄二紙に頼っていることが明らかにされていく。対談は一部二部合わせて40ページにも及び、長時間の対談であった。
 星氏は1932年生まれで現在82歳である。老齢の星氏にとって負担が大きい対談であっただろう。
「余命も少ないし・・・・・・・」
電話で漏らした星氏の言葉である。弱音で言ったのではない。だからこそ悔いが残らないように真剣に対談をやっていくと星氏は言っているのである。命がけの星氏の対談を半分カットするなんて考えられない。
 星氏にやる気を失わせ、編集長を辞退させようとしているとしか考えられない。

 皆さんの抗議をお願いします。

浦添市文化協会事務局

 電話・FAX 〇九八―八七八―四五五三

 

2014年05月03日

「うらそえ文藝」で星編集長が言論封殺されている

四月三十日が最後の編集会議であった。編集会議の主な仕事は添削である。それ以外に編集委員の仕事はない。最後の編集会議であるなら本の編成はすでに決まっているから、原稿の最終チェックをするだけである。

私は前回の編集会議に参加し、新しい会員になったことを編集委員たちに言い、自己紹介をした。そして、自分の原稿の添削をした。
四月三十日が最後の編集会議も添削であろうから、手伝うつもりであったが、K氏は編集会議だからといって私を追い出した。
その日の目的は最終チェックではなくて、星編集長の対談の半分をカットするのが最大目的であったのだ。

最後の編集会議で星編集長の対談の半分カットを決定したのは星編集長に巻き返しをする余裕を与えないための極めて陰湿なやり方である。
多勢に無勢の星編集長は孤立状態である。

思想的な差別をしないで、右系も左系も受け入れるのが「うらそえ文藝」の真骨頂だった。それが星編集長の方針であった。ところが編集委員の中に革新イデオロギーが台頭してきて、「集団自決に軍命令はなかった」と公言している星編集長の言論を封殺し、編集長の座から引きずり下ろそうと画策しているのだ。

その策略が対談の後半カットである。実に巧妙なやり方だ。読者は星編集長の対談が掲載されているので、星氏が健在であると思っている。
しかし、星氏にとって半分もカットされれば対談した意味がないと感じる。対談をする気が失せるのは当然だ。星氏が編集長を辞退するのは時間の問題である。
彼らは表と裏を使い分けて、表面上は星氏自らの判断で編集長を辞退したと読者に思い込ませたいのである。

星氏を追放した後は、保守系や革新に批判的な投稿を排除して、革新系の「うらそえ文藝」するつもりであるのは見え見えである。実はこの計画も着々とやっているようだ。
今度の「うらそえ文藝」に新しく漫画を掲載するそうだ。漫画と聞いて私の頭に浮かんだのは、タイムスか新報に掲載していた「琉球処分」を巡る漫画だ。ロコツな革新よりの漫画だった。その人の漫画が掲載されるだろうと私は予想している。

浦添市は保守系の若い市長が登場したというのに、底辺では革新イデオロギーが根強く拡大している。
絶対に革新イデオロギーの支配する「うらそえ文藝」してはいけない。
星編集長の方針通り、表現の自由を重んじ、右系も左系も歓迎する「うらそえ文藝」でなければならない。

星編集長の対談カットを許してはならない。
  

2014年05月04日

星編集長の言論封殺は革新の陰謀

 二〇〇九年の上原正稔氏との対談は沖縄言論界に大きなショックを与えた。
集団自決に軍命令はなかったと、上原氏だけでなく星氏も語ったのである。
星氏は長年県や浦添市の文化の発展に貢献した人である。多くの人が星氏に敬意を持っていて、星氏の発言の影響は大きい。
その後も星氏は「集団自決に軍命令はなかった」と主張し続けている。星氏に動揺したのが県や市に巣食う革新連中である。

