狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・政府に牙剥く学者達⇒日本学術会議、曲学阿世、七博士事件

2020-10-19 08:27:21 | 外交・安全保障

 

【前回の最後の部分】

マスコミの支援を受けた学者による政府攻撃は、南原東大総長vs吉田首相の「曲学阿世の徒事件」の前にも存在した。

「曲学阿世事件」から、時間をさらに約百年巻き戻して、日露戦争と学者の政府攻撃について、検証してみよう。

教科書が教える日露戦争の概略はこうだ。

東洋の小国日本が世界の大国ロシアを打ち破ったが、実際は「痛み分け」であり、日本には経済的にも戦争を継続する能力が枯渇し、テオドール・ルーズベルトの米大統領の仲介で和平のためのポーツマス条約を締結する。

だが、日露戦争は大きな犠牲を払って勝ち取った勝利であると受け取った国民は、賠償金がないなどの不利なポーツマス条約に不満が募り、日比谷公園で開かれた抗議集会は暴動と化し、首相官邸などの政府機関、政府系新聞社が襲撃され、交番は焼き討ちされた。政府は戒厳令を布いて暴動を鎮圧した。だが一連の暴動は学者やマスコミの扇動によるものだった。

教科書は、日露戦争を巡る「ポーツマス条約への不満」やそれに伴う「日比谷焼き討ち事件」までは教える。

だが、政府攻撃の裏に潜む「学者の扇動」(帝大七博士事件に)ついて触れることはほとんどない。

つづく

以下は政府に牙剥く学者とメディア、学術会議、曲学阿世の不逞の徒、帝大七博士2020-10-18 

の続変です。

■日露戦争を巡る帝大七博士事件(学者・マスコミ連合軍の政府攻撃)

日露戦争は、世界の大国ロシアを東洋の小国日本が打ち破った例として教科書で教わる。だが学者達による政府攻撃は日露戦争の前から行われていた。

帝大七博士事件とは、日露戦争勃発も迫った1905年頃,政府の対露軟弱外交に対して強硬外交を主張する東京帝大の大学教授を中心とする7人の博士が,政府に意見書を提出した事件。

東京帝大を中心の7人の学者が1903年6月 24日,満州問題に関する「大学七博士の意見書」を首相桂太郎に提出した。

意見書には日露即時開戦など,対露強硬政策が主張されていたので,その指導者,戸水博士は休職を命じられた。

これに対して東京帝大教授会は抗議書を政府に提出したが,政府は高圧策をとり,東京帝大総長を辞任させた。

しかし,東京帝大の全教授が,これに反対する抗議運動を起し,2人の復職と言論の自由,大学の自治を主張し,総辞職をも賭けて戦った。

最終的に,逆に文相が辞職せざるをえなくなり,同時に2人の復職も認められた。

■学者集団が政府に外交方針を捻じ伏せた最初の事例

帝大七博士事件」は、新聞を味方につけた「学者集団」が、政府の外交方針を抑え込んだ日本最初の事例である。

だがこの事件は,メディアと大学教授と世論の関係を考える上で,きわめて興味深い。

「主戦論へと導いた事件」というだけでなく,学者(大学人)とメディアが相互に利用しあうことを始めたメディア史上の事件として指摘しておく。

彼らの戦前の言論活動が日露戦争開戦へと後押ししたことはよく知られるが,戦争継続や大学の人事問題についても発言したのは、現在の学術会議任命拒否問題通じるものがある。

大学人がメディアにおいて集団で論陣を張ることの効果を十分に自覚していたのだ。

 

さて、結論を急ぎ、日本学術会議任命拒否の騒動に立ち戻ろう。

新会員候補6人を菅首相が任命しなかった問題に抗議する街頭活動が18日、東京・JR渋谷駅前で行われ、学者や作家らが抗議の声を上げた。

彼らの主張には大きな勘違いがある。

日本学術会議の活動のある部分は、純粋な科学者的観点というよりは、一定の価値判断やイデオロギーに基づいて展開されているのではないか、という点である。

彼らの価値判断はおそらく、学術会議に属する特定の個人やグループの意図を反映したものではあっても、研究者全体の総意や合意を反映したものではない。

それは当然ながら、有権者に選ばれた菅内閣と価値判断とも合致していない。

たがって、民主的な手続きを通じて有権者全体の価値判断を反映して成立している政府と、それとはまったく無関係に独自の価値判断に基づいて活動している日本学術会議との間には、対立や齟齬が生じるのも時間の問題であった。

今回のような対立がこれまで表面化することがなかったのは、その時の政府が、学術会議を無用の長物として事実上無視してきたからにすぎない。

彼ら「学者」は「時の権力によって学問の自由が侵害された」といった内容の批判を行っているが、学術会議が一般の学会のような純粋な学術組織でるなら、政府が今回の6名拒否のように、人事にむやみに介入するのは不当である。

確かに、学術会議が主張しているように、「政府に対する政策提言」は、学術会議の重要な役割の一つなのである。だが、それは科学的真理の追求といった学問的研究活動一般とは異なる、政治的活動である。


学問の提言と言うより政策提言と言える彼らの提言を一つ例示しよう。

■ 日本学術会議による増税提言

東日本大震災後の2011年4月5日に日本学術会議東日本大震災対策委員会が公表した「東日本大震災に対応する第三次緊急提言」における復興増税提言がある。

「国は緊急対策の補正予算を組み、国家予算の組み替え、既定の財政支出の節減を図るとともに、復興のための国債の発行や増税・新税(たとえば開発復興税)について、制度の設計を進めるべきである。国債発行に関しては財政規律の問題を考慮し、増税は、国民的な復興努力の一環として位置づけ、世代間における負担の公平性を図るべきである」というのが、その当該部分である。

