快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 秀吉は山崎をスルーパスできたのにそれをしなかった理由は何か

2019-07-31 21:33:33 | 明智光秀
 書きたい事はサブタイトルに有る通りです。
 秀吉が上洛するのなら別に山崎を通らずとも中立宣言した細川氏の丹後、或いは兵が出払っていた丹波、更に筒井順慶の大和経由でも上洛ルートは十分に確保できたはずです。
 ですがそれを採用せずに敢えて山崎で明智勢と戦いました。
 ここまで来れば理由は明らかではないでしょうか。
 それは山崎で決戦する事で旧室町幕府奉公衆や近江衆などを含む明智勢の殲滅ができる事とその勝算が有ったからです。
 それでは何でそれだけ勝算が有ったのか?
 それは高山右近・中川清秀、そして筒井順慶が確実に秀吉方に加勢する確信が有ったからではないでしょうか。
 一方の明智光秀は高山右近・中川清秀までは国主である池田恒興の下で明智方には加勢しない可能性も考えていたのかも知れませんが、筒井順慶はもしかして明智方に加勢してくれると期待し、そしてその前提ならば戦闘時のメリットが大きい山崎を決戦の場に選んだのではないでしょうか。
 最後まで明智方か秀吉方かどうもはっきりしない筒井順慶のドタキャン「日和見」の姿勢が明智光秀にとってトラップとなり事前対策が遅れて短期大敗してしまった面が大きい、と言う事だったのではないでしょうか。