うらそえ文藝の目玉である対談の後半をカットするというえげつない方法で星氏の口封じをやったのである。
星氏は今年で浦添市の文化委員長を辞めている。なぜ辞めたのかは知らない。高齢が原因なのか「圧力」が原因なのか・・・・・。
「来年はうらそえ文藝の編集長でなくなるかも知れない」と漏らしたことがあった。
星氏の対談の後半カットに編集委員の中の一人以外はみんな賛成したという。「みんなK氏の味方になっている」らしい。星氏は編集委員会での孤立に嫌気がさしている。

二か年連続で対談の半分をカットされたのでは星氏がうらそえ文藝の編集長で頑張る意味がない。このままだと星氏がうらそえ文藝から去る可能性がある。

革新の狙いはそこにある。「集団自決に軍命はなかった」と主張し続けている星氏の発言の場を奪うのが革新の目的だ。陰湿なやり方である。

 2014年05月06日

星編集長の対談の後半カットは現実となるのか

星雅彦氏は去年「沖縄文化功労者」を受賞している。星氏の名詞には「浦添市文化協会会長」「国際美術評論家連盟会員」「日本ペンクラブ会員」「日本現代詩人会会員」「日本詩人クラブ会員」が書かれている。「浦添市文化協会会長」は今年で辞めたらしい。

名詞の肩書で分かるように星氏は文学や美術に精通していて、その関連で沖縄県の文化発展に寄与してきた。特に沖縄の美術界を発展させた功績は大きい。

星氏は政治には無関係なところで活動してきた人である。だから県や浦添市でも受け入れられてきた。
しかし、「集団自決に軍命令はなかった」と発言するようになってから、状況が変わってきた。星氏を革新は忌み嫌うようになった。タイムスや新報からも干された。
「集団自決に軍命令はなかった」を繰り返す星氏の口封じを革新は画策したのだ。それがうらそえ文藝の対談の後半部分をカットすることだった。

一昨日、星氏はK氏と会い、後半部分も掲載するように交渉したが、「編集委員会の決定」を理由に受け入れなかったそうだ。

革新の陰謀はいたるところに張り巡らされていることを実感せざるを得ない。

 
星雅彦氏は一九七一年に軍命はなかったことを書いていた
「沖縄内なる民主主義5」の「軍命はなかったのになぜ集団自決は起きたか」から転載した。
星氏が軍命令はなかったことをすでに知っていたことが分かる。

集団自決について掲載しているサイトを探していたら、偶然、星雅彦氏が一九七一年に書いた「集団自決を追って」を掲載しているサイトを見つけた。「集団自決を追って」を読んで驚いたのは、集団自決は軍の命令ではないと書いてあることだった。一九七一年は前の年に「沖縄ノート』(著者:大江健三郎)が出版されて「集団自決」は軍命令であったと沖縄の人たちに広がっていた時である。その時に、軍命令はなかったことを沖縄の作家が書いていたのだ。驚くべき事実である。
私はWEBで「集団自決を追って」の出所を調べた。すると一九七一年十一月号の雑誌「潮」に特別企画・「沖縄は日本兵に何をされたか 」に掲載されていたことをつきとめた。同時に掲載してあったのが前号の「沖縄内なる民主主義4」に掲載した赤松嘉次氏 (元海上挺進第三戦隊長)の「私は自決を命令していない」である。前号でも赤松戦隊長が自決命令を出していなかったことを証明したが、星雅彦氏の「集団自決を追って」でも赤松戦隊長が自決命令を出していないことを書いている。それだけではない。赤松隊長が自決命令を出していなかったにも拘わらず村民が集団自決をしたいきさつも書いてある。非常に貴重なドキュメントである。
私は星雅彦氏にお願いして、「集団自決を追って」をこの本に掲載させてくれるようにお願いした。星さんは快諾してくれた。それだけでなく、「雑感」を書いてくれた。


雑感(略)

