狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

オカッパの少年の謎

2010-02-14 00:01:40 | オカッパの少年

自動更新による過去記事です。

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オカッパの少年の謎

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「白旗の少女」については過去に何度かエントリーし、現在でも一日に100件前後の閲覧者がいるが、昨日は200件を越えた。

古い過去エントリーで閲覧者が200件を越すのは当日記のようなささやかなブログでは珍しいこと。 昨日のコメント欄で読者のヒロシさんが知人の小学生が「白旗の少女」の記事を読んでくれたと知らせていただきブロガー冥利につきると書いた。

戦争で戦火に翻弄される子供たちの姿は、米国側の記録写真で数多く紹介されているが、見るたびに心を痛めるものがある。 中でもこの「白旗の少女」と「うつろな目の少女」の写真が有名だが、「うつろな目の少女」が実は「オカッパの少年」だったという事実を知る者は沖縄県民でさえ少ない。

当日記でも過去に数回エントリーしたが、一部の読者には反響があったが「白旗の少女」に比べて、過去記事閲覧も少ない。

「うつろな目の少女」の体験は「残虐非道の日本軍」という沖縄紙の見出しそのままを具現したようなものである。

日本兵に食料を強奪され、壕を追い出され、その際打つ蹴るの暴行を受け右目を失明、歩行に障害の後遺症を持つ。 それだけではなく実母はスパイ容疑で日本兵に虐殺され、戦後は右目の失明と歩行障害により仕事にも困難を伴ったという。

「少女」の受けた災難はそれだけでは止まらず、戦後「援護法」の受給申請をしたがそれも非情に却下された。

沖縄二紙が糾弾する「悪逆非道の日本兵」の被害者として、これほど絶好のネタはないはずなのに、これを報ずる沖縄紙は極めて少ない。 初めてこれをスクープした一昨年の琉球新報と、数日遅れでフォロー記事をだした沖縄タイムスの二回しか筆者は知らない。(昨年最後の講演会を石垣で行ったとき、八重山」毎日がこれを報じた。)

「少女」の体験が余りにも数奇なため、読者の理解を得るのが困難だと思うので、再度「少女」について検証し再度エントリーしてみたい。

昨年の慰霊の日(6月23日)の朝日新聞夕刊のトップに「少女」についての大きき記事が掲載され、それを中央日報がフォローしたので、読者の理解の一助として先ずそれを紹介する。

険を避けて少女になった大城さん、最後の講演/沖縄 

 

 太平洋戦争当時、日本軍が沖縄で行ってきたことを日本人に伝えてきた大城盛俊さん(75)が21日、沖縄県石垣島で最後の講演をしたと朝日新聞が伝えた。63年目を迎えた沖縄被害者「慰霊の日」の2日前だった。彼が25年間、全国を回りながら行った講演は約1230回。毎週1回のペースだった。しかし妻の病気の看護をしているうち、自分の足首の関節も弱くなって公式講演は今回で終えることにした。彼はこの日「初めて講演するときは『沖縄ってアメリカにあるんですか』と質問する子供もいた」と回顧した。それほど過去の沖縄の悲しい歴史を知らない日本人が多かったという意味だった。

  彼が沖縄戦争の証言するようになったきっかけは、1984年に現われた1枚の写真だった。沖縄琉球大学教授だった大田昌秀元沖縄知事が沖縄の悲劇を告発する『これが沖縄戦だ』という本を出し「うつろな目の少女」というタイトルで本表紙に載せた大城さんの幼いころの写真だった。この本が出ると大城さんは「写真の中の人物は僕です」と明らかにし、世間の注目を集めた。彼の証言の人生は少年が少女に化けた事情から始まる。

  日本が太平洋戦争で敗戦の色が濃くなった1945年5月。大城さんは12歳の少年だった。「男の子は日本軍にひっぱり出され、何をされるかわからん」として彼の父親は大城さんを女の子に変装させた。彼の頭をおかっぱ頭にして女の子の服を着せた。その後、洞くつに隠れて過ごす中、日本軍が訪ねてきた。日本軍は大城さんが黒砂糖を入れておいた袋に何が入っているかを尋ねた後「生意気だ。反抗するのか」と大城さんの顔を軍靴で蹴った。翌日、沖縄に上陸した米軍は血だらけになったまま倒れている大城さんを治療し、このとき撮った写真が「うつろな目の少女」という名で本の表紙に使われたのだ。

  この本が出版された後、大城さんは全国を回りながら行った講演の核心は「反戦」だ。彼は「私が本当に訴えたいのは日本軍の残酷さではなく、彼らをそこまで追いやった戦争の狂気」だとし「ベトナム戦争もイラク戦争も同じだ」と強調した。

  太平洋戦争当時、日本軍も初めは沖縄住民に「私たちが皆さんを守ってあげる」と言ったという。それで住民たちは素直に日本軍に寝る場所や食糧を提供して協力した。しかし、米軍上陸が切迫すると日本軍は恐怖に震え、狂気を見せ始めた。道路と陣地構築に住民を動員すると壕に抑留させた。そのせいで米軍の砲弾が落ちても民間人は逃げだせなかった上、日本軍が壕外に出るときには住民を前に立てて盾にしたというのが大城さんの証言だ。

  日本軍に暴行されて失明した彼は母親が死亡した経緯についても話した。「母はほかの洞くつから私(大城)がいた洞くつに戻る途中、日本軍につかまり、米軍スパイと疑われた。日本軍は母を洞くつに閉じこめて手榴弾を投げた」

  彼は喉頭がんの手術を受けたことから人工発声器を使って講演をしてきた。電気装置で声を伝達するので聞き取りにくいのだが、彼の講演にはいつも人があふれた。彼は「沖縄の空は青いが、痛い過去があったという点を覚えていてほしい」とし、最後の講演を終えた。   中央日報 2008年6月26日

 

                    ◆

「オカッパの少女」の謎を追う

うつろな目の少女」は、本当に沖縄戦の語り部・大城氏か

毎年6月23日、沖縄では戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。その日は沖縄県限定の公休日であるため、国の出先機関や国立大学(琉球大学)以外の役所・学校等は休日になる。その日は、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄県主催の沖縄全戦没者慰霊祭が行われる。

 

■「うつろな目の少女」の衝撃■

2008年のその日623日、朝日新聞夕刊は、沖縄戦の語り部として講演活動をしてきた大城盛俊氏(75)が講演会活動を来年で引退すると一面トップで報じた。その記事には「うつろな目の少女」として有名な「少女」の写真と、講演をする大城氏の現在の写真を並べて掲載してある。

63年前に米兵によって撮影された「少女」の写真の説明を、朝日記事は次のように説明している。

<大城さん沖縄戦当時12歳。「男の子は日本軍に何をされるか」と案じた父が少女の格好をさせていたが、食べ物を持っていこうとした日本兵に殴られて右目失明などの大けがを負った。米軍に手当てを受けている写真を、琉球大学教授だった大田昌秀・元沖縄県知事が「うつろな目の少女」と名付けて本の表紙に使い、大城さんは84年に「これは私」と名乗り出た。>

さらに同記事は、大城氏が「23日に沖縄県石垣島では最後となる講演を行い、戦争の残酷さを訴えた」と報じているが、事情を知らない読者は、記事が報じるように過去に1230回を超える講演をこなしてきた大城さんなら、地元沖縄ではこれまでも数多くの講演会を行っていると想像するだろう。 

だが、沖縄出身で長く沖縄に在住する筆者でも大城氏が沖縄で講演会を行ったのは、後にも先にも朝日が報じる20086月の一回しか知らない。しかも23年もの長期にわたる講演活動の最後の沖縄講演が、沖縄本島を遠く離れた石垣島での講演だという。 

何ゆえ大城氏は、沖縄での最後の講演を自分の故郷がある沖縄本島で飾らなかったのか。筆者には、知人縁者の多く住むはずの故郷での講演を避けているように感じられた。

「平和教育」のメッカともいえる那覇や本島南部地域こそ大城氏のユニークな講演の最後を飾る場として相応しくはなかったのか。大城氏は一体何を避けているのか。

「うつろな目の少女」に筆者が疑問を持ち始めたのは、この素朴な疑問がすべての出発点であった。

続く

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テニアンだって?笑わせるな!

2010-02-13 00:47:24 | 普天間移設
2010年2月11日 10時09分 5時間前に更新

 【グアム10日=銘苅一哲】米自治領・北マリアナ諸島のフィティアル知事は10日、米軍普天間飛行場の移設先について、「米連邦政府が認めるなら、私たちは普天間を受け入れる」と述べ、同諸島のテニアンやサイパンでの同飛行場受け入れに前向きな意向を示した。サイパンで面談した社民党の阿部知子政審会長と国民新党の下地幹郎政調会長らに明らかにした。普天間飛行場の移設をめぐり、国外の関係自治体の長が受け入れの意思を示すのは初めて。面談後、フィティアル知事は記者団に「(普天間移設を)歓迎する」と表明した。

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                          ◇

ネット記事で見ると見出しの派手さは見て取れないが、昨日(11日)の沖縄タイムス一面トップを飾った大見出しはこれ。

北マリアナ「普天間歓迎」

知事、下地氏に表明

テニアンなど移設候補

米政府に要請

テニアン島の位置を示す地図と白抜きの仰々しい文字で「普天間歓迎」と書かれると、一瞬、「辺野古以外に5月末までに決める」と鳩山首相が公言した隠し玉がテニアン等移設だったのか、と錯覚させるタイムスの報道であるが・・・。

記事をよく読んだら北マリアナ諸島の知事が、基地移設による経済、雇用などの経済効果を期待して受け入れを希望したに過ぎない。

勿論この話は当初から「辺野古以外に選択肢はない」と主張し続けている米国政府は感知しない出来事であり、社民党の安部議員や国民新党の下地議員らに対し米国の一自治領の知事が希望を述べただけのことである。

米国が日本のように、一地域の首長の希望で国の専管事項である安全保障の問題に右往左往するはずもないが、米国政府がテニアン島の戦略的価値を認めればこれで普天間移設問題も一件落着のはずなのだが、そうは問屋がおろさないだろう。

タイムスの過剰とも思える期待にもかかわらず、テニヤアンの立候補は普天間移設の決定にはなんら影響のないものと思われる。

沖縄のマスコミ報道を見る限り、「県外」「国外」移設の根拠は、戦争の形態が変容したため、もはや「沖縄の戦略的価値は低下した」(我部琉球大学教授ー10日付け沖縄タイムス)ので、沖縄に海兵隊を常駐させる無くなったという説が主流を成している。

予想される東アジアの紛争地には沖縄の基地は必要でなく「韓国からも部隊展開」(我部教授)といった論説が10日の沖縄の紙面を飾っている。

我部教授の意見に従えばテニアン諸島の受け入れ立候補で普天間移設問題は5月を待つjことなく急展開の「テニアン決着」で解決のはずである。

沖縄の新聞で洗脳された読者の中には、在沖米軍基地を百害あって一利なしの諸悪の根源のような見方をして、基地の受け入れ先さえ決まれば問題は解決するものと考える人がいるが、実際は受け入れ先の地勢が重大問題なのである。

前にも述べたが、オバマ政権は従来の国防政策を受け継いで依然として中国を仮想敵国として捉えており、当然その結果として中台紛争に対する抑止力を東アジアの安全保障の重要課題として捉えている。

ならば台湾と至近距離にある沖縄の戦略的価値は増すことはあって、我部教授の主張するように減るとは考えにくい。  沖縄に米海兵隊基地が存在するのは日米安全保障にとって海兵隊の機動性を生かすためには必要不可欠な条件なのである。従って普天間基地の移設先は、沖縄から台湾までの距離を考えれば「辺野古以外に選択肢はないという米国の主張は地政学上もっともな話である。

(我部教授も本音では分かっているのだが、全体主義の沖縄で知識人として生活するためには、沖縄紙に論調を無理やり合わせているのではないかと、推測するのだが。)

鳩山首相は友愛をの幻想から醒めて、中国が台湾や日本に対し1000基以上ものミサイルの照準を合わせながら「友好」を連発していることに気がつくべきである。

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沖縄タイムスも呆れる小沢疑惑と民主党の対応

2010-02-12 00:57:33 | 県知事選

 

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毎月一度飲み会をする高校の同期生の仲間のほとんどが、昨年の衆院選では民主党に投票したと書いた。 今月の例会で最近の「小沢疑惑」と、民主党の小沢氏に対する対応ぶりが話題になったが、小沢氏の前ではおべんちゃらを言うだけであまりにも自浄能力のない民主党にあきれ果てたとの意見が出た。

