ろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします。
■県政奪還!世直し沖縄庶民の会のお知らせ■
県政奪還!世直し沖縄庶民の会
~地元新聞・TVによる世論誘導選挙、中国の沖縄侵略隠しを訴える~
を以下の通り行います。
1月15日19:00~ 南城市 大里農村環境改善センター 南城市大里仲間928 地図
1月19日19:00~ 八重瀬町 八重瀬町公民館具志頭分館 八重瀬町具志頭1 地図
1月21日13:00~ 読谷村 読谷村地域振興センター 読谷村喜名 喜名2346-11 地図
1月27日13:00~ 名護市 名護市労働福祉センター 名護市大南2丁目1−25 地図
1月29日18:30~ 那覇市 沖縄産業支援センター 那覇市小禄1831 地図 依田啓示さんの裁判についての報告もあります。
2月15日19:00~ 豊見城市 沖縄空手会館 豊見城市 豊見城854-1 地図
2月19日19:00~ 沖縄市 沖縄市農民研修センター 沖縄市登川2380 地図
資料代:300円(上記会場にて当日お支払いください)
問い合わせ:0980-43-5343
※正す会2月定例会は2月19日に沖縄市の会場で一緒に行います。
他の市町村での日程は決まり次第ホームページに掲載します。
各市町村ボランティアも募集中です。
当日記にはこれまで、いろんな種類の「スター」が登場した。
思いつくだけでも「くるさりんどー山城」こと山城博治被告、差別と言えば沖タイの阿部岳記者、そして言論封殺の伊藤和行記者。 年末年始,沖縄メディアを席巻したウーマン村本などが脳裏を過る。
だが何といっても白眉は、「差別」を掲げ百田尚樹氏に咬みつき、クソミソにフン砕された阿部記者だろう。
阿部記者はその後も懲りることなく、コラム大便小便じゃなく大弦小弦で、クソ真面目に差別について健筆を振るっている。
さて毎週月曜日の同コラムは阿部記者の担当のようだが、本日のコラムを一瞥、仰天した。
何を血迷ったのか。
これまでの恥の上塗りをゥ○コで塗り固める魂胆か。
それともヤケクソなのか。焼くのはおにぎりだけにして欲しい。
確かに文中、差別の文字は見られるが結論の「野グソの勧め」とがどう繋がるのか不可解である。
これから同コラムを紹介するが、その前に筆者の下品な過去ブログを阿部岳記者の深遠なコラムの導入としたい。(不快な方はスルーして下さい)
頑張れ!「うん子校長」 ★ ウコン奇談 ★消えた11万人 2007-10-11
学校だより:「うん」と返事する子は「うん子」…横浜・西寺尾小校長が記述 /神奈川(10/6毎日)
◇「あいさつの大事さを訴えるため、作った」
横浜市立西寺尾小学校(同市神奈川区、児童数407人)の吉田秀一校長(57)が、全校児童の家庭に配る「学校だより」に「うん子」というタイトルをつけ、「はい」ではなく「うん」と返事する児童について「おまえは『うん子』か!と怒鳴りたくなる」と書いていたことが分かった。5日の市議会決算特別委員会で仁田昌寿市議(公明)が明らかにした。吉田校長は同日の終業式で全校生徒に謝罪した。【池田知広】
問題となったのは9月28日付の「学校だより10月号」。吉田校長名で「『はい!先生』と答えれば、よい子よい子と飴(あめ)玉の一つもやりたくなるのですが、『ええ!わたし?』とか、『どうして?おれ!』とか言われると、何だこいつは!どついたろか!という気持ちになってしまいます」などと記したうえで「おまえは『うん子』か!と怒鳴りたくなるわたしのこの気持ち分かってもらえますでしょうか」と締めくくっている。
吉田校長は毎日新聞の取材に「あいさつの大事さを訴えるため、学校だよりを今までにないスタイルで作ってみたいと思った。非常に不快感を持たれてしまうもので、自分の立場をわきまえればよかった」と釈明した。
同委員会で中田宏市長は「びっくりした。言葉をわきまえてもらいたい」と答弁。押尾賢一教育長も「誠に遺憾で、校長としては非常に不適切。実態を調べて対応を取りたい」と述べた。
◇
時事ネタとしてはちょっと古くなったが、
基本的にはこの校長先生の行動を支持したい。
減点主義の日本の教育界では、校長まで上り詰めたら後は定年まで何もしないのが得策。
下手に教育に熱意を示すと必ず足を引っ張るヤツがいる。
まず親バカPTAの父母からのクレーム、マスコミへの垂れ込み、
そして「当たらず触らず」を是とする教育委員会等のお定まりの対応。
この校長先生も「あいさつの大事さを訴えるため、学校だよりを今までにないスタイルで作ってみたいと思った」という熱意を買うべきで、
一方的に訓示を垂れるガチガチ校長よりユーモアを交えた「うん子」にこの校長のセンスが光っているではないか。
>中田宏市長は「びっくりした。言葉をわきまえてもらいたい」と答弁。
>押尾賢一教育長も「誠に遺憾で、校長としては非常に不適切。実態を調べて対応を取りたい
こんな紋切り型の思考しか出来ない連中が教育を牛耳っているから、学校現場も無気力になっていく。
いたずらに揚げ足を取って言葉狩りをするなら、
何事も見て見ぬ振りの「不作為教師」が増えてくるのではないか。
ユーモアと熱意に溢れる「うん子校長」に声援を送りたい。
*
以下上記引用記事と関連するような、しないような
取り止めのない話が続く。
沖縄の那覇に土地勘のない方、又はあっても若い方には恐縮だが、20年以上前、那覇の泊小学校の近くに「雲子食堂」という大衆食堂があった。
