山崎の戦いが開始した6月13日の前日に大山崎町を高山右近が占拠したと言うのが通説のようです。
その後の東黒門付近に関連する出来事は以前に記事にした通りですが、では西黒門についてはどうなのか?と言うとここでもまた不可解な出来事が古文書に出て来ます。
それは「大山崎町の西黒門も閉められていた」と言う「太閤記」での記述なのです。
所詮は「秀吉商店に広告に過ぎない古文書」と見ればそれまでですが、全てが作り事では読者もついて来ないわけで一部には実際に起きた出来事で証人も多数いるような事に関しては事実を混ぜ込んで記録せざるを得ない面も有るはずで、それで更に状況を考えてみたいと思い記事にして見ました。
大山崎町の西黒門に関しては仮に高山右近が秀吉方に加勢する姿勢が誰にでもわかっている状況ならば特に閉める必要は無かったと思われます。
特に東黒門から明智勢を急襲するつもりであれば、仮に力不足だった場合に秀吉方から後詰めの兵力補給を考えれば西黒門は開けておくべきと言うのが通常の考え方と思えます。
確かに西黒門を一応は閉めておいたとしてもすぐに開けられる体制を敷いていたのならそれは間違いでも無かったのかも知れませんが、それが目的ならそこまでする必要とは果たして有ったのかどうかは疑問です。
実はここに高山右近の正体を示すロジックが隠されているように思える面が有ります。
高山右近は東黒門を閉じたかった。それは明智勢が簡単に出入りしないようにする為です。
しかし西黒門が開いているのに東黒門が閉められいては明らかにそれは高山右近が秀吉方に加勢している証になってしまう。
ではそれを隠す為にはどうすれば良いか?となれば西黒門も閉めてしまえば「周辺が物騒になって来たので大山崎町の治安維持からも東黒門も西黒門も閉めてしまおう」と言うタテマエができるわけで殆んど誰も納得するわけです。
いくら当時後手後手であった明智光秀でも大山崎町の中に町人などを装って送り込んだ間者(スパイ)がいなかったわけは有りません。
その事くらいは高山右近も想定しているわけで、ではどうやって明智方間者の目を欺けるかと言えば、さもあたかも秀吉方には加勢していない形をとる必要が有ったと言う事になるわけで、仮にこの仮説が成り立つのだとすれば、「それには西黒門を閉めてしまえば良い、そうすれば秀吉方の攻撃から守る姿勢には見える」、となったのではないでしょうか。
その後の東黒門付近に関連する出来事は以前に記事にした通りですが、では西黒門についてはどうなのか?と言うとここでもまた不可解な出来事が古文書に出て来ます。
それは「大山崎町の西黒門も閉められていた」と言う「太閤記」での記述なのです。
所詮は「秀吉商店に広告に過ぎない古文書」と見ればそれまでですが、全てが作り事では読者もついて来ないわけで一部には実際に起きた出来事で証人も多数いるような事に関しては事実を混ぜ込んで記録せざるを得ない面も有るはずで、それで更に状況を考えてみたいと思い記事にして見ました。
大山崎町の西黒門に関しては仮に高山右近が秀吉方に加勢する姿勢が誰にでもわかっている状況ならば特に閉める必要は無かったと思われます。
特に東黒門から明智勢を急襲するつもりであれば、仮に力不足だった場合に秀吉方から後詰めの兵力補給を考えれば西黒門は開けておくべきと言うのが通常の考え方と思えます。
確かに西黒門を一応は閉めておいたとしてもすぐに開けられる体制を敷いていたのならそれは間違いでも無かったのかも知れませんが、それが目的ならそこまでする必要とは果たして有ったのかどうかは疑問です。
実はここに高山右近の正体を示すロジックが隠されているように思える面が有ります。
高山右近は東黒門を閉じたかった。それは明智勢が簡単に出入りしないようにする為です。
しかし西黒門が開いているのに東黒門が閉められいては明らかにそれは高山右近が秀吉方に加勢している証になってしまう。
ではそれを隠す為にはどうすれば良いか?となれば西黒門も閉めてしまえば「周辺が物騒になって来たので大山崎町の治安維持からも東黒門も西黒門も閉めてしまおう」と言うタテマエができるわけで殆んど誰も納得するわけです。
いくら当時後手後手であった明智光秀でも大山崎町の中に町人などを装って送り込んだ間者(スパイ)がいなかったわけは有りません。
その事くらいは高山右近も想定しているわけで、ではどうやって明智方間者の目を欺けるかと言えば、さもあたかも秀吉方には加勢していない形をとる必要が有ったと言う事になるわけで、仮にこの仮説が成り立つのだとすれば、「それには西黒門を閉めてしまえば良い、そうすれば秀吉方の攻撃から守る姿勢には見える」、となったのではないでしょうか。