このまま小沢氏の専横を放置しておいたら日本の将来は危ういと言い出すものも出る始末。 

日本全国でも、民主党に投票した国民の大部分は、我が飲み会仲間と同じように「小沢民主党」に裏切られ怒りを抱いているのと推測するが、今のところ自分が支持した手前、もう少し様子お見たいというのが、思ったより支持率が下がらない原因だと思われる。

選挙前は社を挙げて民主党を応援した沖縄タイムスも首相と幹事長という最高幹部の一連の「政治とカネ疑惑」、および民主党員の自浄能力の欠如に我慢の限界に達したのか、最近は民主党に対してタイムすらしからぬ正論で批判し、筆者を驚かせている。

 

民主党は小沢氏が不起訴になったことで一件落着の態度を決め込んでいるが、それで国民が納得すると思ったら大きな間違いである。

小沢氏の不起訴は無罪潔白の不起訴ではない。

以下の文にオヤッと思う読者もしばし疑念を抑えて最後まで)読み続けてほしい。

(1)シロかクロかはっきりしない、というのが大方の見方ではないか。政治とカネをめぐって政権がグレーに見える。

(2)鳩山由紀夫首相は、小沢一郎幹事長の続投を了承した。政治資金管理団体の収支報告書虚偽記入事件で不起訴となったことで問題は終結したかのような対応だが、こんな幕引きでいいわけがない。

(3)不起訴とはいえ、今後は国民の代表からなる検察審査会が疑惑解明の突破口になるかもしれない。問題はなお、尾を引くだろう。

(4)「官主導から政治主導へ」のかけ声とともに実施した「事業仕分け」も国民の支持を追い風にした取り組みだった。いまや各種世論調査で鳩山政権の支持率が軒並み低落し、ついに「不支持」が「支持」を上回った。

(5)幹事長辞任を求める世論が7割前後に及んでいることについて、小沢氏は会見で「私の願いは、潔白だったという報道を続けていただき、その後に世論調査していただければ」と語った。

(6)国民の大多数は説明責任が果たされていない、とみていることを小沢氏はどう受け止めているのだろうか。

(7)政治資金の問題について、小沢氏は「公開原則を貫くのがベスト。国民が選挙の判断資料となるよう公開するのがいい」と述べた。

(8)なぜ、土地購入に使った資金の流れを隠す必要があったのか。そもそも不動産取得と政治活動がどうつながるのかも市民感覚からは理解しにくい。宜野座村にも5200平方メートルを取得したのは何のためだろうか。公開原則と言うなら、即実行してほしい。

(9)秘書ら3人が逮捕、起訴されたいま、小沢氏に使用者責任はないのか。現状での幹事長続投は納得しがたい。

(10)選挙対策で小沢氏頼みの民主党には腫れ物に触るような雰囲気があり、党の自浄能力が発揮されていない。

ここまで読んで沖縄タイムスの熱心な読者なら、上記(1)~(10)これは10日の社説を抜粋してそのまま羅列していることに気がついただろうが、タイムスの読者でない方は、これがタイムス社説だとは信じられないであろう。

 

時間に追われるネットカフェ難民ゆえ、小沢批判について、安直にタイムス社説をそのままパクらせてもらいました。悪しからず。

予約による自動更新と時折のネットカフェ利用でで連続更新をがんばっています。

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白旗の少女

2010-02-11 00:55:59 | 普天間移設

ネット未接続のため、過去記事の自動再掲です。 すでに読んだ方は飛ばしてください。

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自民党が歴史的大敗を喫したというのに、政治ネタ抜きで、連日「政治ブログ」のランキングを維持するのは少々キツイ。

そこでネタ探しにネットを彷徨っていたら、こんなのに遭遇した。

テレビ東京 「白旗の少女」

沖縄での放映は不明だが、9月30日にテレビ東京放映予定とのこと。

道理で昨日の当日記へのアクセスの検索ワードが、「白旗の少女」とその関連ワードで100件を越えていたわけだ。

納得である。

「白旗の少女」については、過去に何度かエントリーした。

この物語は、「一フィート運動」で入手した米軍の記録フィルムに写っている白旗を振って歩く少女がモデルとなっており、戦後、偏向した「平和教育」の教材として利用 されてきた。

写真では、少女の後ろに、たまたま通りかかった日本兵が歩いており、この光景を、反戦運動家達は、わずか7歳の少女を盾にして投降する 「卑怯な日本兵」というストーリーに仕立て上げた。

今回のドラマでも、ドラマだからといって、ご本人の証言を捏造したり原作とかけ離れたたストーリーには注視が必要である。

以下は一部編集した再掲です。

 

                    ◇

沖縄戦において米軍は圧倒的物量をほこり、その戦力の余裕から数多くの報道班を配備した。

彼らが撮影した多くのフィルムは冷徹に戦争の実像を記録をした。

だが、後世これらを見た沖縄の「識者」たちはそれを基に数多くの神話を捏造した。

イデオロギーまみれの「平和教育」のために。

「白旗の少女」の写真を知る者は多いが、「平和教育」のために作られた少女にまつわる神話の背景を知る者は少ない。

<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>

                   ◇

 

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” カメラ 2008年3月26日

 文部科学省は25日、2009年度から主に高校高学年で使われる教科書の検定結果を公表した。高校英語教科書には、沖縄戦で白旗を掲げて米軍に投降した「白旗の少女」と沖縄の長寿の秘密を探る「東洋の長寿の秘密」が登場する。「白旗の少女」は三友社出版で2、3年生対象、「東洋の長寿の秘密」は増進堂で3年対象のリーディングの教科書にそれぞれ05年から掲載されている。また音楽ではBEGINの「島人(しまんちゅ)ぬ宝」、寺島尚彦さんの「さとうきび畑」が登場するなど、沖縄を題材としたものが紹介されている。
 「白旗の少女」は沖縄への修学旅行生が増加し、関心が高まる中、平和問題につながる教材として05年に発行した教科書に初めて掲載され、現場教師らに好評だったことなどから今回も掲載を決めたという。
 内容は沖縄戦末期に一人戦場をさまよった少女が白旗を持って一人米軍に投降し、奇跡的に一命を取り留め、その時撮られた写真が“白旗の少女”として写真集に掲載され、少女は写真を撮ったカメラマンと43年ぶりに再会を果たした―という体験談をまとめた。(略)
 
                                             ◇

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿には心を痛める。

その中でも特に有名な白旗の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

 

「白旗の少女」は、アメリカ軍が沖縄戦を撮影したフィルムを買い取る「一フィート運動」の成果として、1984年に紹介されたフィルムに写っていた。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

 

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影したらしい。

以後「白旗の少女」の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

「白旗の少女」の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

「白旗の少女」が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』というタイトルの本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

 「白旗の少女」が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

「平和教育」のため、沖縄の「識者」の予断により歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿に衝撃を受けたのである。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは結構なことだが、それを扱う「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される例は多い。

例えば子供用の絵本として出版されたの『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、版画・儀間比呂志)には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)では、次のような文がある。

ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。

 

同書の「あとがき」には次のようなことが書かれている。

 
  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました

 
私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、もんぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 
さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は元沖縄タイムス社長で、「沖縄イニシアティブ方式」と呼ばれる卑劣な手段で沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリストである。

「沖縄イニシアティブ方式」の詳細は、雑誌『WILL』2008年8月増刊号に寄稿してあるので参照されたい。

また、版画による絵を担当した儀間比呂志氏は沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、「白旗を持った少女を盾にその後ろからついて来て、米兵に命乞いする」といった日本兵の卑劣な姿であった。

で、実際はどうであったのか。

記録映画版の映像で動画を見ると、「虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に白旗を持った少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振った」といった印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する「少女を盾にした卑劣な日本兵」という雰囲気は画面からは読み取れない。

 


 

 

1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして二年後の1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)が刊行される。

そしてその本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません
。(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

その昔、佐藤栄作が辞任会見の折に、

「テレビはしゃべったことをそのまま映すが新聞はウソを書くから記者は出て行け」

と新聞記者を会場から追い出した話しを想い出す。

 

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

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海兵隊の抑止力

2010-02-10 00:32:22 | 普天間移設

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地元某ケーブルネット会社の不誠実といおうか、やる気のない怠慢な態度を我慢して、最後の接続お願いをしたのが2月3日。 工事予定日は、追って連絡するといいながら、又しても」なしのつぶての不誠実さに、ついに解約して別のプロバイダーに新たにお願いすることにした。

お陰で接続日は2月22日頃になるとのこと。 1月中ごろから予告してあっても、業者が怠慢だったらネットの移動に一ヶ月もかかることになるわけだ。

やる気がないのなら最初から「ネット移動は面倒なのでお断り」といってくれていたら、そのぞ時点で別のプロバイダーに依頼していたのに・・・と又しても地元プロバイダのテーゲー主義に腹が立つ。   わざとネット接続を妨害しているのではないかと勘ぐりたくもなってくる。

愚痴の独り言はこれくらいにして、予約幸甚のネタが切れたので本日も久しぶりのネットカフェ難民で更新です。

以下は産経の一週間前の記事だが普天間移設に関連するので保存用に引用する。

多様化する脅威 にじむ対中配慮 米国防省QDR発表 (1/3ページ)
2010.2.2 19:55
 
 【ワシントン=佐々木類】米国防総省が1日発表した「4年ごとの国防計画見直し」(QDR)は、中国に対して、不透明な軍拡への警戒を示す一方で対話の必要性を強調し配慮をにじませる内容となった。また、サイバー攻撃や大量破壊兵器拡散などの脅威に直面しているとして、米国が冷戦崩壊後から採用してきた2つの大規模紛争に同時に対処する「二正面作戦」から、非対称戦に軸足を移すことをより明確にした。

 ■中国への配慮

 120ページに及ぶ報告書は、アジアの地域情勢で中国に関する記述に多くをさいた。

 ゲーツ国防長官は1日の記者会見で、米国による台湾への武器売却方針について、中国が軍事交流の凍結を打ち出していることに関し、「政治に左右されない軍事交流を続けたい。米中関係が冷え込んでも一過性のものとし、再び交流を深めたらいい」と述べ、機会があれば対話を続けていきたいとの考えを示した。

 米国防総省が昨年末にまとめた一次草案では、米国が直面する課題として海や空、宇宙、サイバー空間といった「世界の共有地」における中国など新興国の台頭を指摘。中国による衛星破壊実験や中国潜水艦による米空母挑発事件への対応の必要性が盛り込まれていたが、最終報告では直接的な記述が一部消えていた。

 代わって、アジア・太平洋地域のみならず、地球規模で中国が政治、軍事両面で存在感を高めていると指摘し、「軍拡の不透明性が疑念を生じさせている」と明記した。しかし、報告書はサイバー攻撃への脅威には言及したものの、米インターネット検索大手グーグルへの攻撃など具体的なケースはあげなかった。その意味で、中国の軍拡に警鐘を鳴らした2006年のQDRに比べ、同国を刺激する言い回しを極力避ける内容となった感は否めない。

                                                ◇

米国防総省が2月1日に発表した4年おきの国防見直し(QDR)を」読んで一番失望したのはおそらく鳩山首相だったと想像する。

従来のQRDは中国を仮想敵国と位置づけ、各種のシミュレーションを描いて見せていたが、「チェンジ」を合言葉に新政権を樹立したオバマ大統領に自分と同じリベラルの臭いを嗅ぎ取った鳩山首相は今回のGDR2010に米国の対中国政策への大幅な「チェンジ」を密かに期待していた。

事実オバマ大統領は鳩山首相の期待に沿うような核軍縮発言をしてノーベル平和賞まで受賞してしまった。

これで「対等な日米関係」構築が成功し、「東アジア共同体」構想もまんざら夢ではなくなり、そうなれば日米安保も見直しにより、普天間基地も沖縄に存在する必要がなくなり、県外移設にアメリカも同意してくれるものとの期待があったのだ。

ところが、今回のWDR2010も中国を仮想敵国に置く立場は従来と「アンチェンジ」で、中国の軍拡に対する懸念に満ちた内容である。

QDR発表に先立ち、台湾への近代的兵器(迎撃ミサイル)の輸出方針を決めたのは中国への脅威が依然として大きく東アジアを覆っているこに対する米国の懸念の表れである。

米国が中国を仮想敵国と捉えて以上、中台紛争は想定内であり、そうなると紛争地にいち早く駆けつける米海兵隊の最重要任務からいって沖縄に海兵隊が存在する意義はますます大きくなってくる。