しかしながら、日本学術会議のこの増税提言は、客観的にみると、学問と言うより政治提言そのものであった。

というのは、復興増税問題はこの時、財政優先か経済優先かの価値判断をめぐる、一つの明確な政治的争点になっていたからである。

実際、当時の与党民主党と野党自民党には増税派と反増税派がそれぞれ存在しており、両派の間で政治的駆け引きが展開されていた。

のちに「消費税増税をめぐる三党合意」が成立した経緯が示すように、この旧民主党政権の時代には、民主党も自民党も執行部はほぼ増税派によって占められていた。民主党政権は学術会議の学問的提言ではなく、政治的提言に従った。

こうした政治状況を踏まえて振り返ると、この時、有権者の価値判断こそが最も優先されるはずの政治の本丸に、日本学術会議が無神経に口出しをしていたのかが分かる。

おそらく増税派はこの時、学術会議の増税提言を「学問」として振りかざすことによって、あたかも増税は日本の専門家全体の一致した結論であるかのように喧伝することができた。

学術会議はつまり、専門家の代表を自称して中立を装いながら、実際には一方の政治的立場に明確に加担していたわけである。

それは、どの点から見ても明らかに政治的な行動であった。

ここ日本学術会議がはき違えた増税と反増税に関する「学問」と「政治」について、野口旭専修大学経済学部教授が次のように指摘している。

【■ 学術と政治をどう切り分けるか

増税派と反増税派との対立は、基本的には財政優先か経済優先かの価値判断をめぐる政策イデオロギー上の対立である。そうである以上、その点に関して専門家が全体として合意に達するなどということはあり得ない。

実際、国内でも海外でも、増税派と反増税派、緊縮派と反緊縮派は、学界や論壇で絶えず相争っている。科学者や専門家たちは確かに、現実の科学的・実証的な把握に関して合意に達することはできる。

しかし、その政策的価値判断において合意に達することはめったにないし、またその必要もないのである。

日本学術会議の最大の問題は、本来そのように科学的観点のみによっては合意不可能であるはずの政策的な判断を、あたかも専門家による科学的観点からの総意であるかのように装って一般社会に提示している点にある。

日本学術会議はおそらく、自らが結果として政治的領域に踏み込んで、一方のイデオロギーに深く加担していながら、そのことの自覚をまったく持っていないのである。

学術会議のみに限らず、政策提言を行う専門家はしばしば、政策的価値判断を科学的判断と混同しがちである。しかし、どのような政策提言も、それが究極的には必ず何らかの価値判断に基づくものである以上、「~である」という科学的実証の領域と「~すべきである」という規範の領域を明確に切り分けて議論することが必要である。それはいわば、専門家であるための最低限の条件である。(略)

仮に日本学術会議がその時々の政府の政策的立場とは無関係に超越的立場を貫きたいのであれば、組織として政府から完全に独立するか、あるいは完全に非政治的な存在に自己限定するしかない。

実際、もしそれが当初から独立した組織であったならば、平和絶対主義、環境絶対主義、憲法絶対主義、財政再建絶対主義などのどのような絶対主義イデオロギーを報じていたとしても、政府は何も言うことはできなかったであろう。個人的には、仮にも科学的真理こそが最重要であるはずの科学者の団体が特定のイデオロギーを報じることに違和感を持たないわけではないが、それはあくまでも組織の内的な問題である。一般の研究者にとっては、なるべくそのようなものに係わりをもたなければよいだけの話であり、おそらくそれで問題は何もないのである。】

               ★

ヘーゲルの有名な言葉に、「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」というのがある。ミネルヴァとはギリシャの女神で、「学問と勝利」を司っている。その横に居る梟(フクロウ)は学問を伝える「学問の象徴」である。学問と言うのはこれまでの知恵・知識の集積でできているので、新しいことをするの(政策)は得意ではない。むしろ、これまで起こった知識(学問)を解釈することに対して力がある。そのことをフクロウになぞらえて言っている。

さて、菅首相が「日本学術会議」の見直しに、どこまで本気なのかまだ不明だが、安倍政治を継承をするというのなら、安倍氏が果たし得なかった憲法改正 と皇室護持そして日露戦争以来獅子身中の虫、いや「獅子身中の害虫」を放逐するための行政改革を断行してもらいたいものである。

 

【おまけ】

学術会議の独立性を制度的にどう担保するか

学術会議をめぐる論争は、安保法制と同じ色分けになってきた。反対派は憲法第9条の代わりに第23条(学問の自由)を振り回し、政府を擁護する側は「反日」だとか「中国と協力した」というが、これは的外れだ。問題はそのいびつな制度設計にある。

学術会議は戦後の混乱期にGHQの指導でつくられたため、内閣直属の政府機関で研究者の直接投票という世界にも類のない制度で発足した。これを最大限に利用したのが共産党だった。直接投票という制度の欠陥を利用して大量の党員を送り込み、極左的な決議を発表させた。
これに対して自民党の反発が強まり、政府は1984年に学会推薦にした。その後も民営化しようとしたが、学術会議はこれを拒否し、2005年に会員推薦に変えただけだ。その結果、会員が自分の後任を決める縁故採用になって政府は口を出せず、民主的統制のまったくきかない治外法権になった。

これは国家公務員の人事としては考えられないので、内閣が選別するのは当然だ。「学術会議だけ特別に無条件で任命しろ」という要求は、法的に認められない。だが「任命の基準が明確でないと、恣意的な政治介入が行われるおそれがある。本質的な問題は、研究機関や学術団体の独立性を制度的にどう担保するかということである。

 ⇒最初にクリックお願いしま

 

 

 

コメント (6)