あっという間に4月も半ば。
あと二週間で平成も終わりだ。それに対して、別段、何の思いもないけれど、高度成長期に教育を受け、バブル崩壊直後に社会に出た世代としては、「平成」は日本がまさに地盤沈下していった時代であり、「右肩下がり」の時代だったと心底、思う。
昭和の終わり頃、海外に行けば、空港から街までの道路沿いには数多くの日本企業の看板が目に入ったが、それが平成の終わりの今、中国にとって代わった。世界市場を席巻していた日本企業がどんどん世界の一流企業から脱落する一方、国内では格差が広がり、生きづらいと感じる人が大量に出てきた。みんな余裕がなくなり、すっかり将来を悲観する国になってしまった。それが「平成」だとすれば、できれば「令和」の時代は、戦争がないだけで満足する時代にはなってほしくないとつくづく思う。
それにしても、新元号の「令和」。
公式には、新しい天皇が元号選定に関わられることはないと言う。
けれど、天皇にとっての元号と言うのは、自分の時代の名前になるわけで、それを有識者や国民の代表だけで本当に決めているのだろうかとちょっと疑問だ。新しい天皇はすべて決まった後に新元号を教えられ「わかりました」と、受け入れてるとは到底思えない。なぜなら、自分の時代の名前なのに、その選定に一切、関われないなんて、普通で考えたらないだろう。決定前にどこかで伝えて、了承していると考えるのが普通だと思う。
考え過ぎだろうか?
あと二週間で平成も終わりだ。それに対して、別段、何の思いもないけれど、高度成長期に教育を受け、バブル崩壊直後に社会に出た世代としては、「平成」は日本がまさに地盤沈下していった時代であり、「右肩下がり」の時代だったと心底、思う。
昭和の終わり頃、海外に行けば、空港から街までの道路沿いには数多くの日本企業の看板が目に入ったが、それが平成の終わりの今、中国にとって代わった。世界市場を席巻していた日本企業がどんどん世界の一流企業から脱落する一方、国内では格差が広がり、生きづらいと感じる人が大量に出てきた。みんな余裕がなくなり、すっかり将来を悲観する国になってしまった。それが「平成」だとすれば、できれば「令和」の時代は、戦争がないだけで満足する時代にはなってほしくないとつくづく思う。
それにしても、新元号の「令和」。
公式には、新しい天皇が元号選定に関わられることはないと言う。
けれど、天皇にとっての元号と言うのは、自分の時代の名前になるわけで、それを有識者や国民の代表だけで本当に決めているのだろうかとちょっと疑問だ。新しい天皇はすべて決まった後に新元号を教えられ「わかりました」と、受け入れてるとは到底思えない。なぜなら、自分の時代の名前なのに、その選定に一切、関われないなんて、普通で考えたらないだろう。決定前にどこかで伝えて、了承していると考えるのが普通だと思う。
考え過ぎだろうか?