道志村で行方知れずになっていた少女の死が断定されたという
家族やお友達とはぐれ絶望的な恐怖の中で逝ってしまったのかと思うと遣る瀬無い思いだ
ご家族も帰りを信じてずっと待っていたのだから、心中察して余りある
一縷の望みとはこんな時に使う言葉だと思って見守っていただけに、お悔やみの言葉も空々しくなりそうだ
渓流釣りを趣味にしているから、道志川にもずいぶん通った
不明になったキャンプ場あたりでも20年近く前まではよく遊んでいたので、今回の結末には残念でならない
DNA鑑定なんてできなかった大昔なら、今でも少女の死は確定されずにいたのかな?
ご家族は断片的に見つかる遺留品やお骨を手にしても、僅かな望みをかけて神仏へ祈ることができたんじゃないのかな
科学は時として非情な結論を突き付ける
そう言えば、幼馴染の嫁いだ先が歯医者さんで、1985年8月に起きたジャンボ機墜落の身元判定のため群馬県内の医師は駆り出された。幼馴染のご主人である歯科医師は、真夏の蒸せるような体育館に漂う死の臭いの中、歯型の鑑定をしていると一致した時の科学的な喜びが死を決定づける勧告になることに直結する事になり、肉体的な苦痛より精神的に参っていたと、鑑定を終え自宅に戻るとポツリと言ってたらしい
これからは道志村の少女の御霊が、ご家族のもとで安寧に過ごされますことを祈念します
合掌