狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

2023-12-10 11:19:39 | 政治

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

2020-08-13 09:13:56 | ★改定版集団自決

 

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沖縄戦史再検証のため過去ブログをサルベージして渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」2006-08-28

を一部編集して再掲します。

                ★

 勇気ある証言をした照屋昇雄さんの言葉から現れる赤松大尉の像は大江氏の描く残虐非道な「人非人」「人面獣心」や「罪の巨魁」では無かった。

それどころか「自ら十字架背負った」心優しき日本の兵隊さんの姿だ。

 照屋さんは、最初は匿名証言に拘ったが、「赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。」と語る。

照屋さん自身にとっても戦後沖縄で生きることは赤松大尉と同じく「十字架を背負った」人生だったのだろう。

照屋さん、良くぞ勇気をもって証言してくださいました。

                  *

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

産経新聞【2006/08/27 東京朝刊から】
(08/27 12:18)

 

渡嘉敷島の集団自決を軍命令とした経緯などについて語る照屋昇雄さん=那覇市内のホテル

 

 
、≪「大尉は自ら十字架背負った」≫
 
 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。

 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。

 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。

 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。

 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。

 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。

 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。

 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。

 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。

 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。
 
                     ◇

≪照屋昇雄さん「真実はっきりさせようと思った≫

 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。

 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか

 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」

 --当時の立場は

 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」

 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか

 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」

 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか

 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」

 --ではなぜ集団自決をしたのか

 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」

 --集団自決を軍命令とした経緯は

 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」

 --赤松元大尉の反応は

 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」

 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」

 --住民は、このことを知っていたのか

 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」

 --あらためて、なぜ、今証言するのか

 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」
産経新聞【2006/08/27 東京朝刊から】
(08/27 12:18)
                     ◇
 
曽野綾子さんが大江健三郎氏の「沖縄ノート」に疑問を持ち、「ある神話の背景」を書くに至った経緯については、「司法制度改革審議会の議事録」が参考になる。
 
以下に一部抜粋引用。
34回司法制度改革審議会議事録
第34回司法制度改革審議会議事次第 日 時:平成12年10月16日(月) 9:29 ~12:10 場 所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(委 員) 佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子
(事務局) 樋渡利秋事務局長
 
【曽野委員】
過日ちょっと触れましたが、私は過去に書きました数冊のノンフィクションの中から、一つの作品を例に引いて、その作業の困難さをお話ししたいと思います。
 
 ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。この話は、終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件です。当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていました。
 
 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。
 
自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。
 
 当時の資料を列挙しますと、
1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』
2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』
3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』
4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)
5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)
6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)
7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著)
8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)
9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)
 などがあります。
 
これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。
 
 私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。
 
私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。
 
しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。
 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。
 
グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました
渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。
 
大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。
 
 当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。
 
 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした
 
第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること
 
また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。
 
つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。
 
 第二に、資料です。
 先に述べました資料のうち、1~3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました
 
今で言うと盗作です
 
ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります
 
それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。
 
人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。
 
 つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。
 
 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました
 
この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。
 
ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」と答えたのを覚えています。しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。
・沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
 
【追記】
 

 

産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日]

沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き

 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノート』だけでなく、故家永三郎氏の『太平洋戦争』など多くの出版物や教科書で独り歩きしている。主なものを拾った。(教科書問題取材班)

 ◆鉄の暴風

 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた》

 《住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた》

 《座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した》

 ◆沖縄ノート

 《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞(ぎまん)と他者への瞞着(まんちゃく)の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう》

 《那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭(ふとう)では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである》

 ◆太平洋戦争

 《沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺進隊の隊長赤松嘉次は、米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民三二九名が恩納河原でカミソリ・斧(おの)・鎌などを使い凄惨(せいさん)な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない。座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため三〇名が生命を失った》

◆教科書

  《日本軍にスパイ容疑で殺されたり、「集団自決」を強制されたりした人々もあった》《軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した》(日本書籍新社の中学歴史)

 《日本軍によって集団自決を強いられた人々やスパイ容疑・命令不服従などを理由に殺された人々もおり…》(実教出版の高校世界史)

 《犠牲者のなかには、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって「集団自決」を強要された住民や虐殺された住民も含まれており…》(桐原書店の高校日本史)

 《日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた》(三省堂の高校日本史)

 《戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり、スパイ容疑や戦闘の邪魔になるとの理由による住民虐殺もおこった》(東京書籍の高校日本史)

 

(続き)「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん »

 