2月9日の沖縄タイムスは[稲嶺名護市長就任]政府は断念を明言せよとの社説で県外移設を叫んでいるが、ヘリで移動する沖縄の海兵隊は一日で台湾に駆けつけるが、本土各地のたとえば富士界隈に移設したとしても、台湾に到着するにはヘリの走行距離と速度からいって3日かかるという。 これでは敏速性を抑止力とする海兵隊の能力は半減してしまう。

今回のGDRの発表で「5月末までは県外施設先を決定する」と豪語した鳩山首相の選択枝は、ますます狭まってきた。

考え付くのは次の三つくらいのものだろう。

(1)国防は、国の最重要な専管事項ということに目覚めた鳩山首相が目覚めて、辺野古に決定し、「民意を裏切ったせきにん」で辞任する。

(2) 迷惑料として膨大な手土産(補助金)付きで、県外の某地域に移転決定する。

(3)11月の県知事選の結果を見るまで決定を先延ばし。

上記(2)と(3)はいずれの場合も、後には問題が山積で米側が普天間に居座る可能性がある。

鳩山内閣は「対等な日米関係」を主張する割には、「国連重視」策を打ち出しながら、国内問題に多くの力を注いでいる。

対等な日米関係を主張するなら、日本独自の自衛力の増強が必要となってくる。

にもかかわらず、歴代政府は、日本の安全は米国の支援を主、自衛力を従として確保することを打ち出した「国防の基本方針」(昭和32年策定)を踏まえて防衛政策を決めてきた。

それどころか、ここ十年、中国を筆頭にした国際社会の軍事力増強の流れに反して、軍備縮小に力を入れてきた。

そんなことはありえない事とは思うが、万が一鳩山首相が「県外決着」をしたら、米国は国家間の合意を保護にされた見返りに日米安保を「片務条約」から「双務条約」へ見直すことを要求してくるだろう。

そうなると、佐藤優氏が予言するように憲法を変えることなく、集団的自衛権と自衛隊の海外派遣を法解釈で済まさざるを得なくなるであろう。

何のことはない。 沖縄タイムスのもっとも喜ぶ「県外移設」の結果が、集団的自衛権の承認、自衛隊海外派兵という最も望まない結末になろうとは、皮肉なことである。

沖縄左翼は似非左翼の佐藤優氏の扇動に乗ってしまい、大きなブーメランを自分に打ち当てたことになる。

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大田昌秀氏が撒いた「人類館」のウソ!「日本政府の沖縄差別政策」

2010-02-09 00:02:07 | 未分類
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 大田昌秀氏が撒いた「人類館」のウソ!「日本政府の沖縄差別政策」

今年は薩摩が1609年に琉球王国を侵略・支配してから400年、明治政府が琉球処分(廃藩置県)してから130年の節目の年ということで左翼反日団体や、沖縄二紙が「日本が沖縄に差別政策を取って来た」という主旨の大キャンペーンを行っている。

明治政府が沖縄に対して行ったとされる差別政策の象徴として「人類館」が幾度となく沖縄紙で取り上げられてきたが、これが真っ赤なウソの情報であることを昨日のエントリーで述べた。

「ウソも百遍くり返せば事実になってしまう」とはレーニンが言ったらしいが、沖縄紙が流布させたウソに「集団自決軍命説」があるが、「人類館」のウソは一体誰が流布させたのか。

その前に「人類館」のウソを復習するとこうなる。

1903年(明治36年)、大阪で行われた勧業博覧会で「人類館」と称して沖縄人を見世物にし、これを知った沖縄県人が怒りの抗議をし、取りやめになったといういわゆる「人類館事件」のことだが、次の二つの事実が伏せられたウソが流布しているのである。

(1)沖縄県人が怒ったのは、沖縄人がアイヌ人や台湾人のような「野蛮な人種」と同列に陳列されたこと。(沖縄も差別の加害者)

(2)「人類館」は明治政府の博覧会のプログラムには載っておらず、会場の外に設けられた一業者の企画であったこと。

これらの事実を故意に隠蔽し新聞が流布させウソとは、明治政府が博覧会という国営事業で「沖縄人を差別した」というウソの情報である。

では、この「人類館のウソ」を最初に流布させたのは一体誰だったのか。

その犯人が大田昌秀元沖縄県知事であることを知る者は少ないが、それを暴いた人物が同じ姓を持つ太田良博氏であることを知る者はさらに少ないであろう。

太田良博氏といえば、「デマの暴風」と皮肉られる『鉄の暴風』の著者であり、自身が「集団自決」のウソを流布された張本人であることは実に皮肉なめぐり合わせである。

昭和54年4月30日発行の雑誌『青い海』に、太田良博氏は「『人類館』の真相」と題する11ページにも及ぶ論文を寄稿し、そこで大田昌秀氏がねつ造した「人類館」のウソを赤裸々に暴いて見せている。

太田良博氏によれば、沖縄県民に「差別と偏見」の怨念を植え込んだ「人類館」のウソは大田昌秀著『醜い日本人』にその端を発し、他の人やメディアが「人類館」を取り上げる場合もほとんどが大田昌秀氏の著書を引用或いはその孫引きであるという。

「人類館」について報じている当時の琉球新報の記事を、太田良博氏の文から孫引きすると、『醜い日本人』は、次のように説明している。

大阪で第五回勧業博覧会が催されたさいのこと、学術人類館の会場には、映画のセットよろしく茅葺小屋がしつらえられ、中には二人の沖縄婦人が“陳列され”、説明者が「此奴は、此奴は」とムチでで指しながら動物の見世物さながらに沖縄の生活様式とかを説明していた。 これを見て憤慨した県人の一人が“琉球新報”に投書し、生活様式を紹介するというのなら他に良策もあろうに、娼妓を連れてきて、“琉球の貴婦人”だと言っている。 また人類学研究のためというならあらゆる人種を集めるべきはずなのにそうはしていない。 現に浪速にも歯を染め眉をそった婦人がいるのに陳列していないではないか、と怒りをぶちまけた。 同紙は、すぐ“同胞に対する侮辱”と題する社説をかかげ、学術人類館とは名ばかりで、世人の好奇心に投ずる見世物的陳列に他ならないと論難した。(明治36年4月27日付け)》

 

「人類館」事件は明治期の歴史として、事実あった出来事ではあったが、それが、国家的行事である「大阪勧業博覧会」とは何の関係もない一興行師が、金儲けのため行った興行であった。

この「人類館」事件に目をつけたのが、「沖縄は日本の差別と偏見の被害者である」という反日イデオロギーで凝り固まった思想の大田昌秀氏であり、「人類館」事件をウソで塗り固めて流布させたのが氏の著書『醜い日本人』だということができる。

沖縄で「沖縄が差別された」という類の本がが沖縄の学者により発表されると何の検証もなく地元紙が此れを大々的に取り上げ、一旦地元紙の活字となるとこれが「定説」となっていくのが通例である。

そして、いつしかウソも真実として「定説化」していく情報のロンダリングが行われることになる。

これも『鉄の暴風』のウソの「定説化」と同じ構図である。

大田昌秀氏の『醜い日本人』は、その紹介文に「偏見と無知、驕れる姿勢を告発した痛憤の書」とあるように、

全編に大田氏の屈折した被害者意識が滲む「反日」の書であるが、それを象徴するような次のようなくだりがある。

この事件はきわめて象徴的なものだが、こうした論評が通用するところに、日本人の陰湿な差別と偏見の問題の根深さがある。 すなわち、人間を見世物にして恥じない事態は、封建的残照が濃厚だった明治時代だけのことではなく、民主憲法下の戦後においても堂々と再現されたからである。》

このように大田氏は自分がでっち上げた「日本国家の沖縄差別」というウソに悲憤慷慨して見せている。 文はさらに「アナタハンの事件」にまで話を拡大しているが、これについてはここでは省略する。

大田昌秀氏は、当時の大きな催し物には必ず付いて回る興行師の見世物小屋の類である「人類館」を、明治政府が沖縄差別政策のため行った国家的事業であるかのようにすり替えて自分の「反日」イデオロギーに県民を巻き込んでいるのである。

この「人類館」という興行に対しては、当時の周辺の一般国民も顔をそむけ、批判している。

これを報じる当時の新聞の論調も、警察や一般の反応もこれを行った吉田某という興行師に対して批判しており、この興行自体は大失敗だったという。

このような特殊な事件をあたかも日本の沖縄に対して行った差別政策として、県人の「反日感情」を煽った太田氏の罪は限りなく深い。

また太田氏のウソの情報を何の検証もなく、「日本の沖縄差別」の象徴として現在でも平気で垂れ流している沖縄二紙の罪はさらに深い。

ちなみに「人類館」に琉球貴婦人として「出演した」二人の沖縄人は辻の遊女であり、「出演料」(日当)は一日一円で、前金として200円が興行師から渡されており、大阪では気ままに大阪市内見学もできるとのことであった。 

日当は当時の沖縄人にとっては破格の給金であり、現在と違って当時大都会である大阪に行けるということだけで、「人類館」への出演は遊女達にとっては夢のような出来事であったことは想像に難くない。

(続くー気が向いたら)

                    

                     ◆

FreeJapan.TV
緊急拡散


外国人への参政権で国滅ぶ

国籍法の緊急拡散、あれから一年の歳月が経ちました。

なんと民主党は 国籍法よりも更に酷い、不法滞在外国人に日本の選挙権をあげる(外国人参政権付与)法案を進めようとしています!

日本が外国人に乗っ取られかねない法案ですので、動画で緊急拡散しFAX・手紙にて意思表示し断固阻止しましょう!

詳しくは「FreeJapan.TV(リンク)」でご確認お願いします。

         

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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「人類館」、恨み辛みの歴史観

2010-02-08 00:56:01 | 未分類
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「人類館」、恨み辛みの歴史観

昨夜、飲み会があった。

某全国紙の記者、沖縄の某大学教授、沖縄の某作家そして筆者の四人で、泡盛を酌み交わしながら夫々が持つ「沖縄への思い」を熱く語りあった。

時には声を荒げることもあったが、実に楽しく刺激的な秋の夜のひと時を過ごすことができた。

そのときの話題で最も熱が入ったのが「沖縄差別」であった。

今年が薩摩の琉球侵攻400年に当たるということで、沖縄タイムスが毎週月曜日に長期連載の特集記事を現在も継続中だが、ちなみに今週の月曜日(23日)の特集の見出しはこれ。