長女誕生でお世話になった産婦人科医院が近くにあって、その「雲子食堂」は良く利用した。
その看板の「雲子」を何と読むのかと利用するたび考えたが、店主に聞きそびれているうちその店も消えてしまった。
20数年経った今でも、その解けない謎は胸の奥でくすぶっている。
「くもこ食堂」、それとも・・・・まさかね。
*
パソコンの変換ミスに驚かされたり笑わされたりした経験はどなたでもおありだろう。
だが、変換ミスはパソコンだけの専売ではない。
人間は文字を目で捉えて瞬時に意味を変換し脳に伝える。
以前、友人のサイトに名古屋名物「ひつまぶし」について書いたら、
それまで「ひつまぶし」には馴染みのなかったその友人から
「ひまつぶし」と間違えたとのレスをもらった。
この誤変換はひらがなを目が認識ミスした例だが、カタカナの方がより誤変換は多い。
沖縄ブームで今ではゴーやーも全国区になりつつあり、健康食品に興味のある人なら「ウコン」の何であるかは説明無用だろう。
まだ、沖縄語が今ほど認知される前のこと。
馴染みのない沖縄語の変換ミスで驚いた観光客は多かった。
以下は過去エントリー「ウコン奇談」の再掲です。
◇
≪健康沖縄を代表する健康食品にウコンがある。
ウコンは元々方言で「ウッチン」と言っていた。
今でも年寄りはウコンとは云わずウッチンという。
肝臓の特効薬と言われだし、全国に知られるようになってからウコンという呼び方が定着してきた。
人間も齢を重ねてくると目で文字を認識して脳ミソに刻み込む過程でインプット・ミスを犯しやすくなる。
「コイミズ」(ズミではない)という文字を見ると無意識に脳では「小泉」と変換され間違って記憶される。
読み慣れぬカタカナの羅列を見て、視覚による識別に脳ミソがついていけないと言う事。
結局言葉を変えれば、読解力の減退と言う事に話は落ち着く。
◇
(略)
閑話休題。
話は休憩前に戻る。
■ウコン奇談■
これは沖縄ブームが来る前の、沖縄健康食品が今のように知られる前の話である。
いち早く観光客にこれを宣伝しようと思った或る食堂のオバー、店の壁に墨クログロと自慢の料理の宣伝を大書して貼り付けた。
一人の観光客がその店に入り、オバーの張り紙をみて驚いた。
それも尋常な驚き様では無かった。
口は開けたまま、目は虚ろ、まるでコウノトリの一撃を食らった時の小泉首相の驚愕の表情にも匹敵するオドロキ様だった。
張り紙にはこうあった。
「当店のカレーライスにはウコンが入っています」
そのオバーの為に弁解しておくが、オバーはけして「コ」と「ン」を入れ違えたわけではなかった。
ウコンと言う単語を見慣れていない観光客が勝手に視覚のインプットミスを犯して、脳ミソがパニックを起こしたに過ぎなかったのだ。
なるほど確かにカレーの色とソノ色は良く似ている。
あまりの客のオドロキに今度はオバーが驚いた。
「お客さん。 心配要りませんよ。 これはオバーのサービスですから」
オバーはウッチンを自家栽培しているのが自慢であった。
「私の自家製だから」
観光客の驚きに動揺したオバー、
止めのイッパツを放ってしまった。
「ウチのウンチは栄養万点よ。 ミソ汁にも入れてあげるよ」
慣れないヤマト口と緊張のあまり、
不覚にもこのオバー、「ン」と「チ」を言い間違えてしまったのだ。(ウコンは沖縄語でウッチンと言う)
・・・・で、それからどうなったって?
哀れな観光客が、引き止めるオバーを振り切って、
その店を逃げ出したのはいうまでもない。
出掛けにその男が呟いた一言をオバーは幸いにも聞いてはいなかった。
「沖縄では本当にミソもクソもいっしょにするのか!」
それにしても、ウコンとかウッチンとか、随分人騒がせな名前だ。
■ケラマ観光■
その頃は同じようなチン談・奇談はよくあった。
ホテルに入ってきた観光客が中の掲示ポスターを見て小さくつぶやいた。
「さすがは沖縄、奇妙なツアーがあるものだ。」
掲示には、
「ケラマ観光ツアーに参加の方はフロントまで・・」と書かれていた。
けして「ケマラ観光ツアー・・・」と書き違いではなかった。
★引用終了
さて、お待ちかね阿部岳記者のウン蓄に富むコラムの紹介である。
題して「野グソの勧め」?
大弦小弦
▼日本では「不潔な国々」「くそったれ国家」などと訳された。仏メディアは「礼儀正しさで知られる日本のメディアはそろって読者の気分を害さない表現を選んだ」と評した。発言自体は人種差別で許されないが、疑問が一つ。うんこはなぜタブーなのか
▼京都大学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんによると、ゴリラの子は1日に6~12回うんこをする。おかげで、植物は種をあちこちにばらまいてもらえる。人類も定住と農耕を始めるまでは同じで、赤ちゃんの頻繁なうんこはその名残だという
▼うんこのタブー視を鋭く批判するのは茨城県の伊沢正名(まさな)さん。1974年から野ぐそを始め、普及の「糞土師(ふんどし)」活動のため写真家を辞めた。いわく「野ぐそは命の返し方」
▼命を奪って食べる。それは生きる権利であり、宿命である。だからこそ、うんこを自然に返し菌類の栄養にしてもらう。命を循環させる責任があると説く
▼それぞれの「正義」がぶつかって争いが生まれる。だから正義はやめ、責任を問うとも。私も、米国流の正義を振りかざすトランプ氏も(たぶん)水洗便所を愛用し、命の循環を断っている。伊沢さんにかかれば一刀両断である。(阿部岳)