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん

 

産経新聞 平成18年8月27日

第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。

 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。

 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。

 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)

          

【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。

【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法
 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。

 

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安倍派の秘書を続々聴取 検察の猛攻で自民党は無派閥中心の総裁選が不可避に 「もう派閥の幹部を総裁にはできない」との声で、高市早苗

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尖閣諸島で「戦争恐れず」 中国軍中将、異例の言及

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■狼魔人日記・文藝コーナー■(毎日三首紹介します)

これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月  

富原盛安(82歳・南城市

老いぼれとヤングを結ぶ歌手がいる桑田佳祐何か感じる

何故か俺悟ったかもよと酒を飲む馬鹿を有なと別の己が

あまりにも美しすぎてえにならず山里のもみじ今が盛り

          ★

【生配信】玉城デニー知事危険な国連スピーチ 沖縄県民=琉球民族工作の背後 仲村覚氏インタビュー

 

尖閣諸島で「戦争恐れず」 中国軍中将、異例の言及

配信 中国を訪問しても尖閣には一言も触れなかったデニー知事のコメントが効きたい。⇒「中国のパトロールをじゃまするな?」

筆者の意見「アメリカの核傘」の幻想を棄てて、核武装して自主防衛を!

共同通信

主なコメントは? 日本は自衛のために核保有を考えるべきだと感じています 核保有ではなく、外交や経済制裁による解決を求める声もあります 関連ワードは?

 山口亮 山口亮5時間前 東京大学先端科学技術研究センター特任助教 報告 解説何雷中将の挑発的な発言は想定内ではあるが、単なるレトリックとして見るのは危険だ。中国は力をつけてくるにつれ、強引に支配と影響力の拡大に動き出す可能性が高くなる。…もっと見る 参考になった

4735 高橋浩祐 高橋浩祐4時間前 米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員 報告 解説中国の国会議員に当たる全人代代表で軍幹部の何雷(か・らい)中将はこれまでも何度もタカ派的な発言を繰り返してきた。2019年3月には台湾メディアに「将来、武力解決…もっと見る 参考になった

1612 山田吉彦 山田吉彦52分前 海洋問題研究者/東海大学海洋学部海洋理工学科教授 報告 解説他国の侵略に対し、軍事的な対抗手段を取るというのは、軍関係者の発言としては当然である。何雷氏は、「(戦争も)恐れない」と表現したのだろう。 中国は尖閣諸島を自国…もっと見る 参考になった 1

54 ytant******** ytant********6時間前 非表示・報告 この発言はある意味パーティー券問題に匹敵するくらいのことではないか?! それなのに何故大手メディアは報じないのか? あからさまに意図を感じる 大手メディアもしっかりと報じるべき。 日本国が侵略戦争を受けようとしているのに 戦争が始まってもこういう揚げ足取りに撤する気か? もちろん自民党のパーティー券問題は大問題であるが、今日本に関する問題はこれだけではない。 バランスよく報じることを請う。 返信 250 件 共感した 2.7万 なるほど 481 うーん

2068 arh******** arh********4時間前 非表示・報告 核保有をするしないについて自問自答すると、シンプルで、何の問題のない答えは保有しないこと。しかし、現実はそんなに簡単ではないと思う。日本で銃を持たないでいられるのは、日本が銃保有国家ではないから。世界に目を向けると核保有の世界。世界レベルに拡大すると核を持っても仕方ないのではないかとも思う。核保有で平和が保たれるのであれば仕方ないのでは。核爆弾を無力化できるような技術ができるまで、仕方なくでも核を保有する方法もありなのではないか。 返信 20 件 共感した

1125 なるほど 16 うーん 109 ピッピちゃん ピッピちゃん3時間前 非表示・報告 台湾有事はイコール日本有事でもある。今も尖閣には毎日のように中国の巡視船が領海侵犯をし日本の巡視船や漁船に威嚇行動をしている。しかし日本では殆ど報道が無いので日本人は危機感がない。戦争は絶対にしてはならないが日本人も国際情勢に関心を持ち、万が一の事態に備えた方がいいかも。 返信 2 件 共感した

140 なるほど 3 うーん 3 絵空 絵空4時間前 非表示・報告 極東防衛ラインを突破したいのは中国の悲願であるから、 台灣だけでなく沖縄までとりたいのが本音だろう。 ロシアもインド洋まで風穴を空けたし、あとは武力なのか、日本の政治人材を枯渇させ政治的経済的に奪い取りに行くのか。 時間はかかるが後者の方が、政治の担い手不足を鑑みるに勝ち筋ではある。 ただ、ぼちぼち政治的空白を無くす為、明治維新以後初となるパラダイムシフトはありうるわけで、 そうなると第三の手として、とりあえず台灣までに押しとどめる形になるか。 いずれにしても、ここ10年の日本経済界が行く末を握っていると考えて良い。 返信 12 件 共感した 703 なるほど 19 うーん