強いられた日本語転換

言語風俗の日本化

前回も書いたが特集に一貫して流れる論調は「平和な琉球王国が武力で日本に侵略された、無理やり日本化された」という侵略と差別の歴史観である。

その象徴として沖縄紙が頻繁に取り上げるのが「人類館」である。

琉球新報コラムが又しても恨み節のコラムを書いた。

金口木舌 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。
                                           

「ニタカマンタ」という沖縄の方言が、「似たもの同志」を表すと知るものは、最近では沖縄人でも少ない。

狼魔人流・沖縄語講座 「ニタカマンタ」は「割れ鍋に綴じ蓋」

「類は友を呼ぶ」というように同種類のものが群れるのは人間の性(さが)だが、動物一般にこの本能はあり、それが種の絶滅を防いでいるともいえる。

同じ人間でありながら見た目や、言語、生活習慣の違いで同じ種である人間同士が差別しあうのは、人間が心の奥底に持つ業のようなものである。

人間の歴史をひも解くと、ある意味差別の歴史だといえなくもない。 

人間は学習による知恵により、この人間が持つ業を遅々ではあるが克服してきた。

日本でも明治期まで、士農工商と職業、出自による差別はあったが、それはまだしも、人間以下のエタ、と称する差別制度があったことは島崎藤村の『破戒』にも描かれている。

まったくいわれのない日本古来の差別の風習に、明治政府は先ず身分制度を廃し四民平等とし、

エタ、の差別呼称を禁じ、「」として差別の解消をはかった。

ところが明治政府の差別解消策は「」という新しい被差別民を作ったに過ぎなかった。

差別が真剣に取りざたされるようになるのは、皮肉にもマッカーサーが与えた新憲法に人権が重要な権利としてうたわれてからである。

これまで差別されたいわゆる「民」たちが、差別反対運動を起こし、それなりの成果をあげた。

その一方、一部の運動が行き過ぎて国民の中に差別意識が薄くなって来たにも関わらず、

ことさらに「差別だ!」と声高に叫び、「逆差別」の「既得権」享受し、

意図せず使った言葉の言葉尻を捉えて「言葉狩り」をする過激な「被差別者」の団体があることは周知の通り。

日露戦争の2年前、今から百年以上前のこと、大阪で行われた博覧会の出し物に「沖縄人差別があった」と現在も声高に叫ぶ勢力がいる。

差別を声高に叫ぶ人間が、実は差別主義者である場合が多い。
 
「差別された」と叫ぶ人間が実は「差別主義」という矛盾。
 
差別とはいわば己を映す合わせ鏡のようなものである。
 
沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーと差別的意味合いを込めて呼ぶ。
 
最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。
 
差別は離島や北部、南部に止まらず、沖縄の都市地域にもあった。
 
那覇出身の民俗学者・伊波普猷は琉球王府のある首里(現在は那覇の一部)にあった県立一中(現在の首里高校)に進学のため寮生活をしたが 、
 
そのとき衣服や言葉使いが「首里風」でなかったため差別を受け苦労したとその著書で書いている。
 
■「人類館」にまつわる沖縄紙のウソ

沖縄差別の歴史を風刺/「人類館」30年ぶり東京公演【12月17日】
 【東京】演劇集団「創造」による「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂大講堂であった。同演劇集団の東京初演(1978年)からちょうど30年ぶり、一夜限りの公演に、学内外から1000人が詰め掛け、沖縄が差別を受け続けた歴史を風刺した劇に見入った。
 一九〇三年に大阪天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会で沖縄、アイヌ、朝鮮、インドなどの人々が民族衣装姿で見せ物として陳列された、いわゆる「人類館事件」を題材にした喜劇。
 三人の役者が場面ごとに役を変え、沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり、戦後の米軍占領下で抑圧されたりした沖縄の人々への差別の歴史、人間の中に潜む差別の意識を一つ一つ巧みに演じきった。(略)
                                         

ラジオ、テレビもなく現在とは比べられないほど情報が少なかった100年以上前のこととはいえ、明治政府が実際にこの『人類館』が行ったような差別政策を取っていたとしたら、沖縄人として不愉快に感じる出来事である。
 
だが、明治政府は実際に沖縄人にこのような差別政策を取っていたのか。
 
否である。
 
この「人類館事件」が沖縄県民の間に知られるようになるのは、米軍占領下で「祖国復帰運動」が盛んだった頃ではなく、
 
復帰後沖縄左翼が「反日」に運動を変換し始めた頃である。
 
日本の左翼が沖縄に根付き始めた頃の1976年、沖縄生まれの知念正真氏が書いた戯曲「人類館」を契機に沖縄人の間にもこの「人類館事件」知られるようになる。
 
復帰4年後に沖縄人によって作られた戯曲「人類館」は、作者の日本に対する怨念が凝縮された作品であるが、
 
ここで注意すべきは「人類館事件」という歴史的事実と、沖縄紙が騒ぐ戯曲「人類館」には二つの大きな違いがある。
 
いや、もっと直裁にいえば、戯曲「人類館」も沖縄紙も「人類館事件」の「不都合な事実」には、決して触れてはいないということである。
 
沖縄紙は戯曲「人類館」に関して意識的に二つの事実を隠蔽している。
 
「人類館事件」で、当時の沖縄県民が怒ったのは、単に差別されたからではなく、

「人類館」にて、台湾の生蕃と北海のアイヌと同列に展示されたことが沖縄県人を侮辱したというのである。

当時の『琉球新報』(4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷が

学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや(ウィキペディア)

このように悲憤慷慨して、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。

当時の沖縄の代表的知識人であり、琉球新報社長も勤めた太田朝敷の論説が、このように差別的要素を含んでいたのだ。

まさに沖縄人にとって「差別」とは己が持つ差別性を映しだす鏡であったのだ。

もう一つ、戯曲「人類館」と沖縄紙が隠蔽する事実は、「人類館」が、博覧会場の中に設置されたように報道されているが、実際はそうではなく、博覧会に便乗して会場外で開かれていたイベントの「場外パビリオン」で行われていた。(『沖縄文学選』)

あたかも当時の明治政府が沖縄差別政策を行うため、自ら「人類館」を設営したかのように報じられているが実際はそうではなかったのだ。

「人類館」が、政府行事への便乗商売をした業者の商行為だったことは「利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり」という怒りのこっとばでも伺える。

今年に入ってから急に「人類館」の話題が沖縄のマスコミを賑わすようになったが、いずれの論調も「日本が沖縄に行った差別政策」であるという反日の怨念に満ちており、
 
沖縄タイムスの記事などは
 
沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり
 
と、100年以上も前に、便乗商売をもくろんだ一業者の行いを、強引に「悪逆非道の日本」、さらには「集団自決」にまでも結び付けている。
 
沖縄タイムスよ、いくらなんでも少し強引過ぎはしないか。
 
それとも誇大妄想の病にでも陥ったのか。
 
いやいや、来るべき「集団自決訴訟」の最高裁判決に備え、「悪逆非道の日本軍」の印象操作に「人類館」を利用しようと言うのだろう。
 
さもなくば、100年前の一業者が行った便乗商法が、明治政府の沖縄差別政策に繋がり、
 
遂には「集団自決」に結びつくはずもない。
                   
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続・ウイグルと沖縄 歴史の見方(改訂版

2010-02-07 04:42:58 | 未分類

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続・ウイグルと沖縄 歴史の見方(改訂版)

今朝の沖縄タイムスは、「ウイグル騒乱」について「ボタンの掛け違いによるものだから、中国政府は不満解消に包容力をしめせ」とトンチンカンな社説を書いている。

タイムスは胡 錦濤が若くして中国のトップにのし上がった理由をご存じないようだ。

一方、チベット弾圧やウイグル弾圧と、日本の沖縄に対する政策とを同列に扱う反日主義者がいるようだが、元沖縄の教師のトラネコさんがその愚かな思考を一刀両断しています。

以下引用

歴史の見方(改訂版) 2008年11月27日

過日ある酒席で50代後半の男性と同席した。
仮にA氏と呼ぶ。
A氏とのいろんな話の中でこんな話が出た。

沖縄と日本政府」との関係は「チベットと中国政府」の関係に酷似しているというのだ。
つまりチベットは中国に侵略された。
沖縄もかつて江戸時代初期の薩摩藩、明治時代には琉球処分によって、
日本政府の「侵略」を受けた。
チベットへは中国政府がインフラ整備し鉄道を通し豊かにしたが、
言語を奪い、歴史文化やチベット文化を破壊した。
沖縄も日本政府がインフラ整備し経済投資して本土並みに豊かにしたが、
本土との通信、交通が活発化するほどウチナー文化が失われていった。
だから「日本における沖縄」は「中国におけるチベット」だというのだ。

その場は酒宴でもあるし、ほかにも人がいるので場の雰囲気を壊してはいけないので、
あえて私は反論せずに黙って聞いていた。
しかし内心では、なんと短絡的で浅薄な発想なのだろうと私は思った。
A氏は教養もあり、温厚誠実で、ある意味立派な紳士である。
しかしこのような人物でも、ある種の屈折した歴史観を持っているのに驚いた。

本当に沖縄とチベットの状況は酷似しているのだろうか?

まず事実関係だけを客観的に見ると、チベットも沖縄も元独立国家であった。
それを強国の「侵略」によって国家消滅させられ、国家併呑されたのは事実である。

しかしその事実の歴史的背景や国際情勢を付加して分析すると、
決して沖縄とチベットが同列に論じられることは成立しない。
そのことを見ていく。


「沖縄侵略」の薩摩藩は17世紀、明治新政府の時代は19世紀で、
この時代は西洋列強の植民地主義、帝国主義の時代である。
世界中が弱肉強食の論理で動いていた時代である。
地政学的な位置にあって軍事力の脆弱な国家、地域は強国に呑まれる時代であった。
沖縄(琉球王国)は薩摩侵略の1609年以降薩摩の「傀儡国家」として存続し、
1879年の廃藩置県で王国が消滅し、沖縄県として日本に組み込まれた。
しかしこれはあくまで日本への併合であり植民地政策ではなかった。
このことは後の台湾や朝鮮半島政策とも同様である。

植民地とは宗主国の一方的搾取と奴隷的待遇におかれるということである。
併合とは併合主体国と同じ政策や恩恵を国家に保障されるということである。

チベットは第二次大戦後の民族自決の時代に、
列強の植民地が次々独立していったころに中国共産党の軍事介入で侵略された。
そしてそのときおびただしい寺院や文化財が破壊され、大量虐殺が起こった。
そして現在に至るも中国共産党によるチベット人絶滅政策は続いている。

チベットでは漢民族の政策的移住が国家によって推進され、
チベット人は仕事を奪われ、行政には殆ど漢人が独占し、
主要な産業、企業もチベット人は就職できない。
無論チベット人は中央官庁など絶対に就職できない。
漢人支配による徹底的な民族差別を国家政策で強行している。
しかも子孫を作らせない為、若い婦女子は共産党によって、
強制的に上海などの経済発展した東沿岸部に連行され、
そこで就職させられ、現地の漢族男性と結婚させられている。
これも民族浄化の国家政策である。

中国政府が青蔵鉄道を敷いたのは、チベットの発展に貢献する目的ではない。
チベットの豊富なレアメタルや地下資源を運び出すためと、
対インド戦略の要所として、チベットの氾濫を速やかに鎮圧できるように、
人民解放軍派遣を迅速に行う目的である。

一方沖縄はどうであったか。

明治維新のころ沖縄は既に薩摩藩の支配下の琉球王国であった。
これは薩摩の経済的支配であり、植民地支配であるといえる。
しかし明治政府の場合だが、日本への帰属を拒否した琉球支配者層を警察権力で
強制的に押さえ込んで「併合」したことは事実であるが、決してチベットのような
民族大虐殺や文化財の徹底した破壊行為などはなかった。

しかも何度も書くがこの時代は帝国主義の時代である。
軍備の脆弱な小国、しかも地政学的重要性のある地域では、
確実に大国に呑み込まれることが常識の時代であった。
琉球王国は弱小国家であった故に薩摩に侵略されたのだ。

この点はチベットも同じである。
仏教を信じてひたすら仏に祈っておれば、国家は安泰であり、
軍事は殺生に通じてよくないことだといった無関心さが、
中国軍にあっという間に蹂躙されてしまったのだ。
日本の「憲法真理教」信者と同じである。

「もし沖縄が中国に帰属していたら?」言う程度の想像力は働かせたいものである。
これについては「幻の沖縄独立論」でエントリしたとおりである。

明治時代の富国強兵政策のなかで、方言抹殺
という「文化破壊」をされたとA氏は言う。

しかし当時徴兵制のあった時代、
軍隊での命令伝達系統を円滑化する目標もあり、
東北でも九州でも日本全国方言を使っていた地域は、
国語教育で日本語の標準化が進められたのであって、
沖縄だけが特別方言抹殺というわけではなかった。

ただ沖縄の場合は方言というより琉球言語といえるほど、
日本本土よりも言葉自体が歴史的推移の変化に追随していなかったため、
また音韻変化が著しいために、言語の標準化が本土より強制的であった面はある。

しかし先にも述べたように、この時代は帝国主義の時代であり、
日本が列強の植民地にならない為の急務の国家課題であり、
そのためにはどこかに軋轢や不幸が生じるのは、止むを得ない措置であった。

また現在でもウチナー口(沖縄方言)が衰退しているのは事実だが、
これは沖縄だけでなく、方言衰退は全国的な現象である。
それは交通、通信、流通などの発展に伴なって起きてくる普遍的現象である。

逆に全国各地の地域の郷土芸能なども、
年々後継者不足で保存会が苦慮している中において、
むしろ沖縄は市民レベルで普遍的に継承され愛されでいる点では、
全国的にも地域文化の保存度は高いほうだと思う。
むしろこれは誇れる文化であると思う。
しかも国立郷土劇場は沖縄文化の保存、育成に国が建てたものである。
決してチベットのような文化破壊を国政が行っているわけではない。


また私の悪い癖である話の脱線である。

朝鮮半島政策でも日本は朝鮮民族の文化保存に尽力した。
現在の韓国は「日帝の七奪」と言って、日本は朝鮮文化を破壊したという。
しかし朝鮮総督府ハングルの普及に努めている。
現在ハングル文字が朝鮮半島に普及したのは日本のお陰である。
そもそもハングル文字は第十五代朝鮮王によって使用禁止された文字である。
朝鮮教育令では朝鮮語は必修とされ、初の朝鮮語辞典も作られた。
朝鮮語辞典など朝鮮の歴史上初めてのものである。

