沖タイ阿部岳記者が今朝のコラム大便小便、じゃなく「大弦小弦」で、「偏向報道」について御託を並べている。
それがこれ。
念のため申しそえるが、これは素人のアジビラではなく、新聞記者が書いた格調高い・・・はずのコラムである。
政治家の言葉はどこまで劣化するのか。日本維新の会の足立康史衆院議員がネットに「朝日新聞、死ね」と投稿したのは、昨年11月。兵庫県西宮市の今村岳司市長は今月4日、取材中の読売新聞記者に直接「殺すぞ」とすごんだ
▼神戸新聞によると、今村氏はその後記者の頬に触った。私人であっても脅迫であり、公人としては論外である
▼今村氏は翌日会見を開いて謝罪したが、記者が昨年末、自宅に来たことを批判し続けた。よほど取材が嫌なようだ。かねて「偏向報道」をしたとみなしたメディアの取材には応じない、応じるのは「好意」「協力」だと主張していた
▼最近、こういう言い方が増えた。違う。公権力の財源はそこにいる全員(選挙権がない在日コリアンや外国人も)から集めた税金で、決定は全員を縛る。だから時と場合を選ぶとしても、説明自体は義務である
▼メディアを通さずともネットで直接、十分に資料や自説を公開している、という主張も聞く。よいことだが、十分ではない。多様なメディアの質問にさらされるのは、たとえ面倒でも、多様な意見を知ることにつながる
▼敵と味方。安倍晋三首相は「こんな人たち」と「私たち」と呼んだ。分断をつくりだし、利用し、囲い込んだ支持者の方だけを見るリーダーたちに、メディアは公の責任を問い続ける。(阿部岳)
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安倍首相の選挙演説について批判しているらしいが、最近のネットの普及を全く無視し、「読者はネット情報を知らない」のを前提にした偏向コラムであり、読者をバカにした内容だ。
安倍首相が選挙演説で「安倍やめろ」と野次を飛ばした反対派の聴衆を指差して「こんな人達に負けるわけにはいかない」と発言したと言うのだ。
コラムは、あたかも安倍首相が、国民・有権者を指差して、「反対派の意見は聞かない」と発言したかのような印象操作だ。
いや捏造報道と言っても良い。
では実際はどうだったのか。
阿部記者は明確にしていないが、問題の発言は安倍首相が都知事選で応援演説をした際のもの。
言葉と画像を切り張りしたテレビの阿部批判キャンペーンに困惑した安倍首相は、「国民を指したものではない」と弁解して一応謝罪はしたが、結果は自民党候補の惨敗で、小池百合子新都知事を誕生させた。
この件を学習した安倍首相、次の衆院選では応援演説の日時を公表せず、プロ市民の組織動員を避け、圧勝したことは記憶に新しい。
安倍首相は過去4回の国政選挙で秋葉原駅前での演説をフィナーレにし、勝利を収めていた。
だが、東京都議選の7月1日に行った演説で1時間以上にわたる「安倍やめろ」コールに演説を妨害された。
堪忍袋の緒が切れた安倍首相は「あんな人たちに負けるわけにはいかない」とやって、その場面だけを切り取った一部テレビ局の「印象操作」もあって、自民党は大敗を喫した。
7月1日の演説で起きた抗議は自然発生的なものではない。
初めから安倍首相の演説を妨害する意図で、左派団体が組織的に動員をかけたものだった。
1時間以上も「安倍やめろ」コールをやめないとあっては、公職選挙法225条違反は明らかだ。
「こんなひとたち」の野次が組織的な妨害である証拠にその団体の関係者のツイッターでは、秋葉原に集結するよう呼びかけていた。
>安倍晋三首相は「こんな人たち」と「私たち」と呼んだ。分断をつくりだし、利用し、囲い込んだ支持者の方だけを見るリーダーたちに、メディアは公の責任を問い続ける。
明らかな選挙妨害には蓋をして、「公の責任を問い続ける」とはお笑い以外の何物でもない。
ウーマン村本も真っ青である。
【おまけ】で例示した写真が、安倍首相の「問題発言」の証拠である。
阿部岳記者は読者がネット情報に無知と考えているか、さもなくば「ネット情報はフェイクニュース」と断定したいのだろう。(爆)
>メディアを通さずともネットで直接、十分に資料や自説を公開している、という主張も聞く。よいことだが、十分ではない。多様なメディアの質問にさらされるのは、たとえ面倒でも、多様な意見を知ることにつながる
一応もっともらしいが、これを報じたテレ朝、TBSなどの偏向メディアで加工され捏造された、フェイクニュースを見せられる国民・有権者は迷惑だ。
偏向報道の急先鋒、テレ朝のコメンテーター高木美穂氏の「『こんなひとたち』発言は多様性の軽視」との発言と、阿部学記者の「多様なメディアの質問にさらされるのは、たとえ面倒でも、多様な意見を知ることにつながる」とが、そっくりなのには笑わせてくれる。
【動画】 安倍首相 「(こんな人たちに負けるわけにいかない」 帰れ・やめろコール・秋葉原
【おまけ】