快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 秀吉と中川清秀との間で作られた「内誓紙」の事を高山右近はイエズス会に相談したはず

2019-07-04 19:24:35 | 明智光秀
 イエズス会が高山右近と中川清秀を反明智勢である秀吉方に加勢させる動きをした形跡は以前の記事の中で書いた通りです。
 しかし何故イエズス会が秀吉方に諸武将を加勢させるようなコントロールをしたのか? となると、どうも良くわからない点が有り、例えば反明智勢なら柴田勝家でも良いわけであるし、当時の家臣の序列で見れば明らかに柴田勝家の方が格上だったようなのです。
 山崎の戦いの後に秀吉が力をつけて行く過程から考えるとどう考えてもイエズス会が秀吉方に加勢させる動きをしたとしか思えないのですが、少し調べればそれは有る程度わかるような気がします。
 それは以前に当ブログで記事にした通り、秀吉は中川清秀と「内誓紙」により「兄弟の契りを結んだ」と言う点の様に思えます。
 確かに当時に於いて、1578年から1579年の荒木村重の乱において当初は荒木方であった中川清秀に対して、秀吉が牽制の意味と過去の事はもう良いから今後は「兄弟の契りを結んで連携しあおう」と確約の書を作ったのはわかりますが、これは有る意味から見れば中川清秀は秀吉に弱みを握られた、と言う事にもなるわけです。
 何故なら、高山右近と中川清秀はその後に明智光秀の与力になったわけで、それは信長が生存していれば確かにこの「内誓紙」は信長の配下に於ける結束力の証となるのですが、信長が死んでしまえばそれは秀吉から脅迫を受けるネタにしかならないわけです。
 それで中川清秀が近縁に高山右近にこの件を相談した事は容易に考えられ、そしてその高山右近は当然この状況を包み隠さずイエズス会のオルガンティノ神父あたりに相談したはずであるわけです。
 それでオルガンティノ神父がどう考えたかと言えばそれは「誓いを裏切る事をするのはキリシタンではいけない事」と言う原則で秀吉方に加勢するように指示したのだと思えるのです。
 中川清秀は特にキリシタン武将ではないのですが、近縁の高山右近は有岡城の戦いの時でも中川清秀と行動を同じにしている事も有りほぼ同じグループと見て良いとイエズス会は判断していたものと考えられます。
 イエズス会は秀吉と中川清秀の「内誓紙」を知っていた。それならば秀吉に軍配を上げさせるしかない。では秀吉がイエズス会、キリシタンにとって不都合な人物かといえばそうではなく、宇喜多氏からの情報などから大丈夫そうと言う事を確信していた。なので秀吉に勝たせるように高山右近と中川清秀を動かせば良い、となってあの山崎の戦いになってしまったと言うロジックは十分成り立つと考えています。
 もしかすると、ですが高山右近も中川清秀同様に秀吉との「内誓紙」を書いていた可能性も否定出来ません。
 何故かと言うと、秀吉は最初からこの「内誓紙」が信長亡き後には脅しのネタにできると考えていた事が想定できるからです。
 つまりこの「内誓紙」を1580年に作っていた時点で既に織田家乗っ取りを考えていた可能性は十分に有る、そしてそれが元で明智光秀も秀吉に「食われた」と思えるのが当時の状況だったと考えています。