1897年日本の小倉昇平氏がソウル語を標準語として、
漢字・ハングル混じりの文章を体系化した。つまり日本語の平仮名的使用である。
朝鮮語、ハングル学史」で漢文教育主体で90%以上が文字の読めない朝鮮人達を教育するために使いだした。
1913年に本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によりハングル教育が始まり、朝鮮半島に教育が出来る様に成った。

現在韓国、北朝鮮に言語教育が普及し国民が読み書き出るようになったのは、
日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものだ。

これは何度強調してもし過ぎることはない。

創始改名20パーセント近くの人が行っていないし、
日本帝国陸軍の将軍や国会議員朝鮮名で堂々と名乗った朝鮮人もいる。
現在の在日が日本人名で犯罪を犯し、本名を隠しているのと大違いである。
日本語の強制は朝鮮半島が日本に併合されたのだから、
日本語教育は当然であり、それ奨励されるべきである。
にもかかわらず、日本政府がいかに朝鮮人ですら出来なかった、
朝鮮文化の保存と普及をしたかが良くわかる。

現いかに嘘八百の歴史を教えているかがわかるだろう。
真面目に救いようのない○○民族である。

話を戻す。

政府の沖縄への投資についてである。
私の私淑する沖縄の保守論客である恵隆之介氏によれば、
廃藩置県以降の明治政府の沖縄政策は、莫大な国費の投資があったそうだ。
沖縄の本土復帰以降2000年まで10兆4千億円もの巨費を政府は沖縄に投じている。
また戦後の米軍統治下でも、米兵の悲惨な事件や被害は声高に叫ばれるが、
米軍が沖縄に建設した各県立病院、看護学校、琉球大学、県立博物館、幹線道路などは、教育でも報道でも殆どの県民に知らされない。
マスゴミと教職員組合は「アメリカ帝国主義」からの恩恵は極力隠しておきたいのだ。

チベットでは中国の侵略以降人口が激減し、120万人が虐殺され、
現在600万人のチベット人に対し、750万人の漢人がチベット内にいる。
チベットのように中国政府(=共産党)の国策で弾圧と搾取と民族浄化
現在も進行中であり、しかも北京五輪前にそのことが世界中から非難された事も記憶に新しい。

沖縄県の人口は沖縄戦で10万人の死者を出して昭和20年で51万人だったが、
昭和49年には100万人突破し、現在では132万人に伸びている。
まさに半世紀で二倍以上の人口増加である。


こうしてみてきただけでも、チベットと沖縄が決して同列に論じられないことは
誰の目にも明らかである。
表面的な現象面だけ見て沖縄とチベットを同列に扱う感覚には、
まったく世界情勢、時代背景、国家体制、植民地政策
などの観点がすっぽり抜け落ちているのである。


前にも書いたが歴史を見る目は多角的視点が必要である。
表面的な現象面だけの視点では大変な誤解を招く。
私は自虐史観も嫌いだが、卑屈な被害者史観も嫌いである。
根拠のまったくないウリナラ史観(何でもかんでもわが国最高)も嫌いである。
これらに共通するものはいかに自国民は無能で脆弱であったかというパラドックスであり、民族の虚弱メンタリティーの表れである。

歴史的事実もどの様な観点で見るかによっても、
その解釈は様々であるといえる。
我々は出来るだけ幅広い視野で歴史の事実を見ていきたいものである。
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小沢氏、事実上の起訴!

2010-02-07 00:58:35 | 県知事選

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引越しによるネットの中断を極力避けるべく、プロバイダー会社には1月の中頃から移転予定日を連絡してあったのだが、10年以上も利用している地元ケーブルネット会社の職務怠慢により、本日現在(2月6日)、ネット中断の有様。

万が一を予測して、旧エントリーを自働更新状態にして形だけは毎日更新していますが、読者の皆さまには御迷惑をおかけしている事を御詫びいたします。

今宜野湾市のネットカフェでキーボードに向かっていますが、それにしても地元ケーブルネット会社の不誠実な対応には腹の虫が治まりません。

腹の虫はおさまるどころか、小沢不起訴とそれに対する民主党議員の大政翼賛会的対応に、ますます怒りの声を発しているようです。

                          ◇

引越しのドサクサの間に朝青龍が以前から問題視されていた「横綱の品格」を問われ引退したのは朝青龍ファンとしては残念だが、

今回の場合一般市民への暴力沙汰とあればやむを得ないとここでは深くは触れない。

だが、これに比べて「政治家の品格は」はいったいどんなものか。

国民の前に「品格がある」何の恥ずかしい気も無く宣言できるか。

自ら立法に関わった法律の抜け穴をかいくぐっておきながら、

法に触れないからと豪語し巨大与党の幹事長に居座り続ける人物に「政治家の品格」が少しでもあるといえるのか。 

また法律さえ犯さなければ、国民から預かった血税を「着服」しても、なんらやましいことはないといえるのか。

政党を解散させる度にまるで焼け太りのように23億もの国民の税金を懐に入れ、私塾や、政治金にプールしているといわれているが、本当にこの錬金術にやましいところがなければ国会の証人喚問いや、少なくとも参考人質疑にはべきではないのか。

問題になっている不動産取得の原資は、国民の血税とは全く別の自己資金と検察で主張したと聞くが、もしそれが事実なら小沢氏自ら進んででも国会で国民に説明すべきではないのか。

小沢氏の不起訴「不服」 市民団体、検察審に申し立てへ2010年2月5日5時0分

 陸山会の土地取引事件で、小沢氏本人を政治資金規正法違反(虚偽記載など)の容疑で刑事告発していた市民団体は4日、朝日新聞の取材に対し、不起訴処分を不服として検察審査会に審査の申し立てをする方針を明らかにした。審査会が2度「起訴すべきだ」と議決すれば、小沢氏は強制的に起訴されることになる。

 事件をめぐっては1月、行政書士や元新聞記者らでつくる東京都内の市民団体が、特捜部に告発状を提出していた。

 市民団体から申し立てがあれば、審査会は事件を審査。起訴して裁判にかけるべきだと判断すれば「起訴相当」の議決を出す。特捜部は再捜査し、原則3カ月以内に起訴するかどうかを判断。起訴しなかった場合は審査会は自動的に審査に入り、あらためて「起訴議決」をすると小沢氏は強制的に起訴される。その際は裁判所が指定する弁護士が検察官に代わり、起訴したり公判で立証したりする。

 政治家の政治資金規正法違反事件を審査した元検察審査員によると、「政治家の調書などを読み込んでいると、審査会のような限られた場でなく、公開の法廷で裁判官に判断してもらってはどうか、という気持ちになる」という。

 「政治家から十分な話が聞けているか」「他の関係者の調書や物証と矛盾がないか」が審査のポイントで、このままの証拠で有罪判決が得られそうだと思えば「起訴相当」を選ぶという。

 兵庫県明石市で2001年にあった歩道橋事故では、神戸地検が不起訴処分とした明石署の元副署長に対して「起訴すべきだ」と議決。強制的に起訴する初めてのケースとなった。
  
 陸山会の土地取引事件で、小沢氏本人を政治資金規正法違反(虚偽記載など)の容疑で刑事告発していた市民団体は4日、朝日新聞の取材に対し、不起訴処分を不服として検察審査会に審査の申し立てをする方針を明らかにした。審査会が2度「起訴すべきだ」と議決すれば、小沢氏は強制的に起訴されることになる

 事件をめぐっては1月、行政書士や元新聞記者らでつくる東京都内の市民団体が、特捜部に告発状を提出していた。

 市民団体から申し立てがあれば、審査会は事件を審査。起訴して裁判にかけるべきだと判断すれば「起訴相当」の議決を出す。特捜部は再捜査し、原則3カ月以内に起訴するかどうかを判断。起訴しなかった場合は審査会は自動的に審査に入り、あらためて「起訴議決」をすると小沢氏は強制的に起訴される。その際は裁判所が指定する弁護士が検察官に代わり、起訴したり公判で立証したりする。

 政治家の政治資金規正法違反事件を審査した元検察審査員によると、「政治家の調書などを読み込んでいると、審査会のような限られた場でなく、公開の法廷で裁判官に判断してもらってはどうか、という気持ちになる」という。

 「政治家から十分な話が聞けているか」「他の関係者の調書や物証と矛盾がないか」が審査のポイントで、このままの証拠で有罪判決が得られそうだと思えば「起訴相当」を選ぶという。

 兵庫県明石市で2001年にあった歩道橋事故では、神戸地検が不起訴処分とした明石署の元副署長に対して「起訴すべきだ」と議決。強制的に起訴する初めてのケースとなった。
                          ◇

当然今回のケースも仮に検察審議会が一度不起訴相当と判断しても、再度不服申し立てをするであろうから、事実上小沢氏は」起訴されることになったわけだ。

起訴の経緯はともかく、与党の幹事長の起訴が決定すれば、幹事長辞任は不可避だろうし、小沢氏を任命した鳩山首相の任命責任も免れないだろう。

この期に及んでも民主党内部に小沢降ろしの声が沸いてこないところを見ると、民主党に自浄能力は全く存在しないことがわかる。

だとしたら国民の力で「小鳩内閣」に引導を渡す以外に日本の政治を救う手はないのだろう。

それには検察審査会に声援を送って一回の不服申し立てで起訴相当にしてもらうことが当面の最も有効な手段であろう。

このまま「小沢ー鳩山体制」が何事もなかったかのように続くとしたら、それは国民が「小沢独裁政治」を承認したことおなじことである。

 

日本をヒトラードイツの二の舞の国したくないため、ネットカフェの狭いスペースで、キーボードを叩いている筆者に応援する方、

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なお、ただいま2月6日15:50ですが、予約で7日の午前0時過ぎの自働更新に設定しておきます。

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ウイグルと沖縄

2010-02-06 00:36:24 | 未分類

 

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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■ウイグルの民族弾圧と沖縄政策を同一視する愚■

今年は1609年の「薩摩侵攻」以来400周年ということで、沖縄タイムスを先頭にした沖縄マスコミは「薩摩の琉球侵略」と「琉球処分」を日本民族の琉球民族に対する侵略だと捉える大キャンペーンを張っている。

日本に対する「被害者意識」を煽るようなこのキャンペーンは、沖縄タイムスの場合毎週月曜日に沖縄県内外の学者・研究者を総動員した「薩摩侵攻400年特集」として現在も連載中である。

明治期の「廃藩置県」も明治政府による強引な琉球民族への侵略であると捉える「被害者史観」は、

一部の活動家による「琉球民族は先住民として認定せよ」という国連への働きかけにまで進展している。

不思議なことに、これら活動家は根っこのところで「反日」を謳う在日、、左翼アイヌと結びついており、一様に「日本が過去に行った少数民族への弾圧」を激しく糾弾する。 

かれらを連帯させる接着剤の役目をはたすのが、「差別」であり、日本では誰も相手にされないセネガルのドゥドゥ・ディエンなる「差別オヤジ」を沖縄に招聘して、講演会をさせ「沖縄は差別された島」と認定させてしまった。 

この国連ブランドを使って日本全国行脚する「差別オヤジ」にかかると、目に映るものは全て差別に見えるらしく、米軍基地も(日本による)差別であり、朝鮮人の違法滞在を告発するのも差別だという。

基地は差別か ドゥドゥ・ディエンって何モノ?