71 高齢者の背中 高齢者の背中6時間前 非表示・報告 尖閣諸島で「戦争恐れず」これが、中国の本音。 だから、日本も核弾頭を持って周りの仮想敵国 全域を射程に収めて置けば、この様な発言は絶 対にしなかった。日中の軍事バランスが大きく 崩れ不均衡になっている事が原因。平和憲法だ の専守防衛だの非核三原則の厳守などと馬鹿丸 出しの空言を言っているから、こんな事態にな る。平和で有り続けるには、現実的に周りの国 との軍事格差を常に注視してバランスの不均衡 を招か無い様に軍事力と抑止力の向上を常日頃 から積み上げる必要がある。これを、日本政府 は本当にして来たのか。答えは、中国軍中将の 言葉が全てである。 返信 87 件 共感した

9483 なるほど 86 うーん 586 mog***** mog*****1時間前 非表示・報告 台湾有事は日本有事であることは間違いないのだから、それに向けて日本はどうするべきか。 岸田さんは色々言われているが、防衛費増額など防衛政策を大転換して自衛隊が真に戦える組織にしようとやることはやっており、その点は大変素晴らしい。あとは憲法を改正して、軍隊を持てるようにしないとダメだ。 そして、日本の国は日本人が守るという姿勢を示すことが何よりも重要。 中国による台湾進攻は早ければ26年にも行われる可能性があると言われている。すなわち、あと2年以内に戦争になる可能性があるので、それまで憲法を改正できるかが焦点だ。 返信 0 件 共感した

36 なるほど 5 うーん 17 tnk******** tnk********5時間前 非表示・報告 戦争は絶対に反対だが独裁政権に対して平和を維持するには残念ながら軍備増強でもって対抗せざるを得ないと考えます  いとも簡単に韓国に奪われた竹島しかも何の反応もせずに諦める日本人を見ている中国は尖閣諸島占領を意図安しと自信を抱いている しかも地元の知事が笑顔で中国を訪問したり米軍基地の非難を表明している 世界から見ても道理が通らない日本国です そんな国を米国が命をはって救ってくれると安易に考えるのが間違いです 返信 7 件 共感した 1129 なるほど 15 うーん 33 sj1***** sj1*****6時間前 非表示・報告 日本は今まで挑発したことはないが中国はタイミング的に何かを挑発としそれを理由に開戦したがっている、まず言う通り尖閣諸島、台湾は同時になると思いますがいずれは必ず取りに来るのは間違いないので取られる前に尖閣諸島へは建造物を先に日本が作るべきと思います。今なら名目は中国の食の安全のために海洋処理水観測所と言えます、建造物建設中に挑発との理由で戦闘開始の可能性もありますがいずれ偽装理由でも作って必ず取りに来ます。 あともう一つ問題は中国派沖縄知事が米軍阻止等中国援護が心配です。 返信 54 件 共感した 7428 なるほど

125 うーん 350 tru******** tru********6時間前 非表示・報告 いずれ中国がアメリカの軍事力を上回ると予想されている。特に中国近海では人民解放軍の方が米軍より有利。そんな状況になって中国が尖閣や沖縄に攻めてきたらアメリカは助けてくれるだろうか。ていよくお茶を濁して幕引きしようとするに違いない。中国共産党や人民解放軍のなかには琉球を日本から解放という意見も出ているという。日本は核兵器を搭載した原子力潜水艦を多数建造して報復攻撃できるようにするぐらいしか対抗できないかもしれない。外交で傲慢な中国と話し合いしても日本側の屈辱的で大幅な譲歩という形しかないだろう。 返信 113 件 共感した

9034 なるほど 320 うーん

1346 国粋主義 国粋主義6時間前 非表示・報告 2020年5月に公表された米国CSBAのシミュレーションでは、尖閣衝突の際に那覇空港がミサイル攻撃を受けても、アメリカは日米安保5条による協力として経済制裁だけを発動。 尖閣はあっさり占領されると想定しています。 アメリカからしたら尖閣なんかどうでもいい無人島です。 アメリカは日本を守ってくれないと考えておいた方が良さそうです。

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