2014年05月10日

うらそえ文藝編集委員会議に乗り込んだ


うらそえ文藝の編集委員たちは、四月三十日の編集委員会議で七対一の圧倒的多数で星編集長の仲程元琉大教授との対談の第二部をカットすることを決めた。
しかし、星編集長はカットしないことを主張し、編集委員と星編集長の対立が続いている。

昨日、五月九日に編集委員会議があることを聞いた私は、うらそえ文藝の会員として、二部カットに賛成する理由を書いてもらおうと編集会議が始まる前に乗り込んだ。
編集長の対談の後半をカットするということは重大問題である。会員は編集委員が反対する理由を知る権利がある。
私は編集委員に理由を聞き、私が準備した用紙にそれぞれの理由を書くように要求した。私は編集委員が書いた理由を全会員に通知すると宣言した。
編集委員は書くことを拒否した。しばらく押し問答が続いた。押し問答の中である編集委員がカットする理由を言った。二部は対談の題名にそぐわない内容であること、沖縄の文学の話であるはずなのに集団自決の話をした。特定の人物を傷つけているというのがカットする理由であるという。
部会長である垣花譲二氏は二部カットを画策した中心人物であるが、彼は、星編集長とは今までも色々なことがあったからなどと弁解した。

彼らのいう理由は全然カットする理由にならない。
カットは読者に読ませないことであり、明らかな言論封殺である。彼らがやっていることは思想が違う人間の言論を封殺することである。戦前の言論弾圧と同じ思想だ。

編集委員は公務員や教員出身者で占められている。いわゆる革新系の思想の人たちであり、慶良間の集団自決は軍命令があったと主張している連中である。それに対して、星編集長は集団自決に軍命令はなかったと主張している。
対談の二部では集団自決に軍命令はなかったと星編集長は発言している。革新系の編集委員たちは星編集長の主張を封じ込めるのか目的なのだ。

私は「沖縄に内なる民主主義はあるか」がボーダーインク、沖縄タイムス、南山舎に自費出版を拒否されたことを言い、言論封殺には絶対反対であり、このことはうらそえ文藝の会員として全会員にも知らせると話した。

すると一人の男性が私はまだ会員ではないと言った。一月に申し込み書とお金を払ったのにだ。
どうやら星編集長の紹介で入会をした私をうさんくさい人間に思ったのだろう。編集委員の幹部は私の入会を引き延ばしていたのだ。卑劣な連中である。

会員ではないと言われたらそのまま居座ることもできないので、星編集長の対談の二部カットについては徹底追及すると言って私はその場から去った。

星編集長に電話して事情を話し家に帰ろうとしたら、もう少しで到着するので待ってくれと頼まれた。
星編集長が到着し、事情を話すと、一緒に行って編集委員会議を傍聴してくれと頼まれた。
私は星編集長と編集委員会議に行った。私が傍聴をしたいと言い、星編集長は賛成したが垣花部会長が断った。編集委員会議は垣花部会長が権限を握っていて星編集長の主張は却下されて私は出ていかざるをえなかった。

うらそえ文藝の編集委員会議が傍聴を許さない秘密会議であるとは驚きである。文学は表現の自由を重んじイデオロギーや政治の圧力があってはならない。だから、編集会議はオープンであるのが当たり前だ。
しかし、うらそえ文藝の編集委員会議は非公開であるのだ。原因は革新イデオロギーで星編集長に圧力をかける会議であるからだ。

表現の自由であるべきはずのうらそえ文藝は、いまや革新イテオロギーの巣窟となっているのだ。

星編集長の孤独な闘いが続いている。対談の二部がカットされるかされないか。今が正念場だ。

             ☆

この問題を、沖縄の小さな雑誌の編集権争などと矮小化してはいけない。

日本の縮図とい沖縄で現在起きている反日サヨク勢力による言論封殺と捉えるべきである。

 

参考:櫻井よしこ氏が絶賛!「うらそえ文芸」の痛快な記事! 2012-06-03

 
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