チュチェ思想の武者小路公秀とドゥドゥ・ディエン

⇒市民外交センター(http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/2006SGC.pdf 

彼らがもう一つ根っこで繋がるの「集団自決問題」における「悪逆非道の日本軍」で象徴される「反日思想」である。

折りしも7月に入ってからの「ウイグル騒動」が世界の批判を受けているが、

何にでも便乗するのがお得意の「売れない某評論家センセ」までが、ウイグル騒動は日本のアイヌ・琉球民族への民族弾圧と同じだと叫び出しているのには開いた口が塞がらない。

この議論で民族弾圧とか民族浄化、民族抹殺というおぞましい言葉が出てくるが、民族関連の言葉を思いつくままに書き並べるとこうなる。

民族対立、民族弾圧、民族浄化、民族抹殺、民族同化、民族融和、・・・・そしてジェノサイド。

民族抹殺というとヒトラーの顔が思い浮かぶし、民族浄化というとコソボ紛争のミロシェヴィッチが思い浮かぶ。

だが現在進行形のウイグル、、チベットで行われている民族弾圧や民族浄化を明治政府が沖縄に行った政策とを同列で論じる人の脳ミソこそ、どうなっているのか興味のあるところである。

はたして上記に並べたどの文言が、明治政府が沖縄に行った政策で連想されるか。 何も思い浮かばないのが普通の人の思考だが、敢えて選べと迫られたら民族同化あるいは民族融和くらいのものだろう。

但し琉球王国時代、王府の取り巻きの一部特権化階級たちがかつての特権を取り上げられたのを逆恨みして「差別だ」とか言ったことは想像できる。 

現に一部の特権階級は明治政府の統治を嫌って中国(清)に亡命している。(彼ら琉球王国はら清への亡命者を脱清人といった。)

武士階級の特権を明治政府に取り上げられ、桜島の噴火を見ながら怒り狂ったといわれる島津久光のような例は全国いたるところで起きた。

廃藩置県を琉球処分と捉える被害史観は歴史の視点を権力側である王府側から見た史観であり、その同じ史観で薩摩をみれば「薩摩処分」という歴史観も成り立つ。

そこで「琉球処分」とは、庶民の視点から見れば

琉球王府処分」だという歴史観が有力になってくる。

 

「ウイグル騒動」で新鮮な情報を流しているメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(第2659号平成21年(2009年)7月12日号)から引用記事です。(太字強調は引用者)

◆以下引用

駐屯の特殊兵団は百万人に

 新彊ウィグル自治区に駐屯の特殊兵団は百万人に増えていた
  王楽泉・書記は更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価

**************************

中国共産党の遣り方は世界の常識の百八十度、反対側にある。

血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である

さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名

犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。

この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。

世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。

またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。

ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)

蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。

さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。

正式名称は「新彊生産建設兵団」という。


 ▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除

既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には50万人といわれた。

簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。

だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。

『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。

この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。

現有は14個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。

100万人と推定される構成員の89%が漢族だという

同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。

ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、折からの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。

もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。

しかし16年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
 

◆引用終了

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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琉球民族は哀れな先住民か

2010-02-05 00:34:46 | 未分類
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                 ◇

 琉球民族は哀れな先住民か

チベットへの「中国の同化政策」とアイヌへの「日本の同化政策」は、同じ問題であるとご高説を垂れる「売れない評論家」センセがいるらしいが、

昨年の国連勧告に従えば「アイヌ民族も琉球民族も先住民族と認定せよ」というわけだから、チベットの民族浄化と沖縄県人の他県人との結婚も「民族浄化」として同じ土俵で論じなければならないことになる。

バカバカしい。

昨年友人間のプライベートサイトでこの問題で交したメールを想い出したので以下に引用する。

沖縄タイムス 2008年11月01日

国連「琉球民族は先住民」/人権委認定

文化保護策を日本に勧告
 【東京】国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表した。

 同委員会の対日審査は一九九八年以来、十年ぶりで、人種差別・マイノリティーの権利として「琉球民族」が明記されるのは初めて。 勧告では、「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ」と求めている。

 国内の人種差別問題などで同委員会の委員らに働き掛けてきた反差別国際運動日本委員会は「日本政府はこれを重く受け止めて、国際人権基準に合致した履行に努めることが求められる」と評価した。

 同勧告をめぐっては、沖縄市民情報センター(喜久里康子代表)なども同委員会に琉球・沖縄に関する報告書を提出していた。

                   ◇

◆<皆さんへ

11月1日のタイムス朝刊に、「琉球民族は先住民」の記事が載っている。

国連のB規約人権委員会が日本政府に勧告するものである。「日本政府は、国内立法下においてアイヌ民族および琉球民族を先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること。」と勧告している。先住民族に認定されたのは、琉球民族とアイヌ民族である。勧告では、さらに「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子供たちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ。」としている。詳細は、上記「琉球民族は先住民」を参照されたい。この勧告を如何受け止めるか、諸兄の意見を聞きたい。 N>

◆<Nさんへ
今朝のタイムスで同じ記事を読み、言い表せぬ感情定まらぬ状況に、今朝から不愉快状況にありました。
ヤンバルクイナ同様絶滅危惧種の扱いを、人間にまで当てはめろとだれが何のつもりで言い出したのか、「琉球民族は先住民」といわざるを得ない問題がなぜ出てきたのか?国連の勧告内容にも大きな違和感があり、どのような背景過程を得た勧告案なのか知る必要があると思っています。
Eさんのブログ記事の「南北の塔」の活動家の異常に膨張した結果なのかどうか、EさんとNさんの分析・解説をお願いします。
*自立すべき沖縄にはほど遠く保護下にと、へし曲げられた要求を国連(全世界の人々に)はどんな理由解釈で勧告するというのか?仮に勧告後の琉球の民は、何かにつけ、我々は先住民であると、ことある毎に言い続けようと言うのか?  T>


◆<T君へ
 
 「琉球民族を先住民族に認定せよ」って?
 
大きなお世話だほっといてくれ。 極東の島国のその又小さな島の沖縄の実情を、
 
国連ごときがどれだけ知っているというのだ。
 
沖縄なんぞに関わらなくとも、世界には人種差別や人権弾圧の国が他に山ほどあるではないのか。 
 
国連はそんなに暇なのか。
 
いやいや、そうではない。
反日沖縄左翼が、「沖縄vs日本」の敵愾心を煽る目的で、在日朝鮮人、左翼アイヌと連帯して沖縄を反日の基地にするために、琉球大学の中国人教授たちと結託して国連人権委員会に働きかけた結果である。
 
先住民とは北米インデアン、中南米インディオ、豪州アボリジニのように、先住民として認定し保護が必要な場合もあるだろう。

だが、沖縄人には微塵もその必要はない。
 
地球儀にも載らない小さな島の人種問題で、国連人権委員会が、わざわざ口出しするのには訳がある。

反日という共通項で連帯した沖縄左翼と沖縄右翼(独立論者)が、琉球大学に巣食う中国人工作員の林(リン)教授と結託し、
 
同じ目的の沖縄タイムスに「沖縄人の四人に一人は独立希望」というヨタ記事を載せて、「日本vs沖縄」という対立構造を煽った成果がこれなのだ。
 
その一環として在日朝鮮人やアイヌ人との連帯も人知れず行われており、宮古島は「第二の竹島」化の危機にある。
 
「朝鮮人慰安婦の恨之碑」を沖縄中に群立させるため、在日朝鮮人による土地買収も進んでいると聞く。
 
沖縄で、国連に「先住民認定」を働きかけたのは、市民団体を騙る極左グループで、「沖縄市民情報センター」の喜久里康子というまだ30代の女。
 
 
彼女によれば沖縄は日本に差別されており、被差別団体の「」や在日朝鮮人、左翼アイヌと連帯すべきだという。
 
国連や人権と聞いただけで思考停止して、無条件に賛同するバカモノが彼女らをその気にさせている。
 
大きなお世話とはこのことだ。
 
人々が国家を形成して行く過程で、侵略された先住民は国家への従属を強いられ、奴隷化や虐殺によって弱体化され、絶滅希少化された例も確かに多い。
 
先住民の中には、かつては国家を持ち、繁栄を極めていたところもあり、これを「琉球王国の繁栄」に重ねる向きもあるが。 これを沖縄に当てはめるのにはどだい無理な話。
 
「琉球処分」を日本の琉球への侵略と捉えて、それにより沖縄が差別されたと主張する根拠に左翼が持ち出す呪詛の言葉が「人類館」「方言札」「同化政策」「皇民化政策」と羅列される。
 
だが、「琉球処分」は実は「琉球王国処分」だったという説が有力だ。
 
琉球王府とその取り巻きの特権階級(中国人が多かった)が住民を搾取し、一般住民は読み書きなどの教育を受ける機会すらなかったからだ。
 
廃藩置県の断行を指して「民民族差別」をことさら叫ぶ勢力がいるが、差別を売りものにする勢力こそ差別主義者である。
 
沖縄で反差別を叫んでいる連中の親の代、米軍統治下の沖縄では奄美大島出身者をオーシマーと差別し、宮古等の離島出身者を差別した。
 
戦前は更に酷く、那覇出身者でもシュリ出身者に差別され、那覇出身の伊波フユウが首里ニ中に進学したときは、言葉使いや習慣の差で差別されたと書いてあった。
 
先住民の尊厳と文化の継承・再生が「先住民認定」の目的というが、毎年全島各地でエイサー大会が盛んに(近所迷惑なほど)行われ、本土各地までも出張エイサーをしたり、琉球舞踊研究所が乱立し、新聞社は芸能コンクールで覇を競い合っている沖縄。
 
大学には沖縄方言の講座もある。
 
さらに莫大な国家予算を投じた国立組踊劇場があったり、県立芸大では琉球舞踊の師匠が教授を務めるような沖縄で、
 
何が「文化の絶滅」だ! 
 
何が「先住民認定」だ!
 
これを沖縄伝統の表現でいうと、ゥワーバグトゥ(上辺事ー大きなお世話) という。  
 
国連解文を読めば琉球民族は文化も言語も奪われ、差別され人身売買の悲劇に遭い、性奴隷にされた哀れな先住民族とも取れる書き方だ。
 
沖縄左翼と連係する「国連勧告」など粉砕すべしと思う方、クリック応援を。
 
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「琉球処分」が沖縄タイムスの今年のテーマ?

2010-02-04 00:02:39 | 未分類

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引越しのため過去記事を自動エントリです。

                 ◇

「琉球処分」が沖縄タイムスの今年のテーマ?

現在でいう国という概念が日本に定着するのは明治期になってからである。

国という言葉は古くは「大国主の尊」にみられるが、戦国時代の国や司馬遼太郎の『国盗り物語』で盗リあいをした国々は、現在で言えば県と県が侵略しあっていたことになる。

ちなみに「国」のつく言葉は思いつくだけでも、「国訛り」「お国言葉」「(殿様の)お国入り」などがある。

ちなみついでにもう一つ挙げると、川端康成の名作『雪国』に出てくる有名な冒頭の一節「国境のトンネルを抜けるとそこは雪国であった」に出てくる「国境」は「くにざかい」と読むのが正しい。(・・と思うが、確証はないので詳しい方教えて)

それが明治期になって、それまで国といわれた各藩が中央政府によってすべてを没収されることになる。 

侵略史観に立てば明治政府による地方国家の侵略であり、琉球王国が琉球藩、そして沖縄県と明治政府に組み込まれていくのも侵略だということになる。

さて、今年の沖縄タイムスは「沖縄が日本の一部に組み込まれていく状況」がテーマのようで、今朝の朝刊文化面も連載企画の第四回で「琉球処分」と大見出しである。

「琉球処分」とは琉球から沖縄に代わる際の行政手続の様子をいうが、「恨み史観」で見ると遠く慶長の「薩摩の琉球入り」を称して「第一次琉球処分」、明治期のそれを「第二次琉球処分」そして大戦後の米軍統治下の沖縄を「第三次琉球処分」と呼ぶらしい。

三つの「処分」に共通するのは「恨み史観」である。

以下は「琉球処分」に関する1年前のエントリーの再掲です。

                   ◇

 

■ 「琉球処分Ⅲ」■

「琉球処分」も廃藩置県も日本各県が経験したという視点で見れば日本史流れのの中の共同体験だと言うことが出来る。

廃藩置県は全国諸藩の意志に関係なく、反対する藩があれば容赦なく武力で討つという明治政府の威圧の元に断行された。

その意味で言えば、確かに「琉球処分」は廃藩置県の一種だといえなくもない。

明治維新の原動力となった薩長土肥の下級武士は出身藩の兵と資金でもって幕府を倒した。

それにも拘らず、倒幕から成立した明治政府によって倒幕を支援した藩そのものも潰され、更には武士の誇りも特権も経済基盤である禄高制さえ取り上げられ四民平等の「国民」に組み込まれた。

