今月4日の記事で書いた通りで、中川清秀が秀吉に弱みを握られているのと同様な為、近縁の高山右近はそれをイエズス会に相談したはずで、それでどうなるのかと言えば「キリシタンは誓いを破るのが恥」であるので(例え中川清秀がキリシタンでなかったとしても高山右近はいつも組んで戦っていたわけですから)、イエズス会としては明智光秀よりも秀吉の方を選ぶ事にならざるを得ません。
当時に於いて高山右近と中川清秀は明智光秀の与力だったのですが、その明智光秀が主君である織田信長を討った形になってしまった(本当に討ったのかどうかは別にして)以上、光秀の与力であるからと言って光秀に従わなくても良い事になります。
一方、中川清秀が秀吉と「内誓紙」を作ったと言うのは文書で残っているのであり、たとえこれが「兄弟の契りを結んだ」程度だとしてもそれは「誓い」なのであってこれを破るのはキリシタンから見れば許されない事、となります。
イエズス会が秀吉を選んだと思われる理由は他にも有ります。
その一つは仮に秀吉が明智勢を殲滅するのに手こずったとしてもまた次の選択肢が有った事です。
それは秀吉が柴田勝家に頭を下げて連携する事です。
秀吉が上杉攻めで意見が合わずに勝手に戦線離脱したとは言え、織田家の為には結集するとなれば柴田勝家とて許さないわけには行かないはずであり、そしてまた「人たらしの秀吉」であれば当時格上であった柴田勝家の自尊心をくすぐる言い回しをして巧みに連携に漕ぎ着けたはずです。
そうなると北条氏や上杉氏が例え織田勢に反旗を翻したとしても、徳川家康は織田方に加勢するしかなくなって来るわけでそうなるとどうしても明智勢には不利となります。
イエズス会は(余程のアクシデントが無ければ)明智勢の事を最初から無理だろうと考えていたと思っています。
当時に於いて高山右近と中川清秀は明智光秀の与力だったのですが、その明智光秀が主君である織田信長を討った形になってしまった(本当に討ったのかどうかは別にして)以上、光秀の与力であるからと言って光秀に従わなくても良い事になります。
一方、中川清秀が秀吉と「内誓紙」を作ったと言うのは文書で残っているのであり、たとえこれが「兄弟の契りを結んだ」程度だとしてもそれは「誓い」なのであってこれを破るのはキリシタンから見れば許されない事、となります。
イエズス会が秀吉を選んだと思われる理由は他にも有ります。
その一つは仮に秀吉が明智勢を殲滅するのに手こずったとしてもまた次の選択肢が有った事です。
それは秀吉が柴田勝家に頭を下げて連携する事です。
秀吉が上杉攻めで意見が合わずに勝手に戦線離脱したとは言え、織田家の為には結集するとなれば柴田勝家とて許さないわけには行かないはずであり、そしてまた「人たらしの秀吉」であれば当時格上であった柴田勝家の自尊心をくすぐる言い回しをして巧みに連携に漕ぎ着けたはずです。
そうなると北条氏や上杉氏が例え織田勢に反旗を翻したとしても、徳川家康は織田方に加勢するしかなくなって来るわけでそうなるとどうしても明智勢には不利となります。
イエズス会は(余程のアクシデントが無ければ)明智勢の事を最初から無理だろうと考えていたと思っています。