自分の資金と人材により幕府を倒し新政府を作ったら、その新政府が今度は自分の全ての権益を取り上げ更には解体を迫る。

倒幕派の藩主から見れば、歴史上これほどバカバカしい話はない。

現在の例えで言えば投げたブーメランに己が身を打ち砕かれたようなものだろう。

島津藩主久光が家来の西郷隆盛や大久保利通が突きつけた「廃藩置県」の断行に怒り狂った気持ちは一世紀以上の時を隔てても理解できる。

明治の群像を『飛ぶが如く』や『坂の上の雲』でみずみずしく描いた司馬遼太郎氏は、

「琉球処分」という言葉が多くの琉球史では一見琉球のみに加えられた明治政府の非道な暴力的措置のように書かれていることに疑念を投げかけている。

「(琉球処分と)同時代に、同原理でおこなわれた本土における廃藩置県の実情については普通触れられてはいない。 つまり、本土との共同体験としては書かれていない。」(「街道をゆく 6」)

琉球が特殊な歴史・文化を持っていることは認めても、「琉球処分」はウチナーンビケン(沖縄独特)ではない。

日本史の明治国家成立の過程で見られる普遍的な歴史的現象だというのである。

琉球の場合は、歴史的にも経済的にも、本土の諸藩とはちがっている。 更には日清両属という外交上の特殊関係もあって、琉球処分はより深刻であったかも知れないが、しかし事態を廃藩置県とという行政措置にかぎっていえば、その深刻のどあいは本土の諸藩にくらべ、途方もない差があったとはいえないように思える。」(「街道をゆく」⑥27頁)

しかし、このように「琉球処分」を琉球独自の歴史ではなく日本史の中の明治維新の一過程と捉える司馬氏の歴史観には沖縄の左翼歴史家は猛然と反発するだろう。

その例が先日取り上げた某大学講師の、

琉球は日本ではないのだから、琉球処分は明治維新の国造りの過程ではなく、海外侵略である」という論である。

その論に従うと「琉球処分」は無効だという。

煩雑を承知で、その無効論を再引用する。

<「人道に対する罪を構成」

戦争法規の適用

では、日本による琉球統治は正当だったのか。 日本が琉球の領土支配正当化するためには、日本が琉球を実行支配してきたか、もしくは琉球人に日本人としての帰属意識があることを証明する必要がある。

紙幅の関係上結論を先に述べると、日本による琉球の日本の領土編入は、国際法上の主体である琉球の意志を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである。(上村英明『先住民族の「近代史」』>(琉球新報 1月15日)

このような論が当時から沖縄に存在するのを司馬氏は先刻ご承知のようで、自分で表立って反論せずに沖縄民俗学の大家・比嘉春潮氏の著書からの引用でやんわりと対処している。

<何にしても、私は10年ばかり前では、沖縄と本土とが歴史を共有しはじめた最初は廃藩置県からだ、とばかり思っていた。 しかし、そのことはすこしのんきすぎたようでもある。 ホテルの部屋にもどって~ベッドの上に寝転がっていたが、このことを考えはじめると、眠れそうにない。 
雑誌「太陽」の1970年9月号に、比嘉春潮氏が「沖縄のこころ」という、いい文章を寄せておられる。

≪沖縄諸島に日本民族が姿をあらわしたのは、とおく縄文式文化の昔であった。 このころ、来た九州を中心に東と南に向かって、かなり大きな民族移住の波が起こった。 その波は南九州の沿岸に住む、主として漁労民族を刺激して、南の島々に移動せしめたと考えられる。 この移動は長い年月の間に、幾度となくくりかえされた。 そしてここに、言語、習俗を日本本土のそれと共通する日本民族の1支族ー沖縄民族が誕生する。≫

沖縄人の由来について、これほど簡潔に性格に述べられた文章はまれといっていい。 さらに「沖縄民族」という言葉については、氏はその著『新稿沖縄の歴史(三一書房)の自序において、「フォルクとしての沖縄民族は嘗て存在したが、今日沖縄人はナチオンとしての日本民族の1部であり、これとは別に沖縄民族というものがあるわけではない」と、書いておられる。

日本民族の中における沖縄人の巨視的関係位置はこの優れた民族学者のみじかい文章で尽くされているわけで、いまさら私が、那覇の町で思いわずらうこともなさそうである。
しかし、という以下のことを書く前に、1氏族が1社会を構成する前に歴史の共有ということが大きい、ということを、つい思わざるをえない。 日本の本島のなかでも、歴史をすみずみまで共有したのは、さほどの過去ではない。 例えば奥州の青森・岩手の両県が九州の五島列島とおなじ歴史の共同体験をするという時代は、秀吉の天下統一からである。(略) 豊臣政権下で大名になった五島氏は、明治4年の廃藩置県で島を去り、東京に移された。 旧藩主を太政官のおひざもとの東京に定住させるというのは、このとうじの方針で、薩摩の島津氏の当主忠義も、長州の毛利氏の当主も東京にいわば体よく長期禁足されていて、丘陵地に帰ることを許されていない。 このことは最後の琉球王尚泰においても同じである。>(「街道をゆく 6」)

大きな流れで言えば沖縄民族は日本民族の支流である、の一言で某大学講師の「琉球処分=違法な植民地侵略」論を粉砕している。

それでも司馬遼太郎氏は「共同体験をしたから結構だといっているのではない」と断り書きを入れて、

琉球藩が廃藩置県以前、250年にわったて薩摩藩から受けた「痛烈な非搾取の歴史」を述べて日本史上他の藩と異なる特殊性を完全に無視はしていない。

司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、

封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。

その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。

■「鉄の暴風」に毒された「司馬史観」■

一方で、「司馬史観」は昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定して自虐史観に陥っていく。

沖縄史に関しても明治期の「琉球処分」では日本の発展していく過程の歴史共有(廃藩置県)として前向きに捉えていたのが

「沖縄戦」となると突如大江健三郎氏と同じ軸足で歴史を見るようになるから不思議だ。

「街道をゆく 6」でも「琉球処分」を述べた後に次のようなくだりがある。

<太平洋戦争における沖縄戦は、歴史の共有などという大まかな感覚のなかに、とても入りきれるものではない。
同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄では現実におこなわれ、その戦場で15万の県民と9万の兵隊が死んだ。
この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。>(「街道をゆく」6-1978年刊)

なるほど、『デマの暴風』とも言われる『鉄の暴風』を、沖縄戦の「戦場における事実群の収録」として読んだら流石の司馬遼太郎先生も精神が変になりそうで、大江健三郎を彷彿させる逸話を書く羽目に陥っている。

ところで大江健三郎氏の「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」という有名な文を書いたのは昭和33年だが、

司馬遼太郎氏が『鉄の暴風』を読む以前にこの文を読んでいた可能性はある。

司馬氏はRさんという在日朝鮮人らしき人の口を借りて、沖縄人にも「帰るべき祖国がない」といったことを言わしている。

■大江健三郎にも毒された「司馬史観」■

<ごく最近、古美術好きの私の友人が、沖縄へ行った。彼は在日朝鮮人で、歳は50すぎの、どういうときでも分別のよさをかんじさせる人物である。

彼は帰ってきて、那覇で出会った老紳士の話をした。 私の友人はRという。
ーーRさんはいいですね。
とその老紳士は、しみじみとした口調で、「祖国があるから」と言った。相手が日本人ならば、このひとは決してこうわ言わなかったにちがいない。 
この話をきいたときの衝撃は、いまなおつづいている。 自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いがした。>(「街道をゆく 6」)

沖縄人の立場から言わせてもらうと、司馬氏が「街道をゆく 6」を出版した1978年の時点で、この沖縄の老紳士のように「祖国がない」と考える沖縄人は特殊な思想の人々はともかく普通の県民ではとても考えられないことである。

それにしてもあれほどリアリズムで歴史を見てきた司馬氏が、

沖縄の地上戦のことを考えて精神が変になりそうになり

『鉄の暴風』を読んだら一晩眠れなくなってしまう

あげくの果てには司馬氏は、沖縄の老紳士の話を伝え聞いて、

衝撃が続き、自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いをしたと述べている。

■帰るべき祖国とは■

文中の沖縄の老紳士の特殊な思想に影響を与えたと思われる大江健三郎氏の文を下記に引用する。

<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)>

このお方、日本人であることを放棄しているのだろうか。


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沖縄語講座、嘘つきと正直者

2010-02-03 00:51:25 | 沖縄語講座

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沖縄語は耳で聞くと外国語のようだが、文字で書くと大体の意味は分かると言う人がいる。 沖縄民謡の歌詞などは確かに文字で書くと沖縄語を知らなくとも、意味が分かったような気がする。

だが、沖縄語の中にも日本語の類推で分かる言葉と、全く理解不能な言葉がある。

例えば「嘘つき」と「正直者」の沖縄語は夫々「ユクサー」と「マクトゥー」というが、「ユクサ-」はさておいても、「マクトゥ-」が誠の類推から正直者を表すことは容易に類推できる。 

沖縄語には語尾を伸ばすことにより、その動作や状態を表す人や物に変化する法則があるので、「マクトゥー」が正直者になるのは、分かっても「ユクサー」となるともはや類推では手も足も出ない。

「ユクサー」は「ユクシム二ー」(嘘)から派生した言葉「ユクシ」の語尾が伸びた時「シ」が長音につられて「サ」に変化し「ユクサー」になったものである。

で、「ユクシムニー」は「ユクシ+ムニー」に分解され日本語を当てると「邪(よこしま)+物言い」となり、これを例の通りローマ字で書くとこうなる。

YOKOSIMAMONOII

そこで、O→Uと変化する法則にしたがえばこうなる。

YUKUSIMUNUII

そのまま発音すると「ユクシムヌイイ」

続けて発音していくと「ユクシムニー」つまり、「嘘つき」の沖縄語となる。

従って元来「嘘つき」は「ユクシムナー」と言うべきだが、通常は「ユクサー」のような短縮形でも意味は充分通じる。

前稿のコメント欄で日本語より沖縄語の方が大和言葉風な言葉がが多いと書いたが、「嘘」というシナ風の表現より「邪(よこしま)物言い」がウソになるとした表現の方が優雅で優れて大和風ではないか。

 

「正直」を表す沖縄語は「誠」の類推が容易な「マクトゥ 」で正直者は「マクトゥー」と簡単だが、「マクトゥ」にはほかにも「真実」の意味がある。

関連語に「マットーバ」という沖縄語があるが意味は、

(1)まっすぐ。 一直線。 正しいこと。

(2)単純な人。 馬鹿正直な人。

語源を辿れば、日本語の「真っ当」に行き当たる。

 

沖縄で「あの人はマクトゥーよ」と言われたら正直者の他に誠意のある人といった褒め言葉になる。 誠意より正直だけを強調されると「あの人はマットーバよ」と言われる。

くれぐれも「あの人はユクサーよ」とか「ユクシムナー」と言われないようにしたいものである。

何ですって?

沖縄語の研究者達が「狼魔人はユクシムナーだ」と怒っているって?

「マットーバ」を言っているつもりなのですが・・・。

 

◆お知らせ

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狼魔人

 

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日中共同歴史研究は沖縄争奪戦だ!

2010-02-02 07:05:25 | 未分類

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昨日(1日)の沖縄タイムス一面トップは、次のような

白抜きの派手な見出し。

日中共同歴史研究

南京虐殺者数一致せず 

【中国】 30万人以上   【日本】 20万人上限

日本軍の残虐性を全社一丸となって糾弾してきた沖縄タイムスだけあって、当然の如く中国の歴史観を代弁する立場が見出しにも表れている。

共産党の歴史観で自国の歴史を決める一党独裁の中国と、歴史学者にも右から左と多種多彩の日本で歴史観が一致しないのは想定内であり、むしろこのような共同研究をすることにさえ疑念を抱く。

まぁ、結果はともあれ共同研究をすること自体に意義があるのかもしれない。

で、タイムスの見出しの「虐殺者の数」だが、見出しだけを見ると、日中の数の誤差は「30万vs20万」の差のように感じるが、

日本側は「南京事件」の犠牲者数を「2万~20万人」としており20万人を主張する学者は日本側でも少数派に過ぎない。

一方の中国側は「30万人以上」としているので、日本側の少数派の20万人を見出しに使い、日中で誤差はあっても、数十万万単位で虐殺をした「残虐非道の日本軍」というのが沖縄タイムスの首尾一貫したスタンスである。

日中共同歴史研究の焦点である「南京事件」の犠牲者数については、歴史専門ブログ等に任せてここでは深く触れないが、同じ共同研究で「琉球処分」や「沖縄の帰属」についても日中で議論が分かれたという。

同じ沖縄タイムスの一面の日中歴史共同研究の記事にこんな見出しもある。

琉球処分・帰属で論争

日本 抵抗は一部の層

中国 日本が横取りした

沖縄タイムスが中国側歴史観に立つのはこれまでの同紙の記事を検証すれば明らかだが、当日記でも過去にこれを何度か取り上げた。

琉球処分に際し、琉球王府の一部の中国帰化人達(脱清人)が既得権を失うのを嫌って清に亡命し、清に援軍を頼んだとされている。

続・琉球処分 歴史の流れを見誤った人々と本物のバカ

上記エントリの次の文を嬉々として引用しているタイムス記者は、「石垣市長暴行疑惑」で市長を告発したサラさんの実弟である。

《つい最近、北京大学の徐勇教授が「沖縄が日本の領土になったのは琉球王国に対する侵略の結果であり、第二次世界大戦後の米国からの返還も国際法上の根拠を欠き『主権の帰属は未確定』」との論文を発表した。》

さらに付け加えると、この徐勇北京大学教授は今回の日中歴史共同研究の中国側のメンバーでもある。

当日記は琉球処分について、日本史の大きな流れで見ると同じく明治初期に断行された廃藩置県と同じ意味をもち、琉球王府の既得権者達の処分であったと見る。

明治政府は全国諸藩の武士階級から税収を含む既得権を奪ったのと同じように琉球王府の王を含むサムレ-(侍)階級から既得権を奪ったので彼ら一部の支配層に小規模な抵抗が抵抗があったのは事実だ、西南戦争のような大規模な抵抗にまでは至っていない。

その意味で琉球処分は「琉球王府処分」と称した方がその実態を伝えていると考える。

沖縄タイムス解説記事によると、琉球の帰属を日中両国は次のように主張している。

◆日本⇒ 琉球は日清両属の位置にあった。 明治政府による琉球処分への抵抗は支配層中心で、民衆には明らかに良い方向への変化

中国⇒ 琉球は中国の臣下となった独立国だったが、日本が横取りした。 琉球を併合した日本は朝鮮半島へ拡張行動をエスカレートさせた

徐勇北京大学教授は沖縄タイムスの紙面ではお馴染みの人物だが、このような人物が沖縄の帰属は「日本の侵略だ」と述べたり「第二次大戦後の米国からの返還も国際法上の根拠を欠き『主権の帰属は未確定』」と沖縄左翼を扇動し、これを沖縄タイムスが嬉々として紹介する。

こんな新聞が日本国内に存在する限り、日中共同歴史研究を行う前に先ず日流共同歴史研究の必要を感じてしまう。

徐勇教授のほかにも沖縄ではおなじみの中国人工作員まがいの学者に朱建栄東洋学園大学教授がいる。

朱教授は日本語が堪能なので、沖縄の自治労の研修会などでは、度々講師として「沖縄独立を扇動している。

一国二制度を論議 全国集会「おきなわ自治研」 カメラ  (10/27 9:40)  

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狼魔人

【おまけ】

ネットがまだ繋がらないのでついにネットカフェ難民になりました。

沖縄タイムスの今日のコラム大弦小弦はひどいね。

中国の原子力潜水艦が領海侵犯をしても、母国の艦隊が沖縄を救援に来たといった認識しか持っていない沖縄タイムスの歴史観には改めて言葉を失う。

[大弦小弦] (2010年02月02日 09:06)

 2004年に中国の原子力潜水艦が石垣島近海を領海侵犯する事案があったが、本紙の扱いはそれほど大きくはなかった▼当時、防衛庁担当の全国紙記者から「なぜもっと大きく取り上げないの。沖縄が一番危ないんだぞ」といらだちとも取れる忠告を受けた記憶がある▼この話をある保守系の政治家に向けると「中国と沖縄は兄弟のようなものだから攻めてはこないよ。今までの歴史があるから」。米軍基地問題にも通じる本土と沖縄の「温度差」を日中関係でも感じさせられた▼1日紙面掲載の日中両国の有識者による歴史共同研究の報告書が興味深い。琉球王国時代の沖縄について「日清両属」とする日本側と「清と冊封関係にある独立国家」とする中国側の見解が分かれたという▼昨年1年間にわたって本紙で連載された「御取合400年 琉球・沖縄歴史再考」を読むと、これまで従属的とされてきた薩摩藩支配下でも、巧みな戦略と外交力を用い、国としての独自性を失わなかった先人たちの奮闘ぶりがうかがえる▼報告書には「日本は琉球を横取りした」との中国側の認識もある。そこから将来的な「侵略」の意図を読み取るよりも、沖縄が日中の「津梁(しんりょう)」となり得る可能性を見いだしたい。大国のはざまでどう生きるか。数百年たっても変わらない沖縄の課題がある。(浜元克年)

 

◆琉球大学にはこんな中国工作員も⇒沖縄併呑計画 林准教授のアンケート調査はヨタ話の類

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「人類館」のウソ演劇が国立劇場を占拠!

2010-02-01 13:44:29 | 普天間移設

 

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「人類館」のウソ演劇が国立劇場を占拠!

大田昌秀元県知事が琉球大学教授時代にばら撒いた「人類館」にまつわるウソの歴史が、沖縄紙に取り上げられると「情報ロンダリング」され、いつしかウソが定説となると書いた。

さらにこれが本土全国紙に記事として取り上げられるとウソが遂には「真実」となってくる。

レーニンが言ったという「ウソも百篇つけば真実となる」の正しさが、沖縄では容易に証明されることになる。

「人類館」のウソが日本一発行部数の多い新聞によって「情報ロンダリング」された例がこれ。

<19>沖縄差別(読売新聞記事)

写真:写真説明
沖縄だけに適用される駐留軍用地特別措置法(特措法)の改正案に反対する座り込みには「沖縄差別」と書かれた横断幕が掲げられた(那覇市内で、1997年4月10日)

【沖縄差別】明治以降、就職などで本土に渡った沖縄出身者は、言葉や生活習慣の違いから差別や偏見にさらされることが多かった。1903年、大阪で催された内国勧業博覧会場外の民間パビリオン「学術人類館」で沖縄の女性がアイヌや台湾の高砂族などと共に見せ物とされた。戦前には、出身者が多く住む阪神地区や京浜地区では家を貸す時、「琉球人お断り」の札が下げられたり、就職や給与で差別されたりすることもあった。沖縄県内では方言撲滅運動が推進され、小中学校で方言を使うと罰として木札「方言札」を首からかけさせられた。

             ◇        ◇

もっとも読売記事は、高倉倉吉琉球大学教授の意見として、時代を遡れば個人的な差別、偏見は別として、日本政府が沖縄に対して差別をした政策や制度は存在しない、と述べている。 

読売新聞より抜粋し以下に引用する。

歴史的に観察すれば、1879年(明治12年)春の琉球処分=沖縄県設置以降、確かに沖縄はヤマト(沖縄以外の日本)と制度上区別されたことがあった。琉球王国時代以来の旧制度を全国並みの制度に変革するまでの間、中央政府(明治政府)はいわゆる「旧慣温存」路線を敷いたが、その特別制度は大正期に終焉(しゅうえん)する。(略)

アメリカ軍基地が沖縄のみに偏在しているという不公平さを除くならば、わが国において沖縄県のみが区別され、「差別」を受けるような特別制度はない。2012年3月期限の、沖縄県のみを対象とする振興計画が推進されているが、それは沖縄側が望んだものである。(略)

 そのことをふまえても、日本国憲法体制下にあって、沖縄という地域のみが他と区別され、誰の眼にも明らかな「差別」的境遇を強いられ続けているという決定的事実は存しない。不公平の是正や、基地優先主義の是非などを問う論点は確実に存在するものの、制度をめぐる「差別」論を唱えうるような実態はないと私は思う。》

高倉教授は言葉を続けて、「沖縄の文化が、『差別』されるような状況は存在するだろうか」と疑問を投げかけているが、

沖縄紙の紙面を飾る識者達の文章を読む限り、「沖縄は差別され固有の文化や言語を奪われた」といった印象を植え付けられるし、さらには国連まで担ぎ出して「琉球民族は文化を奪われた先住民族」だから国は先住民族の認定をせよ、といったトンデモ意見まで出てくる始末である。

本当に沖縄が文化を奪われたのか。

とんでもない。

沖縄県が日本一芸能の盛んな県であり、琉球舞踊や琉球民謡の研究所の数が沖縄ほど多い県はないということは、彼ら識者達が一番知っているはずである。

沖縄の盆踊りとも言える「エイサー」などは沖縄県の地域を飛び出して、今では東京、大阪は勿論全国のお祭りを占拠しているではないか。

沖縄方言に関しても、沖縄の大学には「沖縄方言講座」があるくらいで、筆者も昨年、名桜大学の週一回の「方言講座」を社会人コースとして受講したくらいである。

さらには膨大な国費を投入し、沖縄伝統の組踊り保存のため、国立劇場まで創設しているが、そこで行われる演目不足で、遂には「人類館」まで上演される始末である。

国費を投じた国立劇場で、「日本政府が沖縄を差別した」というウソ塗れの「反日劇」を上演し、県民の反日感情を煽るとは、ウソの発信元である大田元県知事の高笑いが聞こえるようである。

11月21、22日、国立劇場おきなわで催された「人類館」上演に関する琉球新報コラムを引用するが、

ここでは大田元知事が垂れ流したウソがすっかり「歴史的事実」として書かれている。

国立劇場おきなわ 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。

                     ◇

「人類館」上演は沖縄出身の俳優津嘉山正種氏によって演じられているが、「明治政府の沖縄差別」を頭から信じ込んでいるようで、氏のこの演目に対する熱の入れようは並みのものではない。

津嘉山氏の言葉を「劇団「青年座」人類館沖縄公演」から抜粋したものを引用する。

 上演にあたって皆さん今晩は。本日は我が『人類館』へようこそおいでくださいました。史上初の、そして空前の規模で開かれます我が「人類館」は、世界中のいたる所で差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を、色とりどりに取り揃えてございます……」(戯曲『人類館』より)

知念正真作『人類館』は、1903年に大阪天王寺で開かれた内国勧業博覧会会場前に建てられた「学術人類館」において、琉球、朝鮮、アイヌ、台湾高砂族、インド、マレー、ジャワ、アフリカなどの人々を、民族衣装姿でそれぞれの住居に住まわせ、見世物として観覧させた事件、俗に言う「人類館事件」を題材に書かれたものです。この学術人類館を舞台に近現代の沖縄の歴史と文化、とくに戦中・戦後の沖縄の姿を赤裸々に再現しています。津嘉山正種は、戯曲のウチナーグチ(沖縄語)をそのままに、「陳列された男」「陳列された女」「調教師風な男」の3役を1人で朗読します。

昨年の沖縄公演(キジムナーフェスタに参加)、東京公演(青年座劇場)で大好評をいただき、今回、津嘉山正種後援会のご協力により沖縄公演が実現する運びとなりました。
津嘉山が万感の思いを込めて語る 沖縄の現実 歴史の事実 人間の真実。
ご期待ください。

                    

なお津嘉山氏の「人類館」公演に対する熱い思いは、琉球新報コラム「あしゃぎ」に「人類館にこめた思い」と題して次のようにも述べられている。

折しも沖縄を巡っては、教科書問題や米軍基地問題など、まさに「沖縄への差別」が根底にある・・・。」⇒津嘉山正種ひとり語り“人類館”の沖縄公演

100年以上前の一興行師が行った興行が、「明治政府が行った沖縄差別政策」とういう「反日デマ劇」となって、

国費を使った国立劇場で上演される・・・、こんな間抜けな国は世界中どこにも見当たらないだろう。

さらに付け加えると100年も前の「人類館」が、一世紀の時空を飛び越えて教科書問題や米軍基地問題に関する「沖縄差別」に結びつくとは、

「人類館」で一儲けを目論んだ吉田某なる興行師も今頃あの世で、くしゃみをしていることだろう。

もう一つ、大田元知事が垂れ流した「沖縄への差別政策」というウソをモロに受けた沖縄タイムス記事を引用しておく。

■戦艦大和は「日本の沖縄への差別政策」の表れ!

沖縄県人として地元紙の噴飯モノの記事を晒すの恥ではあるが、「ウソも百篇・・・」の例として、我慢して読んでいただきたい。
 
 
まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。
 
さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりである。おそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる
 

だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。
あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかったそう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、
その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。
 
沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、
それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった。
 
沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋

念のため書き添えるが、この記事は筆者の捏造でも何でもなく、正真正銘の沖縄タイムスの記事である。

それにしても随分と読者をバカにした記事ではないか。(